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形態的類似

カルロ・ギンズブルグの『闇の歴史』がおもしろい。

中世から17世紀にかけてのヨーロッパにおいて、無数の人々が参加者として告発され、裁判にかけられて刑に処された、魔女崇拝の集会であるサバトという、実際には行われたかが定かではない集会が、それなのに、何故さまざまな地域や時代において、ほぼ定型の内容のものとして罪人の告白として裁判記録に残っているのか? また、その内容はどこでどうやって定型化されたのか?

主に、罪を裁く側の視点での記録しか残されておらず、裁かれた側からの記録が残されていないがゆえに、ことの真実を明らかにするのがむずかしい歴史の謎を、歴史学的な手続きのみならず、文化人類学的な構造主義による比較も用いながら紐解いていく著者の情報の扱い方、そこから導かれる仮説の出てくる様に、読めば読むほど惹きつけられる。

カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史』

1つ前の「思考の土台」というnoteで、「情報収集、整理、組み立て」という作業こそが思考の土台であると書いたが、まさに本書でギンズブルグが見せてくれるのは、そうした思考の土台となる作業による匠の技ともいえるものだ。
その匠さが素晴らしいから、テーマである「サバト」そのものには、それほど強い関心がなくても、どんどん読み進められる。
素晴らしい思考の展開をみるのは、素晴らしいスポーツの技をみるのと同じようにエキサイティングなものだと思う。

ほんの少しだけ、その展開の様子をみてみよう。

ギンズブルグが注目するのは、歴史のなかにあらわれる形態的類似である。
「純粋に形態的類似を基礎に、神話、信仰、儀礼に関する様々な証言を接近させようと努め」たギンズブルグは、「それらをもっともらしい歴史的枠組みに入れることには意を払わなかった」と言っている。そのおかげで「漠然と追及していた様々な類似の同じ本質は、後になってようやく明らかになった」と書いている。

未知のものを明らかにする作業というのは、そういうものなのだと思う。

既知をロジックで積み重ねただけでは未知なる発見は生じない。既知のものを通常とは違うルールで組み合わせたときに、新たなものは見つかる。
そのひとつの方法としての形態的類似。

何を明らかにしたいという目的だけをしっかり定めたら、もっともらしい知に頼って振り回されることなく、感性を最大限に研ぎ澄ませた状態で、類似のパターンなどを集めて何がそこにあらわれるかをひたすら作業を繰り返しながら待つ。何が現れるかはわからず、類似のパターンだけが織りなす漠然とした様相を追及を続ける。その漠然としたパターンが不意に何かを明らかにするまで。
それがイノベーション創出の場の思考においても求められる基本的な態度であるように思う。

さて、『闇の歴史』の展開に戻ろう。
ギンズブルグは、サバトの型につながる1つの流れを14世紀初頭からの数十年に現れた、キリスト教外部に向けて複数の陰謀説とその動向のなかに見出している。

ただこの時期の細目が不明であるにせよ、一連の資料の総合的意味は明らかだと思える。迫害の対象が、比較的限られた社会グループ(ハンセン病患者)から、人種的宗教的限定はあるにせよ、より広範なグループに移行し(ユダヤ人)、最後には、潜在的には限界のない宗派に移行するのである(魔女や魔術師)。ハンセン病患者やユダヤ人と同様に、魔女や魔術師も共同体の外縁に位置する。彼らの陰謀もやはり外部の敵から吹きこまれたものだ--この上ない敵、つまり悪魔である。

「思考の土台」にも書いたが、自分たちの文化や思考の外側にある理解しがたいものに対する恐れが、ありもしない陰謀説をでっち上げてしまう。現代でも変わらずそうだが、無知とは本当におそろしい。無知な者ほど自分たちがよく知らない者に対して、残酷なまでの攻撃をする。しかも、その攻撃で相手が苦しむ姿は見ようともしない。そんな卑怯極まりない態度を可能にするのが無知だ。

ギンズブルグが指摘する14世紀初頭からはじまる数十年の間にその無知ゆえの陰謀説の対象となり迫害を受ける対象は、ハンセン病患者、ユダヤ人、そして、魔女や魔術師(と思われた人びと)へと移っていった。

こうして連続的に再生することで、陰謀のイメージは半世紀足らずのうちにアルプス西方に定着することになった。それは、見ての通り、時をへるにつれて、少なくとも潜在的には、陰謀を企てるグループの幅が拡大した。それと平行して、共同体に対する攻撃の範囲も広がった。ヴァレの被告たちは、盲目、狂気、流産、性的不能を引き起こし、子供をむさぼり食い、雌牛の乳を涸らし、農作物をだめにした、と告白した。

この引用の最後にある「ヴァレの被告たち」の告白に含まれるリストが、後にサバトの参加者として裁かれた人びとの告白のリストにも現れるサバトの要素でもあることを、ギンズブルグは指摘する。
もちろん、異なる集団からなる被告たちが同じような要素が並ぶ悪事を告白するのは、裁判を行う側が拷問をへて彼らにそう供述するよう強いたからだ。
けれど、それでも、何故、裁判を行う側が同じイメージを被告らに告白するよう強いたのか?の答えはわからない。

ギンズブルグは、この類似するイメージの形態がどこからやってくるのか?を問う。

そこで、ハンセン病患者の陰謀説がおこった14世紀よりはるか前、プリュムのレギノが906年頃に、司教やその代理向けに集めた訓戒集『教会会議訴訟と教会の処理に関する第2書』の記述に着目する。その資料におさめられた、教区から根絶すべき迷信的信仰や慣行の列挙のなかの、昔のフランク族の法令集に由来すると思われるこんな一節を紹介している。

「こうしたことに口をつぐんではならない、ある種の邪悪な女たちが、サタンの追随者となり、悪魔の空想的幻覚に誘惑され、異教徒の女神ディアーナや、大勢の女たちとともに、夜にある種の動物たちの背に乗ると言っている。また静かな深夜に遠い距離を越えて行き、女神の命令に主人のように従い、ある定められた夜に奉仕するよう呼び出される、と言っている」。

そう。ここにサバトの参加者たちがこぞって口にする「動物の背中にまたがった魔女」のイメージの源泉か認められる。
しかも、この動物の背中にまたがった魔女の原型として、ケルト神話の馬やロバの女神エポナを召喚する。

そして、この動物の背中にまたがって現れる女神たちのほとんどが、死者の世界との間をつなぐ者だったりするから、サバトにつながるイメージを最初から性格として保持した者であったりする。
こうした民俗的な文化風習のなかの知と、裁判所がもつエリート的な知の融合がサバトのイメージを作りだしたのではないかという漠然とした仮説を持ちつつ、ギンズブルグは論を進める。

『闇の歴史』はいま全体の5分の2くらいを読み終えたところ、このあと、どんな展開をへて、サバトの型が歴史的に生み出される様が知的に再構成されるのかと思うとワクワクする。

と同時に、自分でももっと型に縛られないデータの読み解きから、まだ見ぬ発見を導く技を磨いていきたいと思った。
ギンズブルグの、時代も地域も超えた数えきれない資料から、類似する形態を導きだしながら、サバトのイメージが定型化する様を再構成しようとする手さばきは、未知のアイデアを浮かびあがらせることが仕事である僕にもとても参考になると思うからだ。
それには、このギンズブルグも重視しているような「類似的形態」というものに着目するデータの統合力を磨いていくことが必要なのだと思う。集め、整理のためにバラバラにしたデータを再度整理して組み立てなおすに、既存の知の束縛に抗おうとすれば、形態そのものに着目するというのは方法として、すごくヒントになるものだと思うから。
まあ、所謂KJ法による発想の際にもデータを扱う際に用いるのは、この形態の類似に着目することであったりもするし。

いずれにせよ、いかに「わからない」情報から新しい発見を見いだすか?という土台となる思考のスタイルは、やっぱり、この時代にとても大切なものだとあらためて感じる。

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