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初めてなの~ 俳句

週末
塩船観音寺に行った日は午後から雨予想でしたが
予想以上に暑く、コートがなくても汗ばみました

短い北海道の道東の夏
本州に来ると4月でも20℃をフツーに越えますが
そんなとき
20℃前後にしかならない
実家の道東の夏を思い出すのです。

塩船観音寺のお堂に入る手前の景色
こんな風にふわりと舞う暖簾と日陰になる場所

夏の午後に、和歌山出身の祖母が
梅ジュースやら片手に
実家の縁側ちっくな こんな処で
休んでたのを思い出しました


氷が溶けて カラリと鳴るグラス

あーゆー時 祖母は何を思ってたのかな?
本州にきてから
私も梅ジュースを作るようになり
モノ作りが好きだった祖母を思い起こします

祖母は本州から、北海道へ
私は北海道から本州へ

祖母のお葬式のとき
歩いてちょうど1キロくらいに住む90近くになる
祖母の姉が

『和歌山の故郷へ行ったのは、
大人になって2回くらいだった』

と話してくれました。

祖母は9人兄弟の次女でした。
いちばん下の叔母は、私の父より1つ年上

祖母が2歳くらいのときに和歌山県の那智勝浦町
から北海道まで亡き曾祖父母に連れられて
開拓のために来たそうです

畑仕事ばかりの人生だったかもしれません

四季折々に、和歌山からは
マグロや、柿、みかん、大粒の真っ赤な梅干し
タケノコ …沢山送られてきてました。

私が好きだったのは
めはり寿司や サンマの寿司

今思うと不思議です。
誰にも説明されてないのに、
和歌山のモノは大好きで。

めはり寿司も 何の葉っぱなのか
全く未だに知らないのですが、好きで
東京でも買ってしまいます。


あれも、これも和歌山?!
年々どれだけ自分の中に色濃く
和歌山フードが根付いてたり
和歌山の風土が好きなんだということに
気づかされます。

今、コロナで北海道の実家には帰れない状況が続いてます。

祖母も何か空を仰いで思ってたのかな?
帰りたいとか、もしも和歌山にいたら?とか
考えたのかなと思いました。

夏の日陰を表すらしい“端居”に
夕方の“夕”がつくと、なんとなくセンチメンタルですね。

夏井先生が 俳句を添削されるときに
"景色を切るとるんだよ"ってのをよく聞いて
出来てるのか解らないけど
読んでみました。

俳句は奥深いけど
情景がすぐ浮かぶものもあったり
面白いですね


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