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愛情の感度=物理的な距離 はある条件で正しい

私は、愛情は距離が離れていても感じられるものだろうと思っていた。例えば、遠く離れている祖父母から愛情を受けているな、ということは十分に感じられる。

でも、やっぱり世の大人達が主張する、物理的な距離と愛情の感触は連関していると思う出来事がちょっと前にあったのだ。

それは、両親のこと。

上京するまで、いや、なんなら3年前くらいまでは両親と仲は円満で、何一つ問題はないと思っていた。しかし、色々と忙しくなるにつれて帰省の頻度が減った際に、両親がすごく嫌いになった時期があった。

「私がネガティブ思考なのは両親にこれを言われたからだ」
「兄弟ばかり愛情をかけて、私はあまり可愛がっていなかったのだ」
「あの差別的な発言は絶対に許さない」

など、小さな粗を何度も脳内で反芻して、数ヶ月後には自分からはひとつも連絡を寄越さない、困った子どもになっていた。

その時、単純に忙しかっただけではなくて、自己の性格がなぜ形成されたかについて本格的に考え始めた時期と重なってしまっていたのだ。主にインターネット検索で済ませてしまったのだが、良くない。もちろん家庭環境が悪いと客観的に言わざるを得ない方達もいらっしゃるだろうが、私の場合思考が毒されてしまったような気がする。陰謀論に洗脳される人みたいに。今後絶対にネットで安易に生い立ちを分析しないと心に決めた。

こんな最悪の心理状態を打開したのが、先日帰省した時に直接両親と対峙した経験だった。

「結婚しなくてもいいけど、相談できる人がいるのか心配」
「いてくれると楽しい、場が華やいでいい」
「もう帰るのか」

私にかけられたのは数々の愛情深い言葉と行動だった。私が勝手に「攻撃的などうしようもない両親フィルター」をかけて、東京にいる間歪曲させていただけだった言葉達。私が周囲に向けて両親への不満として発散していたヘドロみたいな言葉達。

心の中で、「あんなに悪く言っていてごめんなさい。私は馬鹿だった。」と謝った。

人は案外頭の悪い生き物で、誰かとしばらく会わなくなると、その人の話していた愛情ある言葉も、心を込めた行動も、優しい眼差しも、温かい匂いも、全て悪い方に解釈してしまうことだってあるのだ。

オンライン上で全て完結させられるほど人間は想像力が豊かではないから、これからは積極的に帰省しようと思う。連絡もする。今までわがままで素直じゃない子どもでごめんなさい。

また色々話そうね。

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