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ルールとセオリー

昨日の岸本聡子さんと林篤志さんをゲストに迎えてのオンラインセミナー「コモンズを民主化する」は、とても深いお話が聞けて、僕自身、さまざまな刺激をもらえて、やってみてとてもよかったと思う。

その内容は別途レポートするとして、その中でも議題の中心のひとつとしてあったのは、コモンズの利用に限らず、時間の猶予なく突きつけられている気候変動やそれに複雑に絡みあった経済格差や人権、移民などの問題の回避に向けて、限られたコモンズ(物理的なものだけでなく知的なものも含めて)をどう効率的かつ倫理的かつ持続可能な形で利用できるようにし管理していくための新たなしくみづくりをどう行なっていくかということだ。

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そうした観点での新たなしくみのプロトタイピングを以前にお話を伺ったときよりもはるかに大きな規模かつさまざまなバリエーションで展開されている林さんたちNext Commons Labの実践は素晴らしいし、岸本さんから伺ったヨーロッパにおける実践例のなかでも試され争われている公と公、公とコミュニティがどのような形で連携していくかというお話も興味深かった。

そうした新たなしくみづくりを進めていく上で、僕が大事だなと思っているのは、コモンズへの権利を自治的に管理できるようにすることだと思っている。

そのためには新たな法整備やルールづくりも必要になってくると思うが、と同時に、自治を成り立たせるためのひとりひとりの働き方をしっかりと確立することも欠かせない。その自分たち自身で確立すべきひとりひとりの働き方をここでは外から与えられるルールとは対比するためにもセオリーと呼んでみたい。

自分(たち)が成功するための理論

セオリー、日本語にすると理論ということになるが、それは普遍的、公的に正しいとされるものではなく、ある条件において正しい結果をだすための法則のようなものだ。
その条件には、誰(もしくは何)がその行為と結果に携わり恩恵を受けるのか、そして、その行為と結果の主体にとってどんな結果が「正しい」=求められているかということも含まれている。

それゆえ、セオリーとはあくまで限定的な法則であり、いうなれば主体者によって自治的に使用され、管理される知的財産だということができる。

ようするに、セオリーそのものもコモンズとなりえる。

ただし、コモンズとなりえても、共有されるコモンズとしてのセオリーを誰もが有効に使えるかというと、そこはちょっと違う。
自分(たち)にとって有益なセオリーは必ずしも他者にとって有益とは限らないし、反対に他者がそれによって成功を得たセオリーを条件が異なるであろう自分たちが無反省にそのまま利用しても成功が得られる可能性は低いはずだ。

であればこそ、何をセオリーとして用いるかは、どのようにセオリーを構築していくかは、行為の主体がみずから選択し、築きあげていく必要があるということになる。

自分がどんな成功を求め、そのためにはどんな考え、活動が必要か、どうすれば成功に辿り着くかの作戦をみつけていくのだ。

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協働でセオリーをつくる

とはいえ、ひとりひとりが本当に自分ひとりの力だけでセオリーをつくっていかなくてはいけないかというとそうではない。人はひとりで何もかもできるはずがない。

だから、セオリーも仲間といっしょにつくっていくのが賢明だ。だから自分(たち)のセオリーをつくるためにはいっしょにそれをつくっていける、いっしょに同じ成功を求めていける仲間をみつけることが大事なんだと思う。

昨日のイベントでは、2人のゲストの話につなぐ補助線的なイントロダクションで、こんな3つのキーワードを挙げた。

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この2番めの「私と私たち」という点では、「みんなの」という意識が高まっていくとともに、そのあいだの対立も生じているという話をしたが、このセオリーづくりの話を対立に向かわせてしまうか、「みんなの」協働でのセオリーづくりという向かわせるかは、各自の姿勢によって大きく変わってくるだろう。

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いっしょに自分たちが求める生き方や生活、生きる環境やそれを維持し育てていくあり方をともに考え、つくっていける仲間、コミュニティ。
なにか他のコミュニティや組織を真似ただけのものではない、そこに参加する人たちがいっしょになって自分たちのセオリーをつくっていける、そんな場が必要なんだと思っている。

そして、そうであるがゆえに、自治体なんだろうと思う。
それは必ずしもいまの地方自治体とは限らない。自治体が上に書いたような機能を担えるなら、それでよいが、担えないのなら別な手立てを考える必要がある。

いずれにせよ、自分たちのセオリーの基盤となる自治的な活動体をどう起こすかは、いま問われていることだろう。

自分のセオリーを考える力と行動

みんなでいっしょにつくるものだとはいえ、やはり基盤となるのは、ひとりひとりの自主的な考えと行動だ。
コミュニティに参加する人それぞれが、受け身ではコミュニティ全体が自律的に動けるようにはならない。

ひとりひとりが自分で自分たちの暮らしや生活、人生をよいものにしよう、まわりの人たちや将来の人たちや地球の反対側の人たちも含めて、どう生きていけばよいか、限られたコモンズをどう持続可能な形で有効に活用していけるかということを、自分でも考え、自分でも行動して試したみながら知見、ノウハウをためていく活動をしなければ、みんなのセオリーなんて生まれてくるはずもない。

自分の仕事=活動を自分の目的や目標に応じてつくることができるか、それとも、与えられた仕事を与えられた手順どおりにしかできないか。みずからのセオリーに従うか、外から与えられるルールに従うかということだ。みずから仕事=活動をつくっていかないと、その仕事が自分たちのためや、ほかの人たちのためのものになるかはかなりあやしいはずだ。

古いルールや常識にしがみついて、いまの状況にあったセオリーへの更新を行なっていくと、例のジェンダーに関わる暴言をはいた人物とさほど変わらない。林さんも昨日話していたが、新たな自治を考えていくためにも、日々勉強して、知識のアップデートは欠かせない。Twitterでのこんな発言をみると、デンマークのあり方を見習いたいものだ。

いまを、そして、今後をサバイブする

そして、それは仕事に関することだけではない。
これはこのコロナ禍においての日々の過ごし方だって同じだろう。
このコロナ禍で生きていく問題を政府や所属する企業のルールの不備のせいにだけにしても仕方ない。そうした問題の追及が悪いわけではないが、同時にこの状況での自分たちの暮らし、ほかの人たちの暮らしをどう守っていくかのセオリーを、自分たちで建設的に議論し、見つけていかなくてはならないのはもはや当然のことではないだろうか。
国に頼り、企業に頼ってるだけで、自治がないなら、この目の前のコロナ禍の危機すらサバイブできない。

まわりの与えてくる一見答えのような情報に惑わされることなく、自分で落ち着いて必要な情報を集め、整理し、何がわかっていて何がわからないかも含めて、状況を受け止めた上で、自身の次の行動、まわりの人との対話や作業をどう進めるかを考えられるようにならないといけない。

自分のことばかりではなく、つねに、まわりの人やまわりの状況をかんがみながら、ともによりよい状態で前へと進んでいくためには、どうすればよいかを考え、その考えに基づき行動を起こし、その結果もふまえて次のあり方を見直したり、同じ体験をともにした人と感想を交換するなど、セオリーを見つけるための思考と行動の場は実はいつも目の前に開かれているはずだ。

その場に臆せず飛びこんでみずからのセオリーを開拓できるか、そこに飛びこむ不安から逃げて、他人の指示待ちで日々をやり過ごすか。

その日々の過ごし方の差はサバイバル能力に大きく影響するだろう。

ひとつ前に紹介した本『サパティスタの夢』で描かれる新自由主義に対抗したサパティスタ民族解放軍の、武装はするが武力行使はしない、自分たちの暮らしのための権利は主張するが政権奪取を行うわけではないというあり方などは、おなじ新自由主義への対抗として、ヨーロッパの公共サービスの再公営化が市民運動と連動して進んでいることと関係づけて考えると良いはずだ。

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セオリーが生まれてくる対話の場

岸本さんの話や林さんの話を聞いていてよいなと思ったのは、そうした思考と活動と参加者同士の対話のコミュニティがうまくつくれている例だ。
岸本さんの本で紹介されているパリの水道公社「オー・ド・パリ」の市民参加のしくみなどはとても勇気がわく。

パリ市では、水道事業への市民ガバナンスを高めるために、多くの人々が「パリ水オブザバトリー」に自覚的に参画している。選挙も重要だが、選挙だけが民主主義ではないのだ。
水のように生きるために不可欠なものは、人々の共有財産として、できるだけ市民の力で管理しようという動きが始まっている。これこそが、新しい民主主義の形だ。資本の言いなりにならない、国家に任せっぱなしにしない、という市民の気概が垣間みえる。

僕が昨日のようなイベントをこれからもやっていこうと思っているのも、そうした対話のネットワークからさまざまな活動体が生まれてくればよいなと思っているからだ。仕事上、これまでもいろんな形で対話の場、共創の場を企画し立ち上げ、ファシリテーションしてきたりしたが、その活動をより自分たちとこの世界のサバイバルに向けての場づくりへと寄せていければと昨日のイベントを通して思ったことだ。

その意味では今後はこのnoteだけでなく、clubhouseなんかもうまく使って、そうした対話をカジュアルにやっていきたいなとも思ってる(@hirokitana)。いっしょに対話できる人が見つかるといいなと思ってます。

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