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三体Ⅲ 死神永生/ 劉 慈欣

驚異の3部作、ついに完結。
劉 慈欣の『三体Ⅲ 死神永生』を読み終えた。

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一流の思考実験集

本国で、『三体』が連載されたのが2006年。2008年1月に単行本化されたあと、早くも同年5月には『三体Ⅱ 黒暗森林』が出版。この『三体Ⅲ 死神永生」が出版されたのが2010年。

それから11年。ようやく日本語の環境でも完結をみたわけだ。
そのあいだに2014年に英訳され、2015年に世界最大のSF賞といわれるヒューゴ賞長編部門をアジア人作家としてはじめて受賞。本書の帯にあるとおりで、Netflixでのドラマ化も決定しているそうである。

しかし、10年も前に書かれた作品とは思えないほど、"いま"を感じる作品である。コロナによる社会の分断、気候変動による地球規模の危機、経済格差や人種差別的な社会問題も含め、あたかもそうした課題を下敷きにしているように感じるところがある。それが作家の想像力というものなのだろう。

結論から言えば、僕にとってはこの3作目が1番おもしろかった。

優れたエンターテインメントSF小説であることはもちろんのこと、一流の思考実験集でもあり、その実験的思考の展開に決して分量が少ないとは言えないながら(というより、上下巻で700ページは超えていて、むしろ分量は多いといえる)、読みながらワクワクしどおしの作品だった。

圧倒的な危機を思考する

例によってだが、ネタバレのないよう、この作品について書くのはむずかしい。
しかも、この3作目だけでなく、1-2作目も含めてネタバレなく、この作品を紹介するには、どうしたら良いのだろうと思う。

きわめて曖昧な言い方をすれば、この作品において地球は危機であり、宇宙は危機である。もちろん、そこで生きる人類もおなじように危機に晒されている。

いや、この3作目だけの話ではない。
人類はこの3部作通して危機に晒されっぱなしだ。
その危機のスケールはどんどん大きくなり、人類のスケールをとてつもなく超えてくる。

この3作目においては、その危機のスケールは、現実的というより、先にも書いたように思考実験的なものとなり、理論物理学的なものとなって、もはや人類が太刀打ちできそうな余地などすこしも残されていないように感じられる。

「大事なのは、まだ誰も見ていないものを見ることではなく、誰もが見ていることについて、誰も考えたことのないことを考えることだ」と言ったのは、「シュレーディンガーの猫」で知られる、理論物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーだが、ここで著者が思考実験によりこの物語へと召喚するあらゆるレベルの人類、地球、そして宇宙の危機は、僕らが普段あたりまえのように「誰もが見ている」できごとが突如「誰も考えたことのない」ようなありかたで、大きすぎて抵抗すらできないような圧倒的なパワーで、この小説世界の人々に襲いかかってくるものだ。

著者のその圧倒的な想像力! そこが読んでいて面白く感じたところだ。

人間にとって何が危機となりうるのか?

想像力とは、何もないところから想像を生む力ではない。やはりシュレーディンガーが言うように、誰もが見ているものが素材となる。

ただ、僕らは見えるものを全部ちゃんと見ているかというとそうではない。むしろ、目が曇っていてほとんどのものを見過ごしているし、見ているもののことをちゃんと考えていない。

その見落としについて考えることから想像ははじまる。そこには見えているものをあらためて問いなおす視点がある。

たとえば、人間にとって何が圧倒的な危機をもたらすものとなりうるか?
それは人間が何に依って立って生きているのか、あるいは、逆に何に依って立つことをしないで生きてきているのか、ということに関して思考すること、想像することである。

住む場所が奪われること、日常的な居住空間に他者が介入してくること。
自分の知っている文化とはまるで異なる文化のなかに叩きこまれること、価値観がまったく異なる人々のなかで突如生きていかなくてはならなくなること。
あるいは端的に、ほかの誰かによって生命を脅かされること、自由を脅かされること。

だが、この本を読んでいてあらためて感じたのは、人間に危機をもたらすものは、同類としての人間だけではないということだ。

いまももちろん、気候変動危機が僕らのこれからを危うくしている。
しかし、僕らの生命や人生を脅かすのは、気候だけではない。物理環境に生きる僕らにとって、僕らが慣れ親しんだ物理環境以外のものはすべて、人間に危機を及ぼしうる外敵となりうるのだ。

物理学が対象にする、熱や速度、圧力などのわかりやすいものだけでなく、空間や時間、次元ですら、僕らを危機に陥れる。

逆にいえば、僕らの生存条件はいかに限定された物理的条件の枠内におさまっているのだということを教えてくれる。

いうまでもなく、この物語は、共同体の持続可能性に関する問いも投げかけているのだ。

驚異の世界

この本の主人公の女性、程心(チェン・シン)は、とてつもないスケールで繰り広げられる思考実験世界のなかを、僕らを連れ回してくれる案内人だ。

劇中、彼女は「西暦人」と称される。彼女は冷凍保存されて、僕らと共有している西暦以外の時代を次々と旅していく。

冷凍保存されて、時を超えるたび、彼女は異なる思考実験が行われている実験室のあいだを移っていくかのようだ(もちろん、読者である僕らもいっしょに)。冷凍保存が時を不連続なものとし、複数の実験室が壁で隔てられて、まったく異なる実験は可能になるかのように、前とは不連続な条件での物語を可能にする。

実験室の実験環境が変更されるかのように、冬眠によって隔てられた時代は、都市のあり方、人々の生活、男女の容姿、地球や宇宙との関わり方も異なる。何が正しく、何が普通かなんてことは、実験状況によって変化するものだと教えてくれているかのようだ。多様性

最初の『三体』で描かれた西暦という名の思考実験室、そして、『三体Ⅱ 黒暗森林』で描かれた別の暦をもつ時代の実験室、そして、さらに、この『三体Ⅲ 死神永生』であらたに描かれていく複数の時代の実験室群。最初の『三体』と次の『三体Ⅱ』の物語が似ていなかったように、この『三体Ⅲ』で描かれる物語は、全2作とは異なっているし、それどころか、この『三体Ⅲ』のなかでさえ、程心の冷凍保存ごとに別の世界の物語だ。

そこで繰り広げられるのは、バラエティ豊かなさまざまな驚異に関する思考実験である。

高山宏さんにいえば、この『三体Ⅲ』という作品は、きわめてマニエリスム的世界である。あらゆるイメージが、あらゆる思考の組み合わせを可能にする。ただし、そこに驚異の組み合わせが可能になるのは、ひとえに著者・劉慈欣の力量によるものである。シュレーディンガーの言う思考が可能な人だからこそ、誰もが見ているものを驚異なものに変える魔法が使えるのだ。

もう1回言おう。三部作のなかでも、この『三体Ⅲ』が一番おもしろい、と。



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