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毎日泣きそうで、端そうで、咲きそうなんだ。みんなはどうなんだろう、とか

みんなそれぞれに苦悩を抱え、苦しみながら悲しみながらでも時に喜びながら少しずつ生きている、息をしている。きっとそれは誰もが認められるべきだし、誰もが懸命に生きている。だからこそ生きているだけで生きることに差をつけてはいけないと思う。
例えば、俺はあいつより金を稼いでいるから、あいつより長く働いているから、あいつより長く勉強しているから、あいつより良い会社良い学校に通っているから。そんなのは無価値だ。人間としての価値づけをそんなものでするな、そんなこと言ってもその類の要因でバイアスがかかって、人をフラットな目で見ることほど難しいものはないんだろうけど。疲れ切った日、だれにも優しくできないのは何故だろうとか頭に浮かび推敲する。


地球上の誰もが好きに生きられたらいいのに、誰かの迷惑にならない範囲で、好きなことだけして生きられたらいいのに、とか思うけどそんな理想像の中の世界なんてきっとクソつまらないんだと思う。好きなものをずっと永遠に食べていたら嫌いになるのと同じ原理で。
地球は丸いというのも理由になるのだろう。


イナズマイレブンで思い出した、あの日に戻ること、多分俺らが生きてる間には過去に戻れるとか勝手に思っている。あの子供の幼い記憶は今もなぜか鮮明にその景色を変容させてはいるけど心の中の原風景に留まり続けている、枯れないでそこにいる。時に思い出すのは何をしても楽しかった幼い記憶と記録。日記でもかいておけばよかった拙い文章だとか謙遜などせずに。


会いにゆけ。会いたい人には会いにゆけ今すぐに、その山を飛び越えて、川を泳いで、海を泳いで、道を走って、空を飛んででもだ。でもそれが正しいとか正しくないとか瞬時に頭で考えてしまう、利と不利を考えてしまう、それが大人になるって言うことなのか。それなら成り上がりたくもないよ俺は。疲れ切ったサラリーマンの背中を見ながら物思いにふける。
多分、どんな状況でもそいつがそいつなら楽しめるのだろう。結局楽しめるやつはどこに行っても何をしても楽しみを見つけて勝手に楽しむのだろうな。と


吸い殻を見て思う、燃え殻を見て消える。
この一瞬のために生きてきたが叶った瞬間、僕はどうなってしまうのだろう。夢が夢じゃなくなった瞬間、直後、事後、君はどこに行ってしまうのだろう。
夢なんて叶わない方が楽なのかな。どうなのだろう。夢なんて今の所一度もかなったことなどないから、その感情情景は説明できない。


こう言う頭のときはもう寝ようと思う。風呂に入って、明日になってくれたらいい。寝静まれないのなら這い出して外の空気でも吸っておくれよ。だいぶマシになっただろ、薬はいらないよ。思い出が薬なんだから。何よりの特効薬は誰かに愛された思い出や誰かを愛することの出来た思い出や、幸せだなと思えた瞬間や、その1秒1秒なんだから。多分綺麗事、でも綺麗だから。その時刻んだ針の音すら音楽になるし、愛おしく思えるのだろう。その幸せだけで生きれたらいいのに。いられたらいいのに。ずっと春だったらいいのに、暑くも寒くもなければいいのに。ずっと旅に出てれば少しは心は晴れやぐのかな、ずっと働かないでお金があれば楽しいのかな人生ってやつは。




眠気が舞い降りてきたら、ねれるのに。怠慢だと言い切らないで欲しいのに。君は思ってるより何倍も素敵なのに。多分隣の芝生なんてたいして青くないし、もはや赤いのに。間違い探しみたいな毎日なのに、答えを探そうとするし。


君に僕にあなたに幸だけあればいいのに。ずっと幸せならいいのに楽なのに。
生きることが簡単なら、もう生きているのに。あなたからもらったものは数え切れないはずなのに。





おやすみなさい。また会おう。会いたいなら会いにゆくのがほんとにいいのかな、迷いながら進め私、

器用ぶらなくていい、死にたくなればいいし、生きたくなればいいんだ


明日も明後日も変わらずそれでいいから

大丈夫だよが魔法らしいからご飯に入れとくね



田村シュンス

あなたがファッキン幸せでありますように