石破茂さんと呑みながら「なぜ総理大臣になれないのか」トークした
9月25日。石破茂さんが、早稲田の「ぷらんたん」に来た。
2022年の2月から月に一度開いている田原カフェは、この日が過去最高の参加者数となった。
築70年以上の店舗にあふれそうなくらい人が集まり、床が抜けるんじゃないかとマスター夫妻が心配するほどだった。
石破さんが会場に登場すると、歓声があがった。「総理大臣になれない」石破さんだが、まだまだ人気は衰えていない。この一か月前の世論調査でも「次の総理にふさわしい人」のトップにあげられていた。
びっしりと若者が詰まっている中をかき分けるように正面に進む様子は、まるでプロレスの入場のようだった。
憲法改正、地方創生、自民党総裁選(4戦4敗)など、石破さんならではの話題がトークの大半を占めたが、石破さんの政治思想の話にもなった。
石破さんが2018年の自民党総裁選に、故・安倍元首相の対立候補として出たとき、いわゆる保守系メディアから「石破叩き」が起こった。
安倍さんも石破さんも政治的に「保守」と言われている。憲法改正という同じやりたいことがある同志のようにも見えた。
だが、私は日本の政治において多用される「保守」と「リベラル」の構図そのものを、この場で確認したいと思った。今の日本の政治家は「保守」を自称する人があまりにも多いと思ったからである。
一般的には、憲法改正(とりわけ9条)なら保守/護憲ならリベラル、性の多様性を認めるのがリベラル/伝統的な家族制度を守るのが保守、といった考えのちがいが、保守とリベラルの構図になっているだろう。
だけど保守である自由民主党は英語にするとLiberal Democratic Party(LDP)であり、本来はリベラルな政党であるはずである。
そこで石破さんに「保守とは何か?」と聞いてみた。
すると「保守とはリベラリズムである」と返ってきた。
リベラリズム。政治的な立ち位置としての「保守/リベラル」ではなく、政治思想としての「リベラリズム」こそが保守である、ということらしいが、何だかよく分からない。
東京大学名誉教授の井上達夫氏によると、リベラリズムは「啓蒙」と「寛容」を大事にし、「因習や迷信を理性によって打破し、その抑圧から人間を解放する思想運動」としている。(『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください―井上達夫の法哲学入門』より)
石破さんは「これこそ真の保守のイデオロギーである、というのを私は信用しない」「大切なものを守るためには変えていかなきゃいけないこともある」と自身の保守についての見解を述べたが、変化を受け容れることを認めることは、リベラリズムの「寛容」と重なる。
「安倍さんと石破さんの『保守』は何がちがうのか?」と、田原さんがさらに質問した。
石破さんは「『保守』と『右翼』はちがう」と前置きをしたうえで「戦前には間違いもあったと思っている」と答えた。
石破さんは大日本帝国時代の政策を全否定はしない。
かつて日本のアジアでの植民地政策は、現地に大学をつくり、衛生環境を整え、交通網を整備し、近代化に貢献した。それは帝国主義時代に欧米列強がアジア諸国に施したこととまるでちがう。そこは石破さんも評価していた。
「戦前の間違いって?」と田原さんがさらに食い込んだ。
石破さんは「負けると分かっている戦争をあえてやったことです」と即答した。
負けると分かっている戦争。その考え方のベースにあるのが、猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』である。
日米開戦は昭和16年の12月。実はその年の夏、日本の敗戦は精密に予測されていた。
30代の若手官僚などの優秀な人たちで組織された「総力戦研究所」は「日米戦日本必敗」の結論を出した。戦争を始める前から、すでに負けることは予想されていたのである。
だがそれでも戦争に突入したのは、形骸化した意思決定の会議であり、バラバラな政府組織の対立であり、資源の情報を開示しなかったからであり、そして「空気」に負けたからである。
そして、広島と長崎への原爆投下を除けば、現実は総力戦研究所の予測通りの推移をたどったのだった。
「日本国は継続している。戦前の過ちを繰り返さないように検証しないといけない。国家の継続とはそういうことです」
「防衛庁長官としてシンガポールに行った時、リー・クアンユーから『君は戦前の日本がシンガポールに何をしたのか知っているのか』と言われたのがショックだった」
故・安倍元首相は「戦後レジームからの脱却」を唱えて「歴史修正主義」と諸外国から批判された。靖国神社にも参拝し、近隣諸国のみならずアメリカからもバッシングを受けた。
石破さんは基本的に靖国神社には参拝しない。「天皇様が参拝できるようにならないと(参拝に)行かない」と、休み時間に話してくれた。
安倍さんと石破さんの「保守」は、戦前の歴史をどう捉えるか、のちがいだったのである。石破さんの歴史観は、今の自民党の主流ではないのかもしれないし、ちがう思想の人たちから反発も招いているのかもしれない。
だが、かつての自民党には戦争のおそろしさを体験しているからこそ、過去の過ちを認める政治家もいた。
石破さんの師匠でもある田中角栄は「あの戦争を知っている人間が政治家でいるうちは大丈夫だ」といつも語っていたらしい。角栄は日中戦争に動員されていた。
国の独立を守るための組織である軍隊が暴走し、負ける戦争に突入したのが戦前の最大の悲劇だったとしても、そのために今を生きる我々がどうするかは意見が分かれる。戦前の過ちを忘れないために憲法9条を残すべきだと主張する人もいるだろう。
だが石破さんは、過去の過ちを認めたうえで、民主的に統制された軍隊を持つべきではないかと主張している。そのために憲法を改正するだけでなく、安全保障の基本法も制定すべきだとしている。
「防衛オタク」とたまにネタにされる石破さんだが、石破さんが歴史を勉強するのも、憲法改正を主張するのも、あくまでも「二度と戦争をしない」ためなのである。
そして、その思いの強さの原点には、師である角栄の戦争体験があったのである。
この日、石破さんはウイスキーを呑みながら話してくれた。打ち合わせで、「サントリーの角瓶が好きだ」と聞いて用意したら喜んでくれた。
絵面的におもしろいから、私からお願いして「吞みながらやりませんか」と厚かましく提案したら「いいねえ」とノッてくれた。
若干いつもより酔っているように聞こえたが、メモも原稿も置かず、コップ片手に2時間も語っていただいた。もはやカフェなのか居酒屋なのか分からなかった。
進行役の私は2時間の対話をこう締めた。
「今日の議論がどう結びつくかは、来年の自民党総裁選をお楽しみに」
これに石破さんは苦笑いし、「おれ何も言ってないから!」と会場を笑わせた。
石破さんが総理大臣になれない理由は何なのか。トーク中にぽろっと漏らしたつぶやきが、その所以だと思った。
「朝から晩まで勉強しているから、国会議員相手に酒を呑む時間がない」
勉強をする時間の方が、仲間をつくるための時間よりも優先順位が高いのかもしれない。
石破さんが総理になれないことに、やや納得しつつ、まだゼロではない可能性に期待もした。
Photo : Narisa Suzuki
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石破茂と田原総一朗と若者の激論の全編はYouTube「田原総一朗チャンネル」をご覧ください
「もしも田原総一朗が、カフェのマスターになったら...!?」
「田原カフェ」は、89歳の田原総一朗と10代20代の若者が対話する「日本一カオスなカフェ」。
早稲田の「喫茶ぷらんたん」で月に一回(たまに二回)開催中。
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