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望月衣塑子さんが若者に語った「後悔」


はじめに

田中渉悟と申します。30歳です。

ジャーナリストの田原総一朗さん「田原カフェ」という会を開催しています。

10代から田原ファンで、猛勉強して田原さんの母校・早稲田大学に入学しました。在学中に田原さんが主宰されていた塾の門下生になり、卒業した現在は一緒にお仕事をしています。



田原さん(右)と私(左左


田原カフェは「田原総一朗がカフェの1日マスターに!」というテーマのトークイベントで、2022年の2月から始まりました。

月に一度、早稲田の喫茶店「ぷらんたん」で開催し、これまでに28回(2024年2月現在)開催しています。私は主に企画とゲストとの交渉、当日の進行役を任されています。

会の大きな特徴は「参加対象を若者に限定している」点です。

10代から30代前半までの参加者と、今年で90歳になる田原さん、そして様々な分野で活躍するゲストをお迎えし、世代を超えた熱のある対話が繰り広げられます。

前回は前明石市長の泉房穂さんをお招きしました。


▼過去の開催レポートはこちら


望月衣塑子さん来たる

去る2月2日の会では、新聞記者の望月衣塑子さんにお越しいただきました。


望月衣塑子さん(新聞記者)
 
1975年東京都生まれ。
 
慶応義塾大学法学部卒業後、東京新聞記者に。千葉、神奈川、埼玉の各県警や東京地検特捜部などで事件取材に当たる。
 
森友学園・加計学園問題において、菅義偉内閣官房長官(当時)会見で激しく追及する質問スタイルが話題に。
 
映画とNetflixのドラマ『新聞記者』のモデルになる。
 
二児の母。


望月さんは東京新聞の記者として活躍されています。

2017年頃から、安倍政権(当時)での森友・加計学園問題を厳しく追及したことで、一躍有名になりました。

菅義偉官房長官(当時)に真っ向から問いをぶつけたやり取りが、大きな注目を集めたのは記憶に新しいのではないでしょうか。

映画/Netflixドラマの『新聞記者』では、主人公の女性記者のモデルとして描かれました。




今回は「『おかしさ』に屈しないためには?」をテーマに、対話をしました。

新聞記者として世の中の「おかしさ」に声をあげ続ける望月さん。

たくさん新聞記者がいるなかで、どうしてこれほどまでに世間で知られるようになったのか。

望月さんが考える、ジャーナリズムの役割とはいったい何なのか。

当日の対話の様子をまとめました。よろしければ最後までお付き合いください。


「おかしさ」に声をあげること


田原カフェでは、会場に集まった参加者さんたちに自己紹介をしてもらってから、対話を始めます。

今回も30名ちかい方にお越しいただく大入り満員。

しかも、いつもより女性の参加者さんが多く、望月さんに憧れて報道の世界を志した女性の記者さんもいらっしゃいました。

本編の冒頭で、望月さんは参加者さんに女性が多いことに触れて、ご自身の経験を語ってくださりました。

「女性がたくさん来てくれたのはとてもうれしいです。私が2000年に東京新聞に入社した時、女性の記者は3割ほどでした。今は大手紙はほぼ半分は女性です。かつてはジェンダーの企画も通りづらかったけど、今は若い記者さんがそれまでにない切り口で記事にしています」



かつては女性の記者は「結婚・出産によって辞めていく」と思われ、採用の段階で大きな男女差があったといいます。

記者の仕事は「夜討ち朝駆け」のような、体力も精神もタフさが求められる場面も多く、男性の方が重宝されてきたのかもしれません。

紙面についても、ある大手紙では国際女性デーの日に記事を書こうと提案した女性記者が「そんなの書いてどうする」と却下されたこともあったそうです。

そんな状況も採用時点での男女比が均等になるにつれて、少しづつ変わってはきました。



しかし、いまだに地方ではジェンダーに対する意識が低く、地方に配属された新人の女性記者が、最初にぶつかる「壁」だそうです。

「新聞記者は最初、地方に配属されて警察取材などをする。そこでセクハラをけしかけてくる人とどう向き合うかが最初にぶつかる壁。地方に講演会に行くと、東京の大学でジェンダーを学んで記者の道に進んだ人から『セクハラを受けて悩んでいる、声をあげるべきか』と相談されたこともある」

望月さんも、その壁にぶつかった一人でした。

取材先で無理やりセクハラを受けて抵抗したり、後から「こういうことはやめてほしい」と伝えたこともあったそうです。



それでも、当時はセクハラについて「そんなもの」という認識もあり、「おかしい」と大きく声をあげることはしませんでした。

望月さんはそのことを「恥じている」と後悔していました。

「私が駆け出しの頃に問題提起をしていたら、今の記者さんたちがもっと働きやすい環境をつくれたかもしれない。私よりも下の世代の人たちが声をあげて変えようとしてくれている。みなさんも(おかしいことに)黙っていないでほしい」

悔悟の念を込めた口調で淡々と自らの経験を語る望月さんは、いつもの権力者に対峙する様子とはまるでちがっていました。

その姿はしおらしくもあり、お会いするまで一方的に抱いていた印象が崩れました。

この話題で引き合いに出されたのが、伊藤詩織さんでした。


伊藤詩織さん
出典:TIME


伊藤さんは元TBSの山口敬之氏から性加害を受け、それを告発したことで世界的に知られるようになりました。2020年、米TIME誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選出されています。

伊藤さんは1989年生まれ。1975年生まれの望月さんと一回り歳が離れています。

「ジャーナリズムは権力を監視するものだが、これからはより『人権』について声をあげる役割も求められる。セクハラもパワハラも『かつてはこんなものだった』と思われていたものが許されない時代になったし、誰もが声をあげられるようになった」

望月さんは自分より若い世代に「風穴を開ける」役割を期待しつつ、自身もジャーナリストとして権力者に厳しく対峙し、声をあげ続けています。

その原点には、駆け出し時代に自身が味わった、理不尽に対して何も出来なかった後悔があったのです。


菅官房長官との「喧嘩」

今回、望月さんをお招きしてくれたのは田原さんでした。田原さんは望月さんを記者として尊敬しています。

そこで「望月さんのどういったところを評価しているか」と聞いてみました。

「彼女は菅さん(当時の官房長官)と真っ向から喧嘩した。普通は新聞記者といえども、あそこまで厳しくできない。他の新聞社なら左遷される。望月さんを干さない東京新聞はえらい」



東京新聞という組織の一記者である望月さんがここまで知られるようになったきっかけは、菅義偉官房長官(当時)との「喧嘩」でした。

森友学園・加計学園問題が取りざたされていた2017年、望月さんは菅官房長官の定例会見に出席するようになります。

森友学園問題では、大阪府豊中市の国有地が不当に安く取引された疑いをめぐり、土地を購入した森友学園と安倍晋三内閣総理大臣(当時)の関係性、土地の売却を担った財務省の公文書改ざん、改ざんに関わった財務省職員の自殺など、次から次へと問題が明らかになりました。

加計学園問題では、愛媛県の国家戦略特区に加計学園の獣医学部を新設する計画に、同じく安倍首相の関与が疑われたり、それを裏付ける文部科学省の内部文書の存在の有無が追及されました。


菅義偉官房長官(当時)
出典:首相官邸


官邸の中枢で定期的に質問できる機会は、政府の広報担当である官房長官の記者会見だけでした。

望月さんは官房長官会見を担当する部署ではありませんでした。

ところが、東京新聞は部署間の垣根が低く、自ら出席を志願したら、思いがけず叶ったのです。後に語り継がれる「喧嘩」が実現したのは、東京新聞ならではの事情もあったおかげと言えるでしょう。

初めて会見に出席した時のことを、望月さんは著書『新聞記者』(角川新書、2017年)に書いています。


6月6日午前11時前。記者会見場に初めて足を踏み入れた。実はこの日は様子見のつもりで行ったのだが、いざ会見がスタートすると、質問したいという思いが抑えきれなくなっていた。

「東京新聞、望月です」

演劇で鍛えた大きな声をさらに絞り出した。

(中略)

質問を重ねるうちに、初日から進行役の男性から「質問は簡潔にお願いします」と注意されてしまった。状況を説明してから質問しなくては、と思ってのことだったが、長いと思われたようだ。

ただ、怯んだり、遠慮する気持ちはわかなかった。菅長官とのやりとりに集中していたし、会見場の「空気」もまったく気にならなかった。気づかなかったといった方がいいかもしれない。

望月衣塑子『新聞記者』(角川新書、2017年)P.142-143


望月さんは会見の場で、森友・加計学園、そして伊藤詩織さんの事件(直前で安倍首相と関係が近い山口敬之氏の逮捕が取りやめになる)への官邸の関与について、菅官房長官に問いただします。

望月さんの質問は、なんとなく慣例になっていた一人あたりの質問時間を大幅に超えたもので、菅官房長官が答えていないと感じたら質問をしつこく繰り返したのです。

しかし、それに対して異を唱えてきたのが、同業の新聞記者たちでした。

二度目の官房長官会見に臨んだ後、望月さんの携帯に電話がかかります。東京新聞の官邸にいる記者を取りまとめる立場の方(官邸キャップ)からでした。


キャップは苦り切った様子でこう言った。

「一つひとつの質問の時間が長すぎたり、一人で何度も質問することで、定例会見での質問が一人一問に制限されたり、定例会見自体がなくなる懸念があるって。記者クラブの総意として伝えられたよ」

(中略)

電話を切ると、自分の中にむくむくと抑えきれない思いがふくらんできた。記者たちは想像していたより、はるかに政権側に寄り添っているように思えた。ああいった質問をすることも認めないのか。それを総意とした事実に、私は愕然とした。

望月衣塑子『新聞記者』(角川新書、2017年)P.169-170


望月さんは菅官房長官だけでなく、同業の記者たちからも奇異の目を向けられていたことを察します。

権力を批判する新聞記者といえども、情報を取るためには時に政権側とも良好な関係を維持する必要があります。

望月さんの執念深い質問スタイルは、そうした記者と政権の関係性を壊しかねないものであり、菅官房長官にも同業の記者たちにも「困った輩」として認知されたのです。

「菅さんは『飴と鞭』を上手に使っていた。当時は安倍さんが東京新聞や朝日新聞のような左寄りのメディアに厳しかったが、菅さんが代わりに情報を与えたりしていた。その分、記者たちは菅さんに恩義もある。だからこそ『望月ふざけんな』という感じだった」


女性だからこそ叩かれる?


たしかに、望月さんの質問の仕方にも問題があったのかもしれません。

それ以上に、望月さんが女性だからこそ、同業の男性たちから「厄介」に思われたのではないかとも思いました。

以前よりも「ジェンダー平等」のかけ声が唱えられている日本社会とはいえ、政治も経済もまだまだ男性中心。

記者の世界も例外ではなく、そんな中で目立ってしまう望月さんに対する蔑視や嫌悪感(ミソジニー)もあるのではないかと思ったのです。



「実際、私に対するミソジニーはすごく感じる。ある右派系の新聞はいつも『望月衣塑子が大暴れ』などと見出しに書く。そこの記者に聞いてみたら『(そう書くと)バズるんだよね』と笑っていた」

最近、望月さんは官邸の記者会見にとどまらず、ジャニーズ事務所(現・株式会社SMILE-UP)の性加害問題の会見にも出席されていました。

「東山敬之さんに対して、私の質問の仕方にも問題があったけど、他の男性記者も厳しく追及している。それでも記事で見出しになるのは『望月衣塑子が~』になる」

ひどい話ではありますが、望月さんのあっけらかんとした話しぶりに、会場からは苦笑いが漏れました。



望月さんがここまで叩かれてもめげないのは、自身に対する応援の声もあるからだと言います。

望月さんのSNSには、望月さんの問題提起に賛同する当事者の方々から、応援する声がたくさん届くそうです。

「叩かれて痛いけど、その分励ましの声もたくさんいただく。当事者の方から『勇気づけられました』とメッセージをもらうこともある。叩かれ甲斐もある」

叩かれ甲斐、という言葉から、望月さんが覚悟を持って「新聞記者」という生き方をしていることがうかがえました。

男性中心の政治と記者の世界で、大勢に同調せず、異を唱え続ける望月さん。

何かと目立ち、お騒がせな人のような扱いもされる時もありますが、心無い声にも屈しないのは、しっかりと自分が声をあげる「おかしさ」が、誰かに届いている確信があるからこそなのです。


ジャーナリズムの役割


会場から「ジャーナリズムの役割とは何か」という質問もでました。

望月さんは権力者に鋭く問いをぶつけ、おかしいことに対して声をあげています。

一方、田原さんは権力者を批判しつつも「こうすべきではないか」と提案をすることもあります。時に首相官邸まで赴き、首相と直接話すことさえあります。

二人とも同じジャーナリストでありながら、方向性は異なっているように見えます。



田原さんが現在のあり方に至ったきっかけは、自身がかつて総理大臣を3人失脚させたことでした。

「僕は総理大臣を3人失脚させた。海部俊樹、宮澤喜一、橋本龍太郎。これがきっかけで、批判だけではなく、対案も出すようになった」

その当時のことを自伝『塀の上を走れ』(講談社、2012年)でこのように振り返っています。


権力というのは、こちらが真っ向から批判すれば、何か別のアイデアを出してくるものだと思っていた。ところが、アイデアが出るどころか、首相自身が倒れてしまう。つまり、権力といっても中身がスカスカで何も無いことに気づいたわけだ。「こんなことをいくらやっても、政治が迷走するばかりで、この国は変わらない」と思い悩んだのだ。

これが転換点となって、私は自分の生き方を修正する。ただ権力を批判するのではなく、こちらからも対案を出すことにしたのだ。

田原総一朗『塀の上を走れ』(講談社、2012年)P.313


総理大臣を3人失脚させてから、田原さんは総理大臣を批判するだけでなく、直接会って「こうするべきではないか」と提案を出すようになったのです。

実際に橋本龍太郎以降の小泉純一郎、安倍晋三ら総理大臣には、外交から内政まで、幅広く助言をし、その通りに事が進んだこともありました。

そんな田原さんを「体制側になった」と批判する人もいますが、田原さんは「今や体制も反体制もない」と考えています。

与野党問わず、提案もするし、時には批判もする。自分の意見も持ちつつ、どの政党ともフェアに付き合います。



望月さんは、田原さんのことをリスペクトしつつも、あくまでもジャーナリストの役割は問題を提示することだと言います。

「麻生太郎(自民党副総裁)が上川陽子(外務大臣)に『あんまり綺麗ではない』と言っていたが、あれは海外だと辞任に相当する。政府として『ジェンダー平等』と言っているのにあんな発言が出るのはおかしい。なのに、官房長官会見で誰も聞かない。私はそこを問いただしたい。それは提案ではないかもしれないけど、問題に対して声をあげて関心を集めたい」

麻生太郎副総裁の発言のように、男性中心の組織で女性を蔑視するような発言に傷ついている女性がたくさんいるかもしれません。

政治の中心で起こっているおかしい出来事について誰も声をあげなかったら、そのままおかしいことがおかしいと認識されないまま、社会に広がってしまうかもしれません。

だからこそ、望月さんは声をあげるのです。



望月さんを批判する声には「対案を出せ」というのもあるそうです。

それでも、対案を出すこと以上に「おかしさ」に対して声をあげることに、自身の存在意義を見出しています。

望月さんは、かき消されそうな小さな声を救うためにこそ、権力者に真正面から対峙し、大きな声をあげているのです。


新聞記者に求められているのは黙っていれば発表されるニュースを半日、早く報道することではない。読者が知りたいと思っていること、だれもが気付いていない問題を察知し、世に問うこと、それしかない。

望月衣塑子『報道現場』(2021年、角川新書)P.75‐76


これから望月さんに続く気概のある記者が増えることで、まだまだ埋もれている小さな声がきちんと拾われていく世の中になると信じたいです。


まとめ

会の終盤、私は望月さんに「望月さんは政治家にならないのか?」と聞いてみました。

世の中を変えるなら、ジャーナリストで批判するよりも、政策をつくる方が手っ取り早いのではないか、という疑問もかねてから抱いていたからです。

流行りの言い方をすれば、その方が「生産的」ではないかとさえ思っていました。



それに対し、望月さんは「ならないです」と苦笑い混じりに淡々と返しました。

それを聞いて、つまらないことを聞いてしまったなと、自分の問いを恥じました。

望月さんのように権力者に直に対峙し声をあげるのは、誰もが出来るわけではありません。職業としてのジャーナリストの責務であり、社会を変える力があります。

そして、望月さんが日々対峙している権力は、永久不滅のものではありません。私たちは民主主義で権力者を選び、表現の自由で声をあげることができます。

その権力を先頭に立って対峙し、おかしなことには声をあげて問題を提示する。

「ジャーナリストは空気を破る存在である」と田原さんもいつも言っていますが、まさに望月さんも体を張って世の中を変えようとしているのです。



望月さんは会場のみなさんにも「どんな立場であれ、おかしいことには声をあげてほしい」と呼び掛けました。

SNSがあたりまえになっている今、これまでおかしいとも思われなかったことに対して、誰もが声をあげて、連帯することで、大きなうねりを生みだすようになりました。

おかしいことに声をあげるのは、ジャーナリストの仕事でもありますが、そうでない人々が社会を変えるための最初の手段でもあるのです。


あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。


望月さんが大事にしている、ガンジーの言葉です。

望月さんの「しなくてはならない」ことは、この日集まった一人ひとりにも、出来ることなのでしょう。



ご参加ありがとうございました!




<参考文献>

望月衣塑子『武器輸出と日本企業』角川新書、2016年

望月衣塑子『新聞記者』角川新書、2017年

望月衣塑子『報道現場』角川新書、2021年

田原総一朗『塀の上を走れ』講談社、2012年


<撮影>

Photo:Yosuke Sato


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