脱常識―事象と価値判断を区別する―
眼の前にある物・事象、それらはあくまでもそれらでしかない。にもかかわらず、「◯◯=善」「◯◯=悪」といった価値判断がなされた前提でしか話ができないことがある。
一方で私の周りには、いわゆる常識に固執しすぎることなく、フラットに話せる人が多い。不倫、一夫多妻、葬儀、死、親の介護、風俗、犯罪など、往々にしてタブー化されやすいことに関してもゼロベースで意見交換ができる。
昨日もそう思って、何だか感動した。
倫理観にまつわる話をするときに大切なのは、この人たちならこういう話ができる、という安心・安全だ。
その安心・安全は、以下のような前提が共有されているからこそ担保されるものだと思う。
・価値判断を保留し、現象と主観を分けて考えられること。
・個人的意見と客観的意見を分けて考えられること。
・感情と合理性を分けて考えられること。
・明らかな事実と、不明確な情報(検証されるべきこと)を分けて考えられること。
情報が氾濫し、個々人の情報リテラシーが求められる社会だからこそ、こうしたことが万人にとってより大切になっているはず。
自戒も込めて、情報を受け取り、発信していく際に頭に留めておきたい。
p.s. 私の職場の人たちの大好きなところはこういった前提が共有されているところです。
花を買って生活に彩りを…