Sparring -Round 1-
【小説】
怜子さんのお陰で、あたしは命をとりとめた。
コールドスリープで3年も眠っていたなんてとても信じられないけど、ネットのニュースも新聞の日付も何もかもが、あれから3年経っていることを証明している。
だからきっと、あたしは本当に3年寝ていたんだなと思う。
あんまり寝すぎて記憶があいまいなところもあるけど、身体はどこもおかしくないし、傷あともひとつもない。
それどころか、前よりも技にキレがある気がする。キックのときの回転スピード、跳躍の高さ、受け身からの返し、すべてが2割増しくらい動きがいい。身体が軽い。いまなら壁走りだって5歩くらいはいけそうだ。
まるで進化したようにあたしは完璧だ。いままでの自分がもどかしくさえ思える。
ああ、早く実践で闘ってみたい。いまならどんな敵でも勝てる自信がある。
なのに怜子さんは慎重だ。出動の機会があっても新設された特殊部隊に任せ、その結果、出す必要のない犠牲者を少なからず出している。あたしなら誰も傷つけることなく敵を殲滅できるのに。
「焦るな」と何度も言う怜子さん自身が焦っているように見える。あたしはこれだけできるのに――。
今日は格闘のトレーニングの相手を用意してもらった。去年、現役を引退したばかりのボクサーだ。2年前にバンタム級で世界チャンピオンに挑戦して、12ラウンドを闘い抜いて、僅差の判定で負けたらしい。現役のときのリングネームは"シェイバー長良川"。カミソリの異名をつけている割にはのどかな名前だ。
まあ、そんなことはどうでもいい。問題は、なぜ現役を呼んでくれないかだ。現役か引退後かじゃ大違いだ。この前、呼んでくれたレスラーも現役じゃなかったし、だいたい、動きの鈍いレスラーなんて、しょせん、あたしの相手にはならない。この身体に一度だって触れさせずに試合開始のゴングから26秒でハイキックを決めて、マットに沈めた。ボクサーは多少動きがいいかもしれないけど、足技がつかえなきゃ勝負にならない。
それに、絶対にいらないって言ったのに、ヘッドギアをかぶらされて。こんなの着けてたらスピード落ちるっつーの。
シェイバー長良川はセコンドについているスタッフに、「なんでオレが女子高生相手に闘わなきゃならないんだ」とぼやいてる。
それはこっちのセリフだ。引退ボクサーなんか秒殺だ!
カーン、と試合開始のゴングが鳴り、シェイバーがダッシュしてくる。
ジャブ、ジャブ、ストレート、フック、フック。上半身だけでかわして様子を見る。あたしをナメテかかってるからパンチが粗い。大振りで隙だらけだ。これじゃ、すぐに終わっちゃうよ。つまんない。
「北川、遊んでいるんじゃない!」怜子さんがリングサイドから声をかける。
わ・か・り・ま・し・た!じゃあ、終わらせますよ。
シェイバーの右ストレートをかわしながらカウンターで右膝をみぞおちに入れる。うなだれるシェイバーの背後に回り込みながら跳躍して左足で後頭部を射る。50%の力で。
シェイバーは床に膝をついて、後頭部にグローブの手を置いて頭を振る。
あれっ、ちょっと手加減しすぎましたか?
じゃあ、これで眠ってね。
ふらふらと立ち上がるシェイバーに、あたしは跳躍してロープ最上段をはずみにしてさらに高く飛び、回転をつけてかかと落としを左肩に決めた。それでもだいぶセーブしたけど。
シェイバーはマットに沈み、ピクピクと痙攣している。少なくとも脱臼はしたはずだ。
リングサイドを見ると怜子さんが腕を組みながらしかめ面をしている。
相手が弱いからこんな闘いしかできないんだよ、怜子さん。こんな風に手加減して闘ってたら、あたしが弱くなっちゃうよ。
シェイバー長良川は担架に乗せられ医務室に運ばれていく。あたしは少し憐れな気持ちになる。
もう、完全に引退して、心穏やかに田舎で鵜飼いでもしてくれ、と思う。
「怜子さん!」あたしはリングから大声をあげる。
怜子さんは不機嫌そうな顔で、右手の人差し指をあげた。
「北川、わかった。もう1試合だ、もう1試合だけ。それで仕上げにしよう。試合は3日後だ」
ああ、もう本気になれない闘いなんてうんざりだ。怜子さんは何を心配してるんだろう。
あたしは怜子さんの顔を見つめたままたっぷりと間を開けて、無言でうなずいた。
(続)
※本作は、マガジン『闇との闘い!』に掲載した以下の作品の続編です。
『真昼の決闘』
『3分間の決闘』
『決闘!ヒーローショー』(全3回連載)
『ハイキックの少女(仮)』(全7回連載)
『再生』
『啓蟄』
『憐れみ』
tamito
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