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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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#美術

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展@国立西洋美術館

ようやく美術展に行けた。 上野の国立西洋美術館で開催中の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を観にいった。 ほんとにひさしぶりな気がした。最後に観たのが、今年の1月に行った「ハマスホイとデンマーク絵画」展だから半年以上経つ。 いつもなら、ゴールデンウィーク中にいくつかヨーロッパの美術館をまわっていたはずだ。今年はウィーンとプラハに行く予定でいた。それもなく、半年以上、実際に美術作品に触れることなく過ごした。美術作品を観ることへの恋しさはずっとあった。 この美術展自体も、

考える人、詩人

2015年に亡くなったポーランド生まれの美術史家、ペーター・シュプリンガーの『アルス・ロンガ − 美術家たちの記憶の戦略』を読んでいる。 またしても、パトスフォルメル的なイメージの反復の例がみられて面白い。 どうやら、僕はこういう話が相当好物らしい。 1つ前で紹介したカルロ・ギンズブルグの『政治的イコノグラフィーについて』でもそうなのだけど、歴史上、時代を越えて類似のイメージが意味を変えながら繰り返し浮かび上がってくることがある。 アビ・ヴァールブルクはそれをパトスフォルメ

没後90年記念 岸田劉生展@東京ステーションギャラリー

学び、自己鍛錬に関しては、昔の人にはかなわない。 それにくらべれば、今の僕らの学びに対する姿勢など、ないにも等しいと自己嫌悪的に思えるくらい、たとえば、明治期を生きた人たちの当時の学びへの姿勢をみるとその覚悟と実際の学びの結果の強さを感じる。 これは本当にもうずっと前から事あるごとに感じていたことで、だからこそ、なんとかすこしでもそれに近づこうと学びは怠らないようには日々過ごしているつもりだ。 だが、それが「つもりでしかないかも」と思えたのは、昨日も東京ステーションギャ

不在者の影

夏休みの旅行で山形に来ている。 今日は台風の影響もありつつも、酒田市を観光した。 訪れた場所の1つである本田美術館は、戦後の農地解放まで日本最大の地主と呼ばれた本田氏の別荘を元にしたものだ。 4代当主である本間光道が1813年に建造した清遠閣という建物が残っている。 壁に映る鶯の影その建物の2階に上がる階段の欄間にこんな梅の彫刻がある。 白い壁に映った彫刻の影を見てほしい。 鶯らしい影が映っているのがわかるだろうか? 梅に鶯、まあ題材としてはよくある。 しかし、もう

ドラクロワとユゴーと

1814年のナポレオン没落後、フランスは王政復古の時代に入る。 24年までをルイ18世が、30年までをシャルル10世が王位に就いた。 この復活したブルボン王朝は、まるでフランス革命など、なかったかのように、貴族や聖職者を優遇し、市民は不満を募らせた。 シャルル10世は国内の不満をそらすため、1830年にアルジェリアへの侵略を開始。それでも不満はおさまることなく、シャルル10世は自由主義者の多かった議会を解散し、選挙権を縮小する勅令を発した。 これにより市民の不満は爆発。立憲

ユーモラスな継ぎ接ぎ

このGWにローマに行って感じたのは、街がいくつもの時代が地層のように折り重なってできているということだ。そういうものだという、あらかじめの知識はあって行っても、直に目にするとやはり感心する。 古代の遺跡の上に、中世やルネサンスの建物が自由に覆いかぶさるように建っている。二重三重と古い構造物の上に、新しい構造物が継ぎ接ぎされる。その継ぎ接ぎだらけの建物を現代的な内装やお店の看板が覆う。道行く車が建物を影に隠してみたりする。 異なる時代が混じり合いつつも、互いに排除しあうこと

神を迎え神送る道行の向こうには人新世が……

日本の家屋には、ハレの出入り口とケの出入り口があるという。 ハレの出入り口のほうは庭から入って縁側を通って座敷に入るそうだ。 門のそばの庭木戸から池などをめぐりながら庭をあるき、靴脱石から縁をとおって座敷にはいるのが正式の玄関だった。 と『日本人と庭』で上田篤さんが書いている。 縁側に靴脱石があるところ、それがハレの出入り口。 しかし、それは……、 いいかえるとそれは神迎えをし、また神送りをする道行である。あるいはその家の祖霊がやってきて、去る道でもあった。

牛、蜂、そして、百合の花

古今東西問わず、さまざまな神話をみると古代の人々のなかに「変身」という概念がごく当たり前のようにあったのだろうということに気づく。 西洋であろうと、東洋であろうと、はたまた現代においてもアメリカ大陸先住民の神話の世界であろうと、いまでは信じがたいくらい異質なもの同士のあいだの形態変化がごくごく普通に語られる。そこでは明らかに僕らが信じているのとは、まるで異なる世界の存在および生成の原理が信じられているのだ。 「この全世界に、恒常なものはないのだ。万物は流転し、万象は、移り変

パリとローマのエジプトかぶれ

今回、ローマとパリを旅行する前に、バルトルシャイティスの『イシス探求』を読んでいた。 きっかけはヤン・アスマンの『エジプト人モーセ』を読んだことだ。ヨーロッパとエジプトのつながりに興味を持ったので、エジプトの女神イシスを題材にしたバルトルシャイティスの本を手にとったのだった。これが旅行直前の心理状況において、殊の外、興味をそそる内容だった。 こんなことが書かれていた。 「パリは河の中に作られた都市であり船をシンボルとしている。この船とはイシスの象徴である」と。セーヌ川の中州

感染するイメージ

パリで美術館をはしごして過ごしている。 この2日間で、ルーヴル美術館、オルセー美術館、リュクサンブール美術館、ドラクロワ美術館、ピカソ美術館を回った。あと残りの2日間もいくつかの美術館を訪れるだろう。その前のローマも含めれば、このGW中、かなりの数の美術館を回ったことになっているはずだ。 こうやって短期間でたくさんの作品を観てまわっているからこそ、気付くこともある。それは西洋美術史の流れの中では先行する芸術家の作品をベースに自分の作品をつくる芸術家がそれなりに多いというこ

幻惑のローマ

どうやら行く場所がマニアックな傾向があるようだ。 前からローマに行く機会があれば絶対に行きたいと思っていて、今回颯爽と出かけたヴィッラ・ファルネジーナ・キージも、観光客らしい人は比較的少なかった(途中で団体客がやってきたけど)。 それに比べて、ローマ滞在4日目にしてようやく足を運んだスペイン広場の人の多いこと。これは楽しくない。 当然、ゆっくりお目当てのラファエッロ作《ガラテア》をみることができたキージ荘のほうが楽しかった。 異教の神々を嗤うさて、ヴィッラ・ファルネジー

サン・ピエトロ広場の虹の下で

ローマに旅行中。 すでに3日目の夜。 今日はヴァチカンを訪れ、ヴァチカン博物館とサン・ピエトロ大聖堂を見学した。 博物館に行く途中に雨になり、途中、降ったりやんだりした後、サン・ピエトロ大聖堂を見終わって、広場に出たところ、虹が出ていた。 しかも、うっすらだが、二重になった虹。小さな奇跡。 本物の凄み奇跡といえば、そのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの有名な作品《ピエタ》は凄かった。 先に、ヴァチカン博物館でレプリカを見てしまったせいもあるのかもしれないけど

面白い仕事をつくる

200本目のnote。 1年と3カ月ほどで到達。まあまあのペースで更新できてるのかなと思う。 さて、1つ前の「知ることと創造と。」といnoteで、僕自身、仕事をする際に大事にしてることは「自分自身で力が湧いてくるような環境を整えること」だと言い、具体的にはどういうことをしているといえば「取り組む仕事を面白いものになるようデザインした上ではじめること」だと書いた。 もうちょっと、そのことについて書いてみたいなと思ったので書く。 200本目にして自己紹介をしてみようと思ったの

人工物としての自然

風景ははじめからあったわけではない。 そのことに僕らは気づくべきである。それ自体が人工物であるということに。 奇妙に思われるかもしれないが、何世紀もかかってようやく画家たちは気づいたのである、風景は主題の背景として役立つだけでなく、それ自体で主題になりうることに。 こう書くのは『ローマ百景』のマリオ・プラーツ。 風景画の誕生をプラーツは、「この絵画革命は17世紀前半ローマでなされた」とする。 それまでの絵画における風景は、前景の人物たちが織りなす歴史的ドラマのあくまで