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「HUNTER×HUNTERの完結を見届けるまでは死ねない」という圧倒的な生命保険が崩れようとしている問題について

飢餓状態に慣れすぎた人間は、もはや飢餓を認識しなくなるのかもしれないというのが持論だ。時とともに悲しみは流れるとはよく言われるが、実際は流れない。ただ意識をしなくなるのである。残酷なものだが、私たち人間は自分可愛さには勝てず、自分達の生存を守るために認知の改善を繰り返して生きていくのである。

冨樫先生がTwitterに降臨してしまい、はや6日が経った。ようやくこのnoteを書けるくらいにはなった。4年近く放置プレイをされ(一切の音沙汰なし)、たまにトレンド入りするフェイクの「連載再開」ワードに殺意を覚えつつ、時の流れに身を任せ、私はその間に大学を卒業し、就職し、転職し、毎日を生きている。最後にどういうシーンで連載が終わったのかは正直覚えていないが、マフィアやらの新キャラが大量に出てきてよくわからなくなってきたことと、ちょっとお気に入りキャラになってきたテータちゃんの死亡フラグがビンビンに立っていて毎週ビビり倒していたことは覚えている。私は休載の間にちゃっかりと鬼滅の刃やら呪術廻戦やらを楽しみつつ、たまに呪術廻戦にHUNTER×HUNTERみを感じては元カレを思い出すような心ざわつく気持ちになりつつ、もう忘れようと言い聞かせてきた。

毎週月曜になる深夜に友人とコンビニに行ってジャンプと酎ハイを買って、ヒソカVSクロロのアツすぎるバトルをほぼ最速で読んでほろ酔いつつ興奮しながら感想を言い合っていた日々が、もう随分昔のことのようだ。とこれを書きながら思ったが、この前連載していた時に私は大学生で、それはもう4年前のことなので、実際まあまあ昔なのが恐ろしい。一つ確かなことは、月曜日があれほどに楽しみになるのは、HUNTER×HUNTER連載中しか有り得ないということだ。月曜に本誌で読んで、内容が理解しきれず、火曜にも読んで、Twitterやらネットで読者の感想を追い、水木金で考察サイトを漁り、土日は月曜に備えていた。これが私の連載中の生活であった。

HUNTER×HUNTERは、一番初期のハンター試験編から面白いと感じた漫画であった。全米が泣いた系のハリウッド映画にも、最近流行っている雰囲気エモ系のよくわからん恋愛映画にも、悉く渇き切った涙腺のまま爆睡をキメるのが売りの私が、天空闘技場でゴンがヒソカにバッジを返すシーンでは、哲学の講義室で堰を切ったように号泣し、教授に勘違いされて気に入られた。その後も、ヨークシン編は生涯の推しであるクロロ=ルシルフルが出てきて人生の春を感じたし、グリードアイランドは最も興奮して一夜ノンストップで旧アニメを履修し、蟻編はしんどすぎて一生読み返したくないけど「比類なき名作だ」と天を仰ぎ、選挙編は新アニメを見ながら「あまりにも最高」と頭を抱え、そして現在の暗黒大陸編は、難解で理解できていない部分が半分以上にも関わらず、冨樫の天才さを過去一でヒシヒシと感じている。もはやボジョレーヌーボーである。私は他の漫画やアニメについても暇つぶし程度に齧るタイプの極めてライトなオタクだが、HUNTER×HUNTERについては、自分でもなんでこんなに過激派なのか分からない。動機の言語化は得意ではないのかもしれない。

「漫画作品の完結を見届けるまでは死ねない」などというとき、大袈裟なオタクだなあと思われる以外に、遊び半分でイージーな目標であると軽視されることが多いが、HUNTER×HUNTERに関していうと話は変わってくる。HUNTER×HUNTERが初めて連載されたのは1998年3月16日。私が生まれた年とも近く、もう四半世紀経つ。だが度重なる休載を経て、完結の兆しがいまだに見えない。冨樫先生の気分や体調などに左右されるし、この漫画は冨樫先生しか描けない以上、ファンは待つしかない。よって、「HUNTER×HUNTERの完結を見届けるまでは死ねない」というのは、少なくともしぶとく長生きをすることの決意表明であるし、繰り返される休載と他者に運命を委ねられた不確約性にもめげずに生き抜くというバイタリティを自分に課すということだ(重度の「誓約と制約」である)。私は今まで、恋人に浮気され理不尽な振られ方をした時も、新卒で会社を本気で辞めたくなった時も、あるいは漫然とした将来への不安みたいなものを抱える時も、転職して頑張ろうと決意新たにする時も、アプリで出会ったいい感じの人がフェードアウトした時も、「HUNTER×HUNTERの完結を見届けるために生きている」ことを思い出しては乗り越えてきた。これからもそうだろう。もはや、最強のメンタル教材兼、最強の生命保険である。

さて、今、そんな生命保険が揺らぎつつあるのを感じる。2022年5月24日、唐突に進捗報告を始めた冨樫先生(仮)は、またしてもメンタルトレーニングをファンたちに気まぐれで課し始めた(訓練されたファンたちは「ハンター試験の一次試験」と捉えていた)。私自身は悪質なフェイクかと思っていたのに、まさかの本人らしいと分かった時には混乱して仕事どころではなかった。結果、通知オンにして最近今までになくTwitterを監視するハメになっている(勘弁してほしい)。ここ6日も不可抗力で毎日生きる餌を与えられ、私は飢餓状態であったことを再認識するとともに、この餌に慣れてしまうことへの恐ろしさ(本物の冨樫先生であればそのうちTwitterも休載するに違いない)、死ねない理由の状況がじわじわと変わりつつあることへの落ち着かなさ(もはや生命「保証」である)、純粋に早く読みたいという期待(毎回連載再開に備えて1巻から助走をするので多忙を極める)に苛まれ、情緒不安定だ。が、毎日お祭り騒ぎと化しているHUNTER×HUNTER界隈では、同じような強化系のファンが世界中に生息していることを今までで一番はっきりと確認することもでき、私は大変心強くうれしい。Twitterをやっていてこれほど良かったと感じる日が来るとは。デジタルデトックスに憧れるも習慣化は達成できなかった、かつての自分の意識の低さを誇りに思う。裏垢しかないのだが、これからもTwitterに勤しもうと思う。毎回のいいねやリツイート、引リツ、反応の全てが、冨樫先生にとって予期せず見出されたモチベーションの片鱗になってくれている限り、私たちファンは餌に対する相応の対価(反応と鼓舞)を払い続けなければならない…それが等価交換というわけだ。いやそれハガレン

最後に、敬愛してやまないブロガーの神記事を置いておく。大学時代にこの記事に出会い、これを読むたびファンとしての心構えを教えられてきた。恐れ多くも、勝手に師匠と呼んでいる。全てのHUNTER×HUNTERファンに一読をオススメしたい。

ここまでダラダラと書いてきて、「HUNTER×HUNTERの完結を見届けるまでは死ねない」という圧倒的な生命保険が崩れようとしている問題について、今、こう思う。「生きたい」という欲求は、「飢餓状態」にこそ由来するのだと。満足したら、欲求からは解放される。少なくとも、飢餓状態ほどの欲求(モチベーション)を保ち続けることは難しいだろう。つまり、HUNTER×HUNTERの完結を見届けるまでは死ねない、というとき、もはや私はHUNTER×HUNTERが完結することを目的とはしていない。むしろ、完結していない状況、いつまでも読んでいたい、いつまでもワクワクさせてほしい、そう思えるほどのコンテンツがあって、そう思わせてくれる冨樫先生が同時代に生きていて、いつまでも期待していたいと思うこと、そういった飢餓状態が、生きる活力に結びついているのだ。私は自分が死ぬまでにHUNTER×HUNTERが終わってくれることと同じくらい、自分が死ぬまでHUNTER×HUNTERが続いていてほしいと願っているのだ。いやでもやっぱり、死ぬ瞬間に「ああ、クラピカは緋の眼を奪還できたのか?クロロはどんなふうに死ぬんだろう、ああ気になる」などと思っていては、死後強まる念でうまく成仏できないかもしれないから、死ぬ間際には完結してほしい。

だから、冨樫先生、お身体には気をつけて、好きなだけ漫画を描き続けていてください。最高のコンテンツをありがとう。

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