モンスター

【小説】

  

 「北川!」と叫びながら私はリングにあがろうとしてロープに手を伸ばした。このままでは北川ミナが殺される。戦闘能力がゼロに等しい私が行ったところでどうにもならないことはわかっている。それでも私はリングにあがろうとしている。馬鹿な……。
 ヒールを脱ぎ捨てて転がるようにリングにあがる。闇と化したチャンピオンが容赦なく北川の顔を殴りつけている。北川はすでに意識がない。

「北川!」

 駆け寄ろうとしたそのとき、彼女の全身から凄まじい量の青い光が放たれ、ドンッと身体に衝撃が走った。北川にまたがっていた奴も衝撃波でロープまで飛ばされた。

 覚醒した。細胞片からの再生に成功して以来、初めてのことだ。北川はゆっくりと立ちあがると天に向かって怒号を放った。傷ついた獣が溜め込んだ怒りと苦痛を体内から逃すような、長くもの悲しい叫びだった。

 これまでとはまったく違う……。h因子に異常が来したのか。これでは奴らと同じだ。私は恐怖を覚えた。覚醒時に放たれるエネルギー量、雄叫びの野太い声色、そして、胴着がはち切れそうなほどに脹れあがった筋肉。かつての覚醒はカミソリのような鋭さだったが、いまは、斧のような印象を受ける。

 そして、ロープ際に立ちあがった奴に近づき、北川は敵の状態を分析するかのように表情のない瞳で奴の全身を眺め、おもむろに左足に力をこめた。回し蹴りを繰り出す!と思った直後、すでに奴はマットに沈んでいた。首があらぬ方向を向いている。私の目を欺くほどに、とてつもなく速い。

「モンスター…」思いもよらない言葉が口をついた。
 倒れた奴を見おろしたまま、北川は立ちつくしている。熱を帯びた水蒸気が全身から音をたてて放たれ、少しずつ筋肉が縮小してゆく。これは相当なダメージだ。

「酸素と点滴の準備! それから……」

 振り返ってスタッフに指示を出そうとすると、バタンと音がした。見ると北川が突っ伏して倒れている。
 いまの身体になって初めての覚醒だ。それも予想を遥かに超えたエネルギー消費だろう。徐々に覚醒状態が解けて、本来の子鹿を思わせるような肢体に戻ってゆく。私は近づいて北川の背中にそっと手をかざす。熱い。

 

 覚醒から三日間、北川は点滴を打たれて眠り続けている。

 この間にあらゆる検査を実施した。心配したh因子に異常はなかった。奴らの変質した闇の因子とは明らかに違う。ただ、問題はその量だった。以前の身体と異なり、覚醒直後のh因子量が三倍以上あった。やはり再生時のどこかで異常を来したのだろうか。0.0000000003%の誤差は我々の予測を超えて北川の身体に致命的な影響を及ぼしたのだろうか。私は、政府は、とんでもない過ちを犯してしまったのではないか。重篤な異常がなければいい……。祈るような気持ちで私は包帯に巻かれた北川の顔を見た。

「榊 特対課長、また奴らが出現しました!」

 病室のドアが勢いよく開き、部下が言う。
 手渡された端末の画面を見ると、そこには複数の闇と闘う“あの男”が映っていた。

 

(続く)

  

次のエピソード

  

※本作は、マガジン『闇との闘い!』に掲載した以下の作品の続編です。

真昼の決闘

3分間の決闘

決闘!ヒーローショー』(全3回連載)

ハイキックの少女(仮)』(全7回連載)

再生

啓蟄

憐れみ

0.0000000003%のリスク

Sparring ーRound 1ー

Sparring ーRound 2-

   

tamito

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