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2021年『紅白歌合戦』で氷川きよしが美空ひばりの歌を歌う意味

新年を迎え10日が過ぎたがいまだ大晦日『紅白歌合戦』の氷川きよしのパフォーマンスに興奮冷めやらないでいる。
「年末年始、何してましたか?」の恒例の挨拶に「紅白歌合戦での氷川きよしの歌がよすぎて、えっと何がよかったかって……」とまくし立ててやや引かれる、というのをうっかりこの数日で何度も繰り返してしまった。

でも、それぐらい、よかった。

今年彼が披露したのは美空ひばりさんの『歌は我が命』。個人的にもともと大好きだったこの歌を、2021年氷川きよしさんが歌うと知って鳥肌が立った。曲が始まり、黒い衣装に身を包んだ氷川さんに一筋のスポットライト、彼は静かに歌い出す。

どうしてうたうの そんなにしてまで
ときどき私は 自分にたずねる
心のなかまで 土足で踏まれて
笑顔のうしろで かげ口きかれて

大、号、泣……でした……。

私はわたし、を知らしめた2020年の氷川きよし

2020年、SNSでにわかに話題となっていた氷川きよしの「kiina化」。私たち30歳前後の世代の多くにとって演歌界のプリンス・氷川きよしは、アイドルのように愛でるというよりは、「年に何度か歌番組で見る国民的演歌歌手」程度の位置付けだったのではないだろうか。そんな彼が自身を「kiina」と呼び、何やら“開花”しているという。そんな姿をどこか冷ややかというか、揶揄する気持ちで受け止めていた人も当時は少なくなかったはずだ。それには、幾度となく週刊誌などのメディアで騒ぎ立てられた「噂」やゴシップなんかも影響しているかもしれない。

誰もが言った。

「氷川きよし、どうしちゃったの?(笑)」

そう、うしろには必ず「(笑)」がついていた。LGBTQや多様性といった価値観をどれだけ頭で理解しているつもりでも、何十年も見ているテレビの向こう側の人が目に見えて変わっていく様子は、彼の本心を知る術が少ないだけに、受け入れにくいものもあった。かつての彼が「アイコニックな王子様」だっただけに、尚更。

しかし、そんな世の中の反応に対し、ひとつの「答え」を突きつけたのが2020年末の紅白歌合戦でのパフォーマンスだった。激しいロックナンバー『限界突破×サバイバー』を引っさげ登場し、白い衣装から赤い衣装、さらには華やかなゴールドの衣装へと早着替えをしながら駆け抜けるように曲を歌い上げ「演歌歌手・氷川きよし」そして「女性が紅組・男性が白組の紅白歌合戦の伝統」を“限界突破”し大きな話題となった。その圧倒的なパフォーマンスはまさに世間への「私はわたし」というアンサーだった。

あのパフォーマンスを見たとき、「氷川きよしには、これから自分の好きなように生きていってほしい」と、少なくとも私たちミレニアル世代とそれ以下の若者たちは心からの称賛を送ったことと思う。(あまり世代でくくるのも違うかもしれないけれど)
しかしそれと同時に多くの国民が視聴する番組なだけに、嫌悪感や戸惑いの声が上がったことも見逃せない事実だった。

ありのままの「kiina」の、その先へ

そして、2021年である。彼が選んだ曲が『歌は我が命』。冒頭に書いた歌い出しの歌詞を思い出して欲しい。

どうしてうたうの そんなにしてまで
ときどき私は 自分にたずねる

これなのである。「氷川きよし、どうしちゃったの?どうなりたいの?(笑)」そんな言葉きっと氷川きよし自身が一番自分に突きつけてきたであろうことに気付かされる。

「私はわたしなのだから、好きに生きてよい」……それは、マイクを置き、世間とはサヨナラし、自分のためだけに暮らす選択への肯定とも言える。それでも、変わりゆく姿を世の中に晒しながら(あえて、晒すという言葉を使います)彼はステージに立ち続ける。歌詞はこう続く

それでも私は
うたい……うたい続けなければ
その胸で私の歌 うけとめてくれる
あなた! あなた! あなた!………
あなたがいるかぎり

彼は選んだのだ。どんな姿や心情になろうと、「きよし!」と声援を送るマダムたちや、酒を飲み年越し蕎麦をすするテレビの前の私たちに向けて歌い続けることを。しかもその中には決して今の自分をよく思わない人もいるだろうに。

な、泣けるすぎませんか……?

畳み掛けるように二番の歌詞はこう切り出す

この次この世に 生まれた時にも
やっぱり私は うたっているだろう

ここでだんだんと、美空ひばりさんの姿も頭の中でリンクしていく。あまりにも若くして命を燃やし切ったようにこの世を去った美空ひばり。彼女もまた幼かったデビュー当時はその早熟な歌声と浮世離れしたパフォーマンスに「子どものくせに気持ちが悪い」と業界内外から評されることも少なくなかったのだそうだ。それでも生涯「お嬢」でいることを辞めることなく国民の心を魅了し続けた。

「この次この世に生まれた時にも やっぱり私は うたっている“だろう”」どこか他人事のようにも捉えられるこの歌詞からは、悟りのようなものさえ感じられ、美空ひばり・氷川きよし共にこのパートを歌う表情は不思議といつも優しい。その姿にはやはり涙せずにはいられないのである。
歴史に残る天才はいつも、自分の中にある天性の才能を知ってしまったこと、知ったからには天才として生きるしかないことに、どこか一抹の諦めのようなものを抱きながら、誰よりも自分に自分を問い、他人に人生を預けて生きていくのかもしれない。そして大サビ

いつの日も私の歌 待っていてくれる
あなた! あなた! あなた!………
あなたがいるかぎり

と、最後の最後まで「客席にいるファン」のことを想う歌詞で、歌は締め括られる。

『歌は我が命』、この歌は「私はわたしとして生きる覚悟」のさらに上をいく、「私はあなたたちのために生き続けるという覚悟」の歌なのだ。
2020年の年の暮れ、勝手ながらにぶつけた「自由に生きてね」の思いに対し2021年の年の暮れ、彼は「私はみんなの前でうたい続ける」という次の答えを差し出した。もう、それがどれだけすごいことか。

歌は宿命であり、ときにかなしみでありながら、それでもどうしたって息をするのと同じぐらい大切な命なのである。そしてその命は、ファンによって生かされている……と、宣誓とも言えるフレーズを歌いきり強い眼光でこちらを見続ける彼の姿で、番組の出番は終わった。

ちなみに、美空ひばりが晩年この歌を歌う映像では一番の歌い出し「どうして うたの そんなにしてまで」の部分は氷川きよしの歌う少し緊迫感のある雰囲気とは違い、ちょっと困ったような、余裕のある歌い方でどちらの解釈もすごく良い。ぜひ、見比べ、聴き比べてみてほしい。

(『歌は我が命』歌唱パートは動画3分半ごろから)

「うたい続けなければ」と言わせない世界を

と、こんな具合に思いきり感動して年明けから知り合いに動画を見せまくっていたのだが、友人の夫にハッとすることを言われたこと記し、文章を結びたいと思う。

「それでも うたい続けなければ」の「続けなければ」ってところが、ちょっと怖いよね。

何気ない彼の言葉が、この曲や美空ひばり・氷川きよしの人生をまた違う角度から見るきっかけをくれた。
「それでも うたい続けたい」ではなく「続けなければ」。そのわけは「聴いてくれるファンがいるから」……。


(すみません、ここまで書いておいて正確な曲の発表年がうまく見つけられなかったのですが)この曲はおそらく1967年〜76年のどこかで発表されていて、当時の歌手という職業の価値観からいうとやはり「うたい 続けなければ」が正しいのかもしれない。美空ひばり以外にも多くの歌手や、また芸能に身を捧げた人たちはほとんど同じ気持ちで人前に立っていたことも想像できる。
しかし、令和の時代になり、「あなた あなた あなた……」と指をさされる側のファンである私たちの考え方も大きく変化した。「あなたのために歌う」と言ってくれることは嬉しいけれど、そんなことに縛られないで「うたい続けたい」という歌詞でもって、生きてくれたらと思う。そうでなければ、「宿命」が「呪い」になってしまうかもしれないと、だんだんと皆が気づいてきている。そういう時代になってきているのだ。

もしも氷川きよしが「うたい続けなければ」ではなく、「それでも 私は うたい うたい続けたい」と心から思うのであれば、私たちも「kiinaを受け入れ“続けなければ”」なんて思わず、温かい声援を送り続けられる。なぜなら私たちにとっても「(あなたの歌う)歌は我が命」だから。

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