AIに負けない写真の創り方

どうも、タモツです。

あいかわらずnoteを楽しませてもらっている。もうすぐ記事数は100を超えそうだ。これも日頃から読んでくださっている皆様のおかげだ。感謝している。ありがとう。

最近はさらに楽しい。写真系の記事を書くことができるからだ。興味の薄い方には申し訳ないが許してほしい。僕は写真が好きなのだ。プロではないが暮らしの中で一番に力を入れている。プロフィール欄でも、ドライブや料理とは差別化しているのもそのためだ。

あいかわらずコメントには返信をしていない。申し訳ない。けれどもコメントは嬉しい。大変感謝している。故に3回以上読むことも変えてはいない。コメントに押す『すき』の意味合いも然りだ。

だがフォローバック100%の方針はすこし変えた。一部クラスタの方々のリムーブ率が高いからだ。これも申し訳ない。けれどもアカウント運営の基本方針は変えてはいない。過去記事にも書いた通りだ。時間に余裕があるときに読んでみてほしい。

参考︰
初月480フォロワーの僕が大切にしてる「あまり上級者が語らないnote攻略法」

さて、写真関連の記事は増えたが、あえて写真は掲載しないことにしている。必要ないからだ。もちろん読者の皆様をがっかりさせたくない想いもある。「この程度の写真で語っていたのかよ」と。

そもそも、このnoteで伝えたいことは僕の写真の良さではない。かといって被写体の素晴らしさや、カメラやレンズ、フィルムの魅力でもない。僕の写真の裏に流れる物語を誰かに伝えたいのだ。

何の役にもたたない情報だが、伝えたい欲求に逆らうことはしないと決めている。それが僕のnoteを書く理由だが、これも当初から変わってはいない。

参考︰
僕がnoteを書く理由はそこにnoteがあるからだ

そこへいくと僕が写真を撮る理由も『そこに写真があるから』だろう。『僕の思う最高の1枚』を撮るという目的はあるが、それも後付けの理由かもしれないという自覚もある。

だが、それでいいと思う。欲望のままに動いた方が楽しいからだ。理由を後付けしたいのならすればいい。理性と思っている部分も、根底にあるのは本能だと思う。

つまり『理性的でありたい』という本能に抗う想いもまた本能。そうであるならば、複雑なロジックを積み上げて理性的を装うよりも、シンプルに本能に従ったほうがいいと思っている。さすれば想いが迷走してしまうこともないだろう。

『欲望のままに動くなんて人として迷惑だ!』。そんな声も聞こえてきそうだが、僕はそう思わない。人に迷惑をかけたくない、傷つけたくない。そんな想いもまた本能だと思うからだ。

だが、撮ることが何かの手段になるときもある。撮った写真をSNSに上げれば承認欲求は充たされるだろう。僕も人だ。並みの承認欲求は持ち合わせている。商売の道具として使ったこともあった。稼ぐ手段になればいいとも思っている。

それらを悪いこととは思わない。むしろ写真をそれらのように使う方が健康的だとも思う。だが本腰は入れないようにしている。AIの発展が目まぐるしいからだ。おそらく写真の価値観は変わるだろう。本腰を入れていては絶望する可能性もあると思う。

AIによる画像生成は、才能やセンス、技術などの民主化と言われている。誰もが楽に素晴らしい画像を手に入れられるからだ。一方で写真の陳腐化をもたらすとも言われている。素晴らしい画像がそこら中に溢れかえれば、それらの価値は無くなるだろう。

僕は後者の考え方に賛同している。故に承認欲求や商売のために撮ることは極力避けている。記念や記録、『僕の思う最高の1枚』のために撮っているというわけだ。それならAIの普及に右往左往することもないだろう。写真は見るものでも使うものでもない。撮るものと思っている。

以前に記事でも書いたが、そもそも人は誰かの想いに触れたい生き物だ。その対象は写真も例外ではない。AIが生成する画像に欠点があるとすれば、それの欠如だろう。故にAIに負けたくないのであれば、自分の想いを強く写真に紐つければいいと思う。

それは簡単なことだ。身近な写真を撮って、身近な人に送ってみるといい。きっと、写真を受け取った人にとっては、AIが生成した写真よりも、送られてきた写真の方に価値を感じるはずだ。そういうことである。

あとは、そう感じてくれる人との距離をどこまで延ばせるか。それは紐付ける想いの強さに比例すると思う。奇しくも僕のnoteのテーマは『僕の写真の裏に流れる物語』だ。

これはたまたまである。なにもAIと勝負したいわけでもない。土俵が違う。意味も無い。だがそれを狙うなら効果的であるとは思う。つまりAI生成の写真と差別化を図りたいのなら、自身の写真の裏に流れる物語を綴ればいいのである。

本編の物語は折り返し地点に入っている。このまま最後のオチまで書かせてもらうつもりだ。おそらく、最後のときに写真も公開するだろう。はたして僕の写真をいいと感じてくれる人はいるのだろうか。上記の方法の答え合わせにもなると思う。

故にまずは物語の本編を読み続けてほしい。そしていつか写真も見てほしい。その際は何卒、僕の承認欲求を満たしてほしいです。(すりすり)



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