コンヴィヴィアリティのための道具/イヴァン・イリイチ
この年になっても身につけていてよかったと思えるのは、自習することができる能力だと思う。
子どもの頃から学校の授業には興味をもてなかったから、自分で好き勝手な方法で勉強したものだ。
そのおかげで大人になっても誰かに教えてもらわなくても、書籍=教科書に書かれているようなことは自分の好きなタイミングで学べるし、やってみて学ぶのも自然に身についた。世の中の環境が変わっても、仕事でぜんぜん違う業界のプロジェクトに入る場合でも、自分でいろいろ調べてとりあえずのキャッチアップはできるので、仕事の面では生きるのに困ることがすくない。
同様に、料理だっていろいろレシピを調べればおおよそのものは作れるし、そもそもいろんな料理に興味があるのでレシピ本をみるのも楽しいのでうちには本自体それなりに揃ってる。
だから、いまのように外食がしづらい状況でも自分でいろいろつくって美味しいもの食べられるで、ほとんどストレスを感じない。
ただ、自分で調べたら工夫すればできることがある一方で、できないこともたくさんある。
肉や魚を食料品店の宝を借りずに自分で手に入れることはできないし、結婚式や葬式を業者の手を借りずに行うことも、自分の家を建てたり着る物を作ったりすらできないから買ったり借りたりするしかない。
そう。昔の人ならきっと自分(たち)でできたはずのことをいまの僕らにはできないのだ。
つまり、僕らは昔の人たちにくらべて自分で生きる力を失ってしまっているということになる。
そのことと産業主義的諸制度や諸道具の影響の関係について問うたのが今回紹介する、『コンヴィヴィアリティのための道具』というイヴァン・イリイチによって1973年に書かれた作品だ。
いっしょだからできること
コンヴィヴィアリティとは、日本語にすると「自立共生」。先ほどから話題にしている、自分でできることとそのことを通じて他のひとたちとコミュニティのなかでともに協力しあいながら生きるさまを指している。
イリイチ自身は、コンヴィヴィアリティという言葉について、こう書いている。
私はその言葉に、各人のあいだの自立的で創造的な交わりと、各人の環境との同様の交わりを意味させ、またこの言葉に、他人と人工的環境によって強いられた需要への各人の条件反射づけられた反応とは対照的な意味をもたせようと思う。私は自立共生とは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由であり、またそのようなものとして固有の倫理的価値をなすものであると考える。
かつて人々は、自分の家を自分で、まわりの人たちの手も借りたりしながら、自分でつくることもできた。
葬式や結婚式も、村の人が協力しあって行っていたはずで、葬儀屋やブライダル業者なんて商売として成り立たなかったはずである。
子育てや介護だって、それから多くの病気だって、地域の人々の協力のなかでほとんど賄えていたはずで、保育園も介護施設もそれから病院だってなくてもよかった。
業者の手など借りなくたって、村のひとたちといっしょになれば自分たちでだいたいのことはできていた。
そんな自立共生のコミュニティの力を削いだのは、産業主義的な生産様式であり、それを推し進めてきた政策であるとイリイチは糾弾する。
奪われた家を建てる権利
たとえば「建設業に対して法的保護と資金援助が行われたので、自力で家を建てようとする人々の機会は削られ抹殺されてしまった。そんなことがなかったなら、彼らはずっと効率よく自分の家を建てられたはずなのである」と、産業主義的な建設業が人々が自分たちで家を建てる権利を奪ったことを指摘する。
1973年に書かれた本で、イリイチはメキシコでまさに人々が自分たちで家を建てる権利を失っていくさまを描いている。
ごく最近メキシコは、すべての労働者に適切な住宅を供給する目的の大計画を開始した。第一段階として、一軒の家の建築に新しい基準が設定された。この基準は、住宅を購入する細民を、住宅を生産する産業による搾取から保護する意図をもっていた。ところが皮肉なことに、ほかならぬこの基準が、いっそう多くの人から自分で自分の家を建てる伝統的な機会を奪うことになったのである。その法律は、余暇に自分の家を建てる人々がみたすことのできないような、最低の必要条件をこまかく規定している。それに加えて、産業的に建設された住宅地域の実際の家賃は、8割の国民の収入総額を超えるのである。そこでよりよい住宅は、裕福に暮らしている人々か、その法律が直接の家賃補助を認めている人々だけが占拠することになる。
よかれと思って進めた政策が貧しいものたちの生活をより窮地に追い込んでしまう。いままでどおり自分で家をつくれていれば暮らせていた人たちから、その権利が奪われてしまう。
いわゆるジェントリフィケーションと呼ばれる事態が起こったのだ。
仕事さえも産業から供給される
だが、「家を建てられなくなる」。そのことで「暮らしが成り立たなくなる」だけでは済まないのだ。
そうした政策によって生まれた困った人々に手を差し伸べようとする政策がさらなる格差を呼んだりする。
いったん、産業的基準以下の住宅が不適切と定義されると、住宅を購入することはできないが自分で家を建てることができる圧倒的多数の人々に、公共資金の提供が実施される。貧民の居住地域の改善にあてられる財源は、ある地域の中心都市に隣接するニュータウンづくりに独占的に使われてしまう。そういうニュータウンに住むことができるのは、政府機関の勤務者や、労働組合に組織された労働者や、いい縁故をもった人たちである。
貧しい暮らしをしている人もさらに分割されるのである。
雇用されているか/いないかによって。
つまり、家を建てる権利が産業的建設業者によって/自分たちで、の区分が設けられ後者がその権利を失ったのと同様、雇用の有無が公共資金の提供の有無を分けたのだ。
雇用されていることが生きるための必須条件のようになっていく。
こういった人々はみな、一国の経済の近代的部門に雇傭された人々である。すなわち勤め口をもっている人々なのだ。彼らは名詞として自分たちの"仕事"について語るのが身についているので、他のメキシコ人から容易に見わけることができる。一方、雇傭されていないもの、時々しか雇傭されないもの、最低限の生活レベル付近で暮らしているものは、彼らが働きに出る場合、その名詞を用いることはない。
仕事すら産業から提供されるのを待たなくてはならなくなるのだ。家も、仕事も、自分たちでつくる権利を失っていく。
2つの分水嶺
イリイチが問題視しているのは科学技術によって生みだされる道具や機械そのものではない。
『コンヴィヴィアリティのための道具』というタイトルがつけられているとおり、道具や機械のうちにも自立共生を奪わないものがあるはずで、そうしたものをデザインしていく必要性を提示しているのだ。
だからこそ、どんな道具や機械がどんな風に、人々の手から自立共生の機会を奪い、産業や機械から自分たちの生きる術を提供してもらわないと生きていけないようになってしまうかを考察しているのだ。
イリイチは、科学技術の発展、それにともなう産業の社会への浸透には、それがどんな産業であっても分水嶺が2つあると指摘している。
1つめの分水嶺は、人々の暮らしに利点のほうを多くもたらす。「新しい知識がはっきり指定された問題の解決に適用され」、「科学的な測定手段が新しい効率を説明するのに用いられ」るからである。
しかし、2つめの分水嶺を超えると、科学技術は人々の暮らしにマイナスに作用しはじめる。「それまでの達成によって立証された進歩が、価値のサービスという形をとった社会まるごとの搾取に対する理論的根拠として用いられる」ようになり、「その価値は、社会のたんなる一構成分子、つまり自分を有資格化する専門職エリートのひとつによって決定されたえず改訂される」ようになってしまうというのだ。
先の建設業の例でいえば、最初はより人々が安全に快適に暮らせる家をはじめとする建物を建てるのに技術は貢献するが、2番目の分水嶺を超えるとそれは建設の専門家でなくては手に負えなくなり、建設は一部の専門家だけが自由にできる代物になってしまう。
専門家による儀式化
別の例としてイリイチが挙げるのが医療の例だ。
1913年という年は、現代の医療の歴史でひとつの分水嶺をなしている。その年あたりから患者は、もちろんその時の医学によって認められた標準的な疾病のひとつにかかっている場合のことだが、医学校を卒業した医者から専門的な効果ある処置をうける機会が、50%をこすようになった。それまでは、地域の病気と治療法に精通し患者から信頼されていた数多くの呪医や薬草を使う民間医が、つねに同等かあるいはそれ以上の治療効果をあげて来たのである。
僕らがイメージしている以上に、近代的な医学・医療の歴史は浅い。
たとえば、ルイ・パスツールとロベルト・コッホによる病気の病原菌説を確立は1870年、パスツールがはじめてワクチン(炭疽症)を開発したのが1881年だ。フェリックス・ホフマンか最初の合成医薬品としてアセチルサリチル酸(アスピリン)を発明したのが1897年、世界で初めて合成された医薬品であった。人に血液型があるのをカール・ランドシュタイナーが発見したのが1901年である。
こうした積み重ねが19世紀後半から20世紀の初頭にかけて起こったから医療の最初の分水嶺としての1913年を迎えたわけである。
その分水嶺を超えると何が起こったか?
イリイチはこう書いている。
それ以来医学は、何が病気で何がその処置なのかということを定義し続けている。西洋化された公衆は、医学の進歩によって定義された効果的な威力を要求することをおぼえた。歴史上はじめて、医師は自分たちの能力を、自分たちがつくりだした尺度に照らして計ることができるようになった。この進歩は、古代では天罰と思われていたものの原因を新たに見直すことによってなされた。
何が病気でそうでないかを決める基準が変わった。古くは天罰とされたり、身体に悪いもの(悪い血)がたまったことを原因として何でもかんでも瀉血という治療で済ませたりしていたものが、病原菌など科学的な観点での病原が説明されるようになり、それに科学的根拠で応じた治療法が施されるように変化した。
しかし、いいこともあれば悪いこともある。
先の建設業の場合と同様、そうした病原をつきとめたり適切な治療をしたりが医者という専門家の専売特許になったからだ。
いや、病気がどうかをちゃんと決めること自体、医者がいなくてははじまらないという事態になる。いま、病気であることを証明するのに、医者の診断書が求められているのがそのことを示している。つまりは貧しくて医者に罹らない人は、医者に病気と診断してもらえないから、病気になる権利すら与えられていないということになる。
皮肉なことに、手段が簡単になればなるほど、医師という専門職がますますその手段の適用の独占を主張するようになり、医療従事者がもっとも簡単な手段さえ合法的に使用することを許されるまでの訓練期間がますます長くなり、全社会成員がますます医師に依存するようになった。健康維持は美徳から一転して、科学の祭壇で専門的にとりおこなわれる儀式に変わった。
学ぶことさえも
そして、冒頭書いた学ぶことさえ、教育という専門家たちによって与えられるものに置き換えられてしまう。
僕も自分で学べると書いたが、世の中的には、学校を卒業していないと学んだことにならない。小学校、中学校の義務教育はもちろん、高校、大学、大学院などの教育を受けていないと「大学も出てないの?」と"無学"なものとして扱われてしまう。
まさに社会人として自分で学ぶ権利を奪われてしまっている。
しかし、医療が20世紀の初頭にひとつめの分水嶺を迎えたに比べれば、ずいぶん早かったにしても「教育はほんの最近になって今日の意義を獲得したのだということを、私たちは忘れがちだ」とイリイチは指摘する。
すべての人々に啓発の継起的な段階を通過させようとする営みは、中世末期の「偉大なる技芸」であった錬金術に深い源をもっている。17世紀のモラヴィア派の僧正で、自称百科全書的博識家であり教育学者でもあったヨハン・アモス・コメニウスは、正当に現代の学校の創始者の1人と見なされている。彼は7ないし12学年の義務的学習を提案した最初の1人であった。『大教授学』のなかで、彼は学校を「あらゆる人にあらゆることを教える」仕組みとして記述し、知識の流れ作業的生産のための青写真の大要を示した。彼の方法によれば、知識の流れ作業的生産は教育をより安価でよりすぐれたものにし、すべての人にとって可能な十全な人間性へと成長させるはずであった。
実はこれ、科学そのものが世の中に台頭してきた時期とも同じだ。
コメニウスが子供向けの絵入りの教科書『世界図絵』を出版したのが1658年、科学者たちの集まりとして英国王立協会(ロイヤル・ソサエティ)が設立されたのが1660年である。
ピューリタンたちが1642年の清教徒革命を起こし、1649年にクロムウェルがチャールズ1世を処刑して王政を廃止したことで、信じるべき根拠を国も人々も失った時期であったことは、以前紹介した、スティーヴン・シェイピンとサイモン・シャッファーという2人の科学史家による『リヴァイアサンと空気ポンプ』で示されているとおりだ。
王政復古体制は、無政府状態への逆戻りをふせぐ方法に関心を集中させており、そのために知識の生産と普及に規律を課そうとしていた。これらの政治的な配慮が、競合する自然哲学プログラムの評価を左右していたのである。
王政復古はまさに王立協会が誕生した1660年である。科学者たちの公的な集まりとそれを保証する王政そのものが同時に誕生しているわけである。王政が科学者たちの言葉を保証するとともに、科学者たちの知が王の権威に根拠を与えたのである。
専門家の独占に対抗する
この17世紀半ばに科学者たちが台頭して、専門家としてその知を独占しようとしはじめていたとき、その危険性を指摘したのが、『リヴァイアサン』などの著者で知られるホッブズだった。
無政府状態に戻ることを避け、中心に信じるに足る権威をおこうとして結託した科学と政治に対して、ホッブズはむしろそのこと自体の危険性を指摘したのだ。
ホッブズは、知識人のどんな独立した集団も、世俗社会への脅威を構築してしまうことは避けられないと述べた。それどころか、そのような集団はそれ自体として危険なのであった。ここから引きだされる一般的な結論は、内戦の勃発と特権的な技能の領域をみとめることのあいだには関連があるということであった。聖職者や法律家は急進的党派と変わらなかった。
「内戦の勃発と特権的な技能の領域をみとめることのあいだには関連がある」。そして、それは「世俗社会への脅威を構築してしまう」ことにつながる。
このあたり、まさにジョルジョ・アガンベンが『スタシス―政治的パラダイムとしての内戦』で描いた、内戦による政治権力の強化という話と直結するのだが、話が逸れすぎるので広げるのはやめよう。
ただし、それは商品化〜産業主義というよりソフィスティケートされた形で、世俗社会の脅威となっている。
医療や建設業同様に、教育は専門家たちの独占となり、市民の自由な学びを奪っているのだから。
なにかものを学ぶということは、こうして商品となる。そしてあらゆる商品と同様に、市場化され希少なものになる。この希少性の性質は教育がとるさまざまな形態によって、高い代価を払って隠されている。教育は、学校によって生産される、パッケージ化された連続的な知識注入の形をとった、将来の人生に対する計画化されな準備でもありうるし、あるいは、メディアの産出物を通しての、また消費財に付記された指示を通しての、現在進行中の生活に関する不断の情報注入でもありうる。
(中略)
学校はたえず改訂される教科書を用いて人々を訓練する。学校は指導者とニュースの読者を生産する。高校を卒業するものの比率は増えているのに、高校卒業生によって購入される非技術系の書籍の一人当たりの量は低下している。学校で訓練された専門家のために書かれた本がふえ、自主的な読書は減っている。
学校という教育パッケージは、人々から学びの自由を奪いとる。教育は、教えてもらわなければ学ばない人たちを大量生産してきた。
それに対して、イリイチがコンヴィヴィアルな学びの道具として指し示すのが、本だ。上の引用の後半で減っているとされた「自主的な読書」だ。
書物は学習のバランスを大いに広げたふたつの大発明の産物である。つまりアルファベットと印刷機の産物である。どちらの技術もほとんど理想的に自立共生的である。ほとんどどんな人でもそれを使うようになれるし、また自分自身の目的のためにそうすることができる。(中略)アルファベットと印刷機は原則として、記録された言葉を専門家の手から解放してきた。商人はアルファベットを用いて、象形文字に対する神官の独占を打ち破った。廉価な紙と鉛筆、後にはタイプライターとコピー機といったふうに、原則として1組の新しい技術が、専門的で真に自立共生的な、記録によるコミュニケーションの時代を開いてきた。
専門家の独占に対抗するための道具としての書物。
だから、書物にあたるとき、必要な姿勢は、書かれたことを鵜呑みにするように読むことではなく、書かれたことから自分の思考を用いて学ぶことである。
そのとき、著者と読者の「共生」が成立する。
それは、民主主義的に市民それぞれが意見を交わしながら自分たちの暮らしをつくっていくあり方とも重なるだろう。
大量生産的な産業主義と専門家による独占は、そうしたコミュニティとそこで行われていた自立共生的社会を破壊してきた。むろん、この地球環境そのものもだ。
イリイチはいう。
環境危機の唯一の解決策は、もし自分らがともに仕事をしたがいに世話しあうことができるならば、自分たちはいまより幸せになるのだという洞察を、人々がわけもつことなのである。
僕らはいますぐにでも、コンヴィヴィアリティのための道具を入手しなおして、自分たち自身の力で生きることを学び直さなくてはいけないだろう。
破壊された環境がどうにも元に戻せなくなる地点はもうすぐそこに来ているのだから。