Sparring -Round 2-
【小説】
今日は格闘の練習試合の最終日だ。
相手は3年連続で空手の世界チャンピオンの座を守るバリバリの現役。前の2試合の映像を事前に渡してあるから、あたしをナメた様子もない。試合前のトレーニングに緊張感がある。こうでなきゃいけない。
あたしは軽くストレッチを済ますと、攻撃の型をひと通り流し、身体に不調がないか確かめた。
痛!
跳躍からの右ハイキックのとき、膝裏に刺すような痛みを感じた。しばらく膝に手をついて堪えていると、怜子さんが目ざとく声をかける。
「どうした、どこか不調か?」
あたしは膝ではずみをつけてバク宙を決めてみせる。着地のときに痛みが走る。
「えっ、何が?」
続けてあたしはまわし蹴りを連続で決める。こんなことで実戦に出るのが遅れるなんて、まっぴらだ。
怜子さんは研究者がモルモットを観察するような目をしてあたしの全身を眺める。
「わかった。もし、少しでも不調があったら必ず言え」と言って、対戦者のマネージャーのところへ向かった。
あたしはアップを終わりにしてベンチに腰かけ、怜子さんに気づかれないように右膝の裏に手をやった。さっきの痛みは消えていて、原因の箇所はわからない。たぶん、ストレッチが足らずに筋のどこかに負担がかかって、軽い炎症を起こしたのだろう。空手道場に通っていたときにもよくあった。
完全ではないけど、闘える。あたしの自信は揺るがない。
「そろそろやるよ。急きょ今日は寸止めで行うことにした」
怜子さんが戻ってきて言う。
「えっ、そんなのないよ」
「あっちの希望だ。前の試合を見てビビったんだろう。現役だし、こんな変則スパーリングで怪我でもしたら大変だからな」
明らかに戦意の下がったあたしに、怜子さんは細い眉を少しだけあげて命じる。
「ひとつもポイントを取られずに、一気に決めろ!」
寸止めは全身の筋肉に大きな負担がかかる。右膝の状態がちょっと気になる。防具とヘッドギアをつけてリングにあがると、あたしはロープをバネにしてピョンピョンと屈伸をはじめた。
よし、違和感はない。
チャンピオンもリングにあがり、空手用のグローブをつけた両手を胸の前で合わせ、精神統一をしている。そう言えば、あたしの師範もよくあんな風にしていた。
カーン、試合開始のゴングがなる。さあ、やってやる。1ラウンド以内でカタをつける。
チャンピオンとあたしはリング中央に進み、互いに礼をして構えに入った。
すかさず放ったあたしの左回し蹴りが空を切る。立て続けに遠心力をつけながら、三度、四度と角度を変えて蹴りを放つあたしを、チャンピオンは余裕の表情で紙一重でかわしてゆく。
やるやる! こうでなきゃ。あたしは一拍置いて、軽くステップを踏んで全身の筋肉をほぐした。そして右手の平を上に向けてチャンピオンに差しだし、"来いよ"と指で誘った。
チャンピオンは右の拳を突き出す気配を見せると同時に、あっという間に間合いを詰めて、あたしの蹴りを封じた。至近距離で見おろしニコっと笑い、左足であたしの両足をいとも簡単に横に払い、バタンと倒された。
おもしろい。
あたしは反動をつけて立ち上がり、そのまま前転で跳び、かかと落としを放った。
あたしの右足はチャンピオンの髪をかすり、胴着を揺らす。チャンピオンの左足があたしのコメカミに迫り、かろうじて身を屈めてかわす。
いい感じだ。脳内にアドレナリンが満ちてくる。
あたしは一度ロープまで戻り、反動をつけて駆けだし左足でマットを強く蹴り、飛びながら回転をつける。
えっ、高すぎる!
自分で思ったよりも跳躍が高く、右足がチャンピオンの頭上で空を切る。そのまま背中からチャンピオンに体当たりするかたちとなり、ふたりしてマットに倒れこんだ。
レフリーがふたりを立たせて引き離す。
何なんだ、さっきの跳躍の高さは。これまであんなに高く跳べたことなんかないよ。どうしちゃったんだろう、あたしの身体。
「休まず攻めろ!」
怜子さんから檄が飛ぶ。
よし、やってやる! ステップを踏みながら距離を詰めてくるチャンピオンをロープ際に誘い込むようにあたしはジリジリと後ろにさがる。そして、ロープの反動を利用して身体ごとぶつかるように右膝をチャンピオンの脇腹にいれた。
痛!
チャンピオンが上半身を屈めると同時に右膝裏に一瞬激痛が走った。
すかさずレフリーがふたりの間に体を入れ、あたしに注意する。
そんな真剣勝負で寸止めなんかやってられないよ。
「どけよ、大丈夫だ」
チャンピオンがレフリーの肩を掴んで横に押した。
お、スイッチ入っちゃったかな。チャンピオンの猛攻が始まった。凄まじい突きの数だ。あたしは数えながら紙一重ですべてをかわす。
あれ、もう三十発を過ぎてるよ。この人、いつ息継ぎしてるんだろ。
チャンピオンの形相が徐々に崩れて身体が変態してゆく。
うそでしょ、闇が飛び出すよ!
そう思った瞬間に闇があふれた。短い髪が針のように逆立ち、広い額から角が突き出た。天を仰いで吼えたと同時に肩甲骨が羽根のように盛りあがる。
「中止だ! 特殊部隊を呼べ!」怜子さんが叫ぶ。
そんなのいらないよ。このまま復帰第一戦にしてやる。あたしはチャンピオンの後ろに回り込むと、十分に回転をつけて跳躍して左足で後頭部を狙った。
バキッと嫌な音がしてあたしは仰向けにマットに倒れた。キックが決まる直前に盛りあがった肩甲骨が広がり、岩盤のように堅いその骨にあたしの左足が砕けた。
チャンピオン、いや、ヒトの形をしたココロを持たぬモノは、あたしの上にまたがって顔を連打し始めた。突きがずっしりと重い。一発入るたびに脳が揺れるのがわかる。やばい、このままじゃ殺される。ああ、徐々に意識が薄れてゆく。
「北川! 北川!……」
怜子さんの声が遠ざかる。
(続く)
※本作は、マガジン『闇との闘い!』に掲載した以下の作品の続編です。
『真昼の決闘』
『3分間の決闘』
『決闘!ヒーローショー』(全3回連載)
『ハイキックの少女(仮)』(全7回連載)
『再生』
『啓蟄』
『憐れみ』
tamito
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