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社会的連帯経済 地域で社会のつながりをつくり直す/藤井敦史編著

何気なく気になって手に入れた一冊。買ったときは「社会的連帯経済」という言葉は知らなくて、副題の「地域で社会のつながりをつくり直す」が気になったのだった。正直、そんなに期待はしていなかった。だけど、読み始めて、どんどん惹かれていく。

藤井敦史編著『社会的連帯経済 地域で社会のつながりをつくり直す』

問題意識は、こんなところにある。

今日、一般的に新自由主義と呼ばれる市場競争を主要原理とし、経済成長と効率性に最大の価値を置き、グローバルに展開する資本主義システムは、公的な領域と同時に共的な領域をも市場メカニズムの渦に巻き込み破壊しながら、経済のみならず、統治システム(新公共経営)や人々の価値意識(自己責任イデオロギー)までをも変容させてきた。コロナ禍は、こうした新自由主義のシステムがすでに引き起こしていた諸々の危機を顕在化させ、私たちの生活を根底から脅かしている。

「序章 なぜ社会的連帯経済なのか」

もちろん、コロナ禍はそれを顕在化させたが、そもそも80年代以降の新自由主義がもたらした共=コミュニティの破壊は、経済格差や貧困、孤独など、さまざまな問題をすでに引き起こしていたのであり、コロナ禍でそれが一気に露呈したまでのことである。

そんな破壊された「共」のつながりを再生するような「もうひとつの経済」は果たしてありえるのか?
そのひとつの回答として、フランスやイタリア、スペイン、あるいはブラジルなどの南米、そして、韓国などで、資本主義でも共産主義でもない、地域住民が主体となって活動を行う、経済のオルタナティブな選択肢として発展しているのが「社会的連帯経済(social and solidarity economy)」だ。

連帯経済と社会的経済

「社会的連帯経済」と一言で言うが、もともと歴史的には、連帯経済と社会的経済というものが別々に生まれてきて、互いに相容れない部分があったものの、新自由主義経済がもたらしたさまざまな環境的、社会的問題を解決するためのオルタナティブとして、近年融合したものだという。

まずは、連帯経済だが、これがなかなかに歴史が古く、市場主義が社会に浸透しはじめた19世紀にはほぼ同時に登場している。

フランスにおける連帯経済の歴史は19世紀前半まで遡る。(中略)数多くの社会実験とともに、ピエール・ルルーをはじめ初期社会主義やキリスト教社会主義の思想家たちによる「連帯」を重視した思想が生み出された。そこでは、市場経済に対するオルタナティブとして互酬的な関係性を基盤とした労働のあり方、労働者による生産のコントロールや資本の共同所有、共同生産と生活上の相互扶助の統合等、多様な考え方が生み出された。そして、以上のような労働者のアソシエーションを基盤として、投下資本の収益性に駆られ、営利動機によって暴走することのない企業のあり方やメンバー間の平等な権利を基礎とした民主主義的社交の場が生まれ、労働や生活に身近なところからの公共空間の形成といったことが構想されていたのである。

1章 社会的連帯経済とは何か

ひとつ前の「ボヌール・デ・ダム百貨店/エミール・ゾラ」でもその一端を紹介したように、19世紀に社会を覆いはじめる大量生産、大量消費の市場主義的な経済システムは、それまでの人びとのなかに息づいていた生活経済のしくみを粉々にしていく。そうした破壊のあとの困窮を共助のしくみとして解決しようとしたのが、連帯経済だ。
人びとがまさにボトムアップ型で互いに連携しあい、民主主義的に平等に自分たちの課題を解決していく。もうすぐ10月には日本でもようやく労働者協同組合法が施行され、ワーカーズコープが公に認められるようになるが、その元ともいえる労働者同士の共同生産、共同所有のかたちがすでにこの時期の連帯経済のなかで生まれているのだ。

しかし、20世紀になると、連帯経済のあり方が弾圧の対象となっていく。代わりに生まれたのが、より組織的、制度的な形で共助のしくみとしての協同組合運動だ。この組織的、制度的なものを社会的経済と呼ぶ。

1948年の6月蜂起の後、労働者によるアソシエーションが政府から厳しく弾圧され、同時に、経済領域における市場経済の支配が強まっていくと、経済を連帯主義的に構成していこうとする企ては後景に退いていく。そして、連帯経済的なプロジェクトは、生産・消費・配分といった機能ごとに分化していき、制度化された共同組合・共済組合・アソシエーションが生まれ、それらによって構成される組織セクターを意味する「社会的経済」という言葉が協同組合運動を理念的に支える言葉として浮上してきた。したがって、社会的経済は、西川潤も述べているように、協同組合・共済組合・アソシエーションという組織カテゴリーを意味する言葉であり、1人1票原則による組織内民主主義は重視されるものの、連帯経済のように、マクロな経済関係を射程に含んだ言葉ではなく、実際の協同組合や共済組合も、制度や市場経済に適応し、それを補完するものへと発展していくこととなった。

1章 社会的連帯経済とは何か


社会的連帯経済へ

社会的経済と連帯経済が近年まで相容れなかったひとつの要因がこの社会的経済のもつ組織的であるがゆえの閉鎖性だ。組合員同士のあいだでは利他的な共助の活動が行われても、その外へは活動を広げにくい。組織の内部でとどまれば活動の規模も小さく収まりがちで、社会を大きく変えるようなインパクトは生まれにくい。

この問題の解決がつよく望まれるようになったのが、新自由主義におけるグローバル化のなかで、一次産業も二次産業も競争の激化により自国の産業が衰退し空洞化していく地域が多数発生したことによる。
新自由主義に対するオルタナティブな経済のあり方をよりインパクトの強いものにできるよう、それぞれ孤立していた協同組合の組織同士をつなげる=連帯できるようにする発が生まれたのである。

1995年にイギリスのマンチェスターで開催されたICA100周年記念大会で採択された「協同組合のアイデンティティーに関するICA声明」である。この声明において新しく付け加えられた協同組合の第7原則では、協同組合が地域コミュニティーの持続可能な発展に寄与することが明確に規定され、協同組合が閉鎖的な共益を超えて、公益的な活動を展開する際の理念的な基盤になった。

1章 社会的連帯経済とは何か

この流れが世界各国の協同組合に関する基本法の整備を促していく。これにより組織的なものと小さな連帯経済の連携が可能となり、社会的連帯経済の基盤が整ったといえる。

フィンランド協同組合法、カナダのブリティッシュ・コロンビア州協同組合法、ケベック州協同組合法、韓国の協同組合基本法、英国の協同組合・コミュニティー利益組合法等、少人数で協同組合を設立可能であり、かつ生協や農協といった制度的な縦割りを超え、多種多様な共同組合を包摂する法制度が制定されてきた。このような協同組合法の広がりは、大規模な共同組合の世界(社会的経済)と小規模な相互扶助の世界(連帯経済)が地続きなものとしてつながる重要な基盤となった。

1章 社会的連帯経済とは何か

日本における労働者協同組合法もその流れのひとつではあるが、あまりに遅いのと、協同組合全体の基本法ではないのが残念なところだ。

地域に責任をもつ

社会的連帯経済のポイントは、市民自身が自分たちの社会にコミットし問題解決や価値創造が行えるよう、解決策や価値創造のための技術、リソース、システム、人材、金銭的資本などを、市民自身が協同で所有、利用でき、協働できるようにすることだ。
中央集権的な経済システムから自律分散型の経済システムへと移行であり、経済の民主化である。

もちろん、だからこそ市民自身にはより社会の問題、組織の問題に自分ごととしてコミットすることが求められる。ただの消費者的に、やるように言われたことをやっているだけでは許されなくもなる。

このことを示すキーワードが次の「コモニング」という言葉だろう。

コモンズというと、我々は、何らかのコミュニティで共有された物質的、あるいは非物質的な資源として静態的に捉えることが多いだろう。しかし、今日、コモンズは、コモニングという動詞形で、より動態的な「共有か」のプロセスとして捉えられるようになってきている。すなわち、社会問題の現場では、アソシエーションにおける対話と実践を通じて、問題が共有されると同時に、目指すべき希望や目的としてのコモン・グッド(共通善)が共同的に構築されていく。

1章 社会的連帯経済とは何か

コモンズという静的なかたちで共同の資産があるのではなく、人びとがたがいに協働する中で自分たちの資産が協同的に動的につくられていく。いっしょに考え、いっしょにつくることが大事だ。まさに直接民主主義であり、みんなで議論することが重視される。

そして、この協同作業、協同での議論が人びとの関係性そのものを強化して、コミュニティのレジリエンスを高めることにつながる。

人々がコモン ・グッドに向かって連帯し、協力的な活動を展開することを通じて、様々なレベルでコモンズが生み出されることになる。それは、共有された物的資源(土地、建物、自然、食料、資金等)の場合もあれば、非物質的な組織や知識や記憶といったものかもしれない。そして、このようなコモンズの形成は、同時に、アソシエーションに集う人々の間での相互の関係性を強める方向で機能する。すなわち、相互の信頼、ケア、責任意識といったものを高め、コミュニティとしての親密性や帰属感も高めていくことになるだろう。

1章 社会的連帯経済とは何か

地域にコミットする

そんな地域へのコミットの例として、わかりやすいのが、ブラジル・サンパウロ市内にあるフェイラ・リブレ(自由の市という意味)という店舗の例だ。
野菜や雑貨などが扱われる店舗だが、いわゆるスーパーマーケットではない。
写真のレジ裏の看板には「ここはスーパーマーケットではありません」と明確に書かれている。

この看板に書かれているのは、それだけでなく、この店舗の運営にかかる光熱費や人権は、施設修繕費や広報宣伝費などのコストが明かされている。

そして、一番下に35%の大きな文字。これがこの店の1番の特徴である。というのも、この店、下の写真のように店内に並べられた野菜などの商品に表示されている価格はすべて原価なのだ。35%という数字は、先のコストなどから原価にプラス35%乗せて支払ってくれればこの店が持続可能なかたちで運営できますという目安である。

このしくみの背景にあるのは、地域の生産農家などが健全に運営できるよう適正価格を守るということだ。

まずは生産者が生きていけるだけの適正料金で支払うことであり、自身の経営はその次に設定するという生産者への責任意識も存在する。通常、小売よりも交渉の立場上低くみられる生産者への責任をまず自らが十分に果たし、自分たちの命運は信頼できる消費者にゆだねるわけである。

3章 社会的連帯経済を推進する世界の運動

店舗自身のことよりも生産者の生活を重視して、店舗自身のことは、店舗を利用する住民たちに委ねる。
その運営ポリシーの結果起こることが素敵だ。

自由の市付近の定住所を持たない労働者や社会的弱者が来店することもしばしばあるという。その様子を目撃する他の消費者が40%や50%などの上乗せ分を払い、その分自由の市の維持発展に貢献する配慮がしばしば見られるという。

3章 社会的連帯経済を推進する世界の運動

自由の市が地域のなかでの連帯を生み出している。
地域全体で生産者の生活を守り、生活困窮者の生活を守る共助型の社会が生み出されている。
地域の人それぞれが地域の持続可能性にコミットできるようにする自律分散型のしくみだ。

本来、まちや社会のスマート化は、こうした共助型の自律分散型の社会を実現するためにあるものだ。デジタルにより自律分散型のコミュニケーション、エネルギー生産と利用、輸送や移動のインフラが協同所有、協同利用、協同生産できるようになることに意味がある。
サンパウロの自由の市なような生産コスト、販売コスト、輸送コストをオープンにし、みんながその生産、流通、そして廃棄や循環も含めて地域の持続可能性にコミットしできるようにするためにもデジタル化と協同組合のしくみがあるべきだ。

まあ、そんな動きも遅ればせながら日本でも生まれてくる予感がある。これから楽しみである。


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