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新しいレンズで世界をみよう ––千葉雅也『現代思想入門』

現代思想というカテゴリが、誰のどんな理論によって形作られているのかがわかりやすく解説されている。だけでなく、「思想書をどう読むか」というプロ視点での指南も数多く盛り込まれており、「読むこと」の楽しさを味わえる一冊。

本書を読んで、現代思想というものがちょっと身近になった。それぞれの哲学者の論点だけでなく、それまでの哲学史に対するその人のスタンスを知ったことで、現代思想の生き生きとした感じ、躍動感に触れた気がした。

なぜこんなにわかりやすいのか

思想や哲学の本はあまり読まないほうだ。

せいぜい、アーレントの『全体主義の起原』とか「100分de名著」のカント(「純粋理性批判」)の回のテキストを読んだくらい。本屋で哲学書の棚の前にとりあえず立ってみたことは何回もあるけど、どこから手をつけたらいいのかわからずいつも諦めていた。Twitterやnoteでも哲学書の書評はたまに見かけるが、「こんな難しい本を読んでてすごいな、こんなの読めたらかっこいいなぁ」と思うだけだった。

最初にこの本のことを知ったときも、「『現代』っていうくらいだから二十一世紀の、今の哲学者の思想の話かな?」くらいの認識で、そもそも「現代思想」と呼ばれる一つの潮流があることすら知らなかった。

そんな素人でも没頭して読めたのは、研究者としての千葉さんの、膨大な量の知識だけでなく、初心者に寄り添う優しさによるところが大きいと思う。

羅列して詰め込むだけなら知識がある人なら誰でもできそうだけど、初心者が戸惑う部分をピンポイントで噛み砕き、適度に捨象する(それでいてこの本を貫く全体感は失わない)ところは半端ではないと思った(ちなみに、それぞれの主張の中身だけでなく、読み手に対する作者自身のスタンスによっても、読み手側での印象が大きく変わるというのも、読んで実感したことのひとつ)。

そもそも哲学が難解であるというイメージも、ある人の論理を理解するためにはそれより前の時代の、大勢の人たちの思考を理解していないと議論についていけない…というところから来ているんだなと気づいた。

本書ではフランスのデリダ/ドゥルーズ/フーコーによる三者三様の「脱構築」の解説から始まって、3人が自論に至る前提としてあった古代哲学や構造主義、精神分析などの解説につながっていく。章立てもよくて、もしフランス現代思想の源流の説明から入っていたら、カントあたりで私はお腹いっぱいになっていただろう。

読むことの楽しさを味わう

内容だけでなく、一つの読書体験としてもすばらしかった。

本の中でも新書というジャンルは、「知らないことを知る」ための本というイメージがある。哲学初心者の私にとっては当然新しく知ることばかりだったけど、単なるインプットだけの本ではなかった。一文を理解するのに悪戦苦闘したところはもちろんあったし、ほれぼれしたり、「ありがたい…」と感動したりするところもあった。小説ではないのに、読んでいてこれほど感情の振れ幅が大きかった本は久しぶりだった。

そしてこれが1000円で読めてしまうことにも驚くし、改めてそれを成立させている出版ってすごいな!と思った。

「でなければならない」からの解放

本書を通して私が受け取ったのは、「でなければならない」からの脱出=逸脱を真面目に考えたっていいんだ、ということだった。

「本を読んだら、そこから実生活に生かせる何かを見つけるべきである」もある種の盲信というか、それこそ脱構築可能な概念だと思うけど、何かと「こうであるべき」「正しいのはこっち」と考えてしまう人間として、日々のいろんなアクションにおける選択肢が増えたな、と思う。

言い方を変えれば、「多様性」に対する考え方がアップデートされたのかなとも思う。「どちらが正しいかを決めるべきだ」でもなく「どっちもどっちだから、もうどうでもいい」という思考停止でもない。

私にとっての「青」が、別の人の「青」と同じ色ではないかもしれない可能性を、いつでももっておくこと。アンコントローラブルな領域が拡大することは怖い気もするが、怖いのは慣れていないから/外を知らないからなのか、と気づいた。

正直、すべての章がすいすい理解できたわけではない。第7章の「ポスト・ポスト構造主義」はかなり難解だった。それは今までの自分の頭に存在しなかったレンズで人間と世界を見ているからで、まるで新しいSFを読んでいるような気持ちになった(「三体」で、人間にはインストールされていない次元の概念が出てくるところを思い出した)。

自分が認知している世界の外側に何かある、という発想は、限られた手持ちの論理を組み合わせてどうにか切り抜ける、という手段以外の選択肢を探そうという気にさせる。好奇心が動くとはこういうことだなと思う。(永遠にたどり着けないその「X」ばかりに囚われてはいけない、ということも書かれているけれど)

なぜこんなにわかりやすいのか(再)

転じて、一般に哲学の本はなんであんなにとっつきにくいのか。

その理由と、千葉さん自身がそれぞれの文章の読解に至るまでの過程が、いわば「種明かし」されているところも、この本の特徴だと思う。

言語学的な制約を頭の片隅に置きながら、レトリックを見抜いて省略し、核心に近づいていくさまは、読んでいてわくわくする。文章を抜粋して単純化するということにとどまらない、著者が言いたい意味に近づくにはどう読めばいいのか、広範に原著に触れてきたプロの読み手の視点を疑似体験できる。

(思想の読み解き方だけでなく、思想を生み出す側になるための「現代思想のつくり方」という章もある。パターン化するためというより、現代思想の担い手に共通する基本姿勢を知るための文章だと思った。)

また入門というだけあって、このあとどんな本を読むべきかのアドバイスも豊富なのがうれしい。タイトルのかっこよさにつられて「知の考古学」とかうっかり買ったりしなくてよかった…
とりあえず次は東浩紀さんか、フーコーの入門書を読んでみようかな、と思っている。

もっと早く読みたかった?

千葉さんはこの本を、現代思想ファンの総決算として書いた、30代を経て40代になり、一定の「飽和」状態を迎えたからこそ書けたと、後書きで書いている(それを「一種の諦め」と表現しているところもかっこよかった)。

読む側の自分についても、「もっと早く読みたかったか?」と聞かれるとそうも言えないなと思う。今この時代で、半ば引きこもりになりながら、それでも他者と関わらざるを得ない(であろう)これからを考えるタイミングで読んだからこそ、受け取れたことがあると感じる。

立命館大学で実際に授業を受けている学生さんをうらやましく思いつつも、自分が学生だったらまったく別の受け取り方、もしくは受け取りそびれ方をしたと思う。なので結論、今読めてよかったなと思っている。

はさまっていた栞にある言葉もよかった


総じて、読むこと、考えることの楽しさを思い知らせてくれる本だった。

最後に、一番ぐっときた言葉を。

謎のXを突き詰めず、生活のなかでタスクがひとつひとつ完了していくというそんなイメージの、淡々とした有限性です。主体とはまず行動の主体なのであって、アイデンティティに悩む者ではないのです。

p.210

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