結婚の決め手は?「尊敬できるところです」がよくわからん

このあいだ、電車の移動中にふと


「なんでわたしのこれまでの恋愛が
うまくいかなかったのか」について
考えてみた。


よく街角インタビューとかで
カップルとか夫婦とかに


「お互いのどこが好きですか?」
「お付き合い/結婚の決めては?」
って聞かれるシーンあるじゃないですか。


それで
「相手を尊敬できるところです」って
答えてる人いるじゃないですか。


わたし的にはそれがうらやましくもあり
どこか嘘くさと思ってた。(最低か。)


そこで「嘘くさって思うのって
なんでだろう?」って考えてみた。

そしたら、わたしはこれまで
好きになった相手の尊敬できるとこを
がんばって探してたのかもって思った。


直感的に「好き」って思う感情で
初めは惹かれても、
そのあと付き合って
またその付き合いが続いていくためには
さらに内面的なところで
深く「好き」になっていけないと
無理だろと思ってて、

そんなときに相手の尊敬できるところなんて
見つかったことがない。(え。)


とはいえ、
そんな尊敬できない人=
価値を感じない人と付き合ってる自分なんて
なんの意味も感じられないしと
きっとわたしの中で無意識に認識してしまっていて

そんな人を好きでいるわたしも
そんな人と付き合っているわたしも
決して無駄にならないように


がんばって相手の「好き」以上の
尊敬できるとこを見つけようと
探していたんじゃないかってことに気づいた。


「仕事がんばってる」
「人に優しい」
「そんなところを尊敬しています」


それって普通に考えると
義務教育を受けて
ある程度の道徳心が備わってれば
人として当たり前にできることだよね。


「そこしかないのか」と思えるような
相手に無理やり価値をとってつけて


そうやって自分を安直に納得させて
「だからこの人のことを
内面的にも好きなんです」って思おうと
していたんじゃないか。


うう、、もしかしたら
なに言ってるのか伝わらない文章かもしれないけど、
とにかく言いたいのは、


これまでの恋愛がうまくいかなかったのは


わたしが相手の「尊敬」を見出せずに
勝手に価値を低く見積もって


自己中な付き合い方をしてたから
なんじゃないかということ。



こんなのうまくいくとか付き合いが続くどころか
とんだ無礼者じゃん。


その上「わたし」レベルの人間には
これぐらいの彼ならちょうどいいだろうなんて
無意識で察知して付き合ってたんじゃないかと
思い重ねてしまって



思わず電車でため息、はぁ~~~、、、。


なんてはずかしくて
幼稚でみじめなんだ、、、、。


そういうのって
全部相手に伝わってたんだろうな。。。



と、こんな考えを平日の昼さがり。


田舎へ向かう電車のなかで
日が黄金色に差してきて、
人もまばらでゆるい空気の中で
めぐらせていた。



どんだけエモいんだ。


そんな空間だから
こんなこと考えてちゃってたんだ。


あー、今までこんなこと考えたこともなかったけど
そりゃ大事にされねーわ!笑



わたしも大事にしてるふりしてたんか。


どれも真剣なふりして
わたしは恋愛ごっこを楽しんでただけだったのか?




尊敬ってなんだ。?


尊敬しあえるってどんな感じ?

そんな相手、わたしにいるのかな。



まだまだ模索の道は続く。


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