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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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2020年9月の記事一覧

意思をもって流れに身を任せる

仕事をする際――いや、もっと広く日常的に暮らしているとき全般に言えることだと思うが――、何をするにも他者のことを慮ることはとても大事で、かつ、そうすることが当たり前なことだと思う。 自分たちが望む状態を実現し、かつ、それができるだけ持続できるようにするためにも、自分本位でだけではなく、利他的な視点ももって、事を進めなくては、よい結果は得られない。 そうじゃないと、苦労しても水の泡になることもある。 だから、どうやって進めるかを考えることは大事だ。 何のために、どうやって

吝嗇(りんしょく)とデザイン

吝嗇。「りんしょく」と読む。 意味は「極端に物惜しみすること」。つまり「ケチ」。 節約が度を越すと吝嗇となる。 1つ前で紹介したデヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』。 実は、そこですこし書き足りなかったこともあって、それが吝嗇あるいは節約の問題である。 でも、グレーバーの話に入る前に、すこし遠回り。 グレーバーのいう節約とは真逆の位置にある芸術について、すこし書いてみたい。 浪費の一様式としての芸術「芸術とは浪費の一様式であり、なにものかをその功利的価値のた

わかるとはどういうことだろう?

わかることに苦手意識をもっている人。 そういう人は、わからないということに必要以上に怯えていたりするんではないだろうか。 自分だけわかってないと疎外感を感じる? わかってないとダメなんじゃないかと不安? でも、ちゃんと考えてみてほしい。 この世界、そんなにわかってることだらけのはずはないではないか。むしろ、わからないことだらけで当たり前だろう。 わかることができないことにそんなに怯える必要もない。 もし、決定的にわかってないことがあるとすれば、そのことだ。 この世界は

読むことと意思

文章だとわかりにくい。 話さないとわからない。 これっていったいどういうことなのだろう。 文章の方が自分のペースでゆっくり吟味できるから、わかるのに向いてそうだ。 でも、「テクストベースのチャットツールだと伝わらないので、zoomで話しましょう」というのはよく言われることだ。 文章だとわかりにくいものが、口で説明するとわかったと言われることもある。 なんで、そんなに文章だとわからないとなるのだろう? 不思議じゃない? なんでだと思う? 話し言葉だとわかるという幻

デヴィッド・グレーバー、「経済とは何か?」を問う

亡くなってはじめて、その人の偉大さに気づかされるということばかりをくり返す。 僕ら人間はそんな愚かな存在だ。 デヴィッド・グレーバーのことも先日、訃報を知ったあと、いろいろ調べるようになった。 あらためて調べてみればみるほど、デヴィッド・グレーバーという人の存在の大きさを感じている。 そのなかで『民主主義の非西洋起源について』の出版元である以文社のサイトにある、いくつかの記事を読みながら、思ったことを書いてみたい。 経済とは何か?「コロナ後の世界と「ブルシット・エコノミ

居場所

みんな、弱っているのかな。 日に日にそういう風に思うことが増えてきているように思う。 街に、職場に、人の気配や交流が少なくなっているのは仕方ないとしても、なんだか、それとは本来無関係なはずのネット上での発言や閲覧も減っている印象がこの数ヶ月あって、それはますます顕著になってきている。 そう、感じません? 身体的な動きをともなう活動が減っているだけでなく、ネットを見たり発言したりというような精神的なものが中心となる活動も同時に減ってしまうというのは考えさせられる。 身体を使

デヴィッド・グレーバー死去

いま、ちょうど読んでる『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』。(読み終わった!) その著者で人類学者のデヴィッド・グレーバーが昨日亡くなったとのこと。とても興味深く読んでた途中で知ったので、驚いた。 59歳、若い。もったいない。 今年の5月に『民主主義の非西洋起源について』も読んで、「何気なく買った本に、僕は心を掴まれた」と書いて、すごく好きな著作家がひとり増えたなと思って喜んでただけにこの訃報はショックだ。 『ブルシット・ジョブ』のほかに分厚い『負債論』も