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死ねない理由

Tinderをはじめてみた。いろんな人がいるなあ、とひたすらに無心でスワイプして、その後愕然とした。概して同じだと気付いてしまったのだ。みんな孤独がいやなのだな、どうにかして紛らわせようとしているのだなと。

友達目的のニートも、ヤリモクのサラリーマンも、暇つぶしの大学生も、どうにかして他人と関わろうとしている。どこかで自分を満たしてくれたり自分が満たせる相手を探している、自分が利用できたり自分がひとりでいなくてすむ相手を探している…その現実を可視化したのがこれなのだ、と。

19歳のティーン女子も、40過ぎの既婚男性も、同じ怪物を飼い慣らそうと足掻いている…そして私もそのひとりとなり、このマッチング消費社会に組み込まれている…これって、すごいことだと思う。

そしてさらにすごいのは、空腹を紛らわすためにコンビニでどのパンにしようかと物色するのとまったく同じ方法で、孤独を紛らわす相手を物色しているという事実だ。
孤独を「紛らわす」というのは、かなり消費的な解決法だと思う。酒を浴びるように飲んで酔っぱらっても、可愛い女の子とセックスできても、それは一時的な気晴らしに過ぎない。
腹が減って、パンを食べて満足したって、数時間後にはまた腹が減る。その頃にはさっき食べたパンのことを忘れている。詰まるところ、食べたパンが焼きそばパンであったとしても、アップルデニッシュであったとしてもよかったのだ。気に入ればそれをリピートすればいいし、だがそれを食べ続ればそのうち飽きて、メロンパンを食べたくなるだろう。
それだけのことだ。結局のところ、孤独を「紛らわす」ことは、不毛な営みである。何で紛らわそうと、それは一時的な解決なのだから。

エーリッヒ・フロムは、著書「愛するということ」において、現代の資本主義社会では愛の対象も商品化され、消費的行動の一環になっている事実を指摘している。
1900年代の指摘であったが、インターネットの普及によりその性質は顕著になっている。人間関係の選択は、ますます無機質的、合理的、刹那的になっている。だからこそ人々は慢性的に愛に渇望しているし、生きる意味を模索している。それは、この消費社会の性質上、当然の副作用であり、精神病や異常思考ではない。もしそう診断されるのだとしたら、それは時代の病である。現代人はただ単に、時代の申し子に過ぎない。

「Tinder楽しいよ。いろんな子とデートできるし。やるべきだよ」と友人は言う。
彼は純粋に出会いを楽しみ、刹那的なデートや性的な発散をし、充実した私生活を送っているようだ。満足していることが、私の目から見ても明らかだ。
「お前、考え過ぎる癖あるから、人生をもっと楽に、浅く楽しむべきだよ」と彼は言い、私にTinderを勧めた。私は彼のそういうところを好きだし、長所だと思う。
彼と話していると、私が単に生きづらいタイプなのだろうか、などと首を傾げる瞬間が頻繁に訪れる。
Tinderでは、彼と同じ匂いの人をよく見かけた。彼らは、人々をスワイプしていく仕組みや、そうさせている自分の内的欲求の正体が何なのかについて、特に考えないだろう。考えても無駄だと思っているのかもしれない(実際、考えても無駄である)。

──なんであの人、自殺したんだろうねえ、
──ね。死ぬこと以外は、擦り傷なのにね

純な心でそういうことを言える人々は、本当に幸せなのだなと思う。私は絶対にそんな風に言えないし、そもそも死ぬこと以外は擦り傷、なんて発想を持てないので、羨ましい。自分は孤独な存在だということを理解してから、私はずっと正念場だ。その事実を、どこまで受容し、どのように咀嚼していくのか?考え続けている。

だれかと孤独の深淵で慰め合うのか?
あるいはそういうだれかを探し続けるのか?
多忙に身を置き、なるべく忘れて生きるか?
孤独であることを噛み締めて生きていくのか?
快楽や娯楽を絶えず消費して、孤独を麻痺させていくのか?

そのどれもが解であり、どれもが解でない。

たくさんのライクや、たくさんのマッチや、たくさんのコミュニケーション、出会いと別れ、その混沌とした海の中を漂い続けることで、得られる知見も快楽もあるだろう、だがそれを享受するだけの、生のバイタリティが持てない自分で残念だ。

ただ私はあるだけ。今を生きているだけ。
そうあらしめているのは、ものすごく小さな未練だけなのだ。
金木犀の香りが恋しいので次の秋までは生きようとか。あのワンピースを着て海へ行くまでは死ねないとか。あの人に再会して、夢を叶えて幸せですと伝えるために生きなくてはならないとか。祖母に明日もおはようを言うために生きなくてはならないとか。姉の結婚式に参列するまでは死ねないとか。

小さな、心許ないものが、いつも私を繋ぎ止めてきた。今もそうだ。私を孤独と寄り添わせ、生きることを選択させ続けている。
ちいさな未練たち。いつ迄もとはいわないから、できる限り長く、諦めさせないでほしい。その価値を見失わないように、いつも抱きしめて、確かめていくから。
生きづらい私にとって、生きていく、とはそういうことだ。

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