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ウィズコロナ時代の手仕事感とは

※「アフターコロナ」という言葉をよく聞くけど、既にコロナ対応が長引くのがほぼ見えているという意味で「ウィズコロナ」という言葉を誰かが言っていてしっくりきたのでそっちを使う。
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そういえば、去年からキャンプが趣味になった。
山、森、河の自然はもちろんのことだが、テントやタープを設営する、薪を割る、焚き火をする、料理するなどの「手仕事感」が肝の一つなんだなと思っている。
普段は基本PCの前のデスクワークやミーティングが中心で、しかもそこそこマネジメント層なので資料作成とかの作業は少ないことが「手仕事感」回帰に拍車をかけているのかもしれない。
しかし、今はウィズコロナの時代。
外出自粛要請がしばらく続き、気軽に遠出することは当然に憚られる。

趣味ではなく産業観点でみると、(第1次、第2次産業の素養はほぼないが)これら産業の「つくる」「育てる」「採る」などの工程は既にほぼ自動化(機械化)されており、さらにDXという言葉をよく聞くように、デジタル化による様々な作業工程及び機械のメンテナンス、製品の検品作業の最適化などの生産性向上の流れはウィズコロナ時代において拍車をかけることになりそうだ。
(※ちなみに、労働生産性の分母となる労働投入量を削減するだけのデジタル化はDXでなく、新たな顧客価値、サービスを創造し分子となる付加価値などを高めることもセットでDXだと考えている)
つまりは仕事としての「手仕事感」がどんどん少なくってくる傾向になる。
残るは伝統工芸とかぐらいか…?

趣味としての「手仕事感」、仕事としての「手仕事感」が喪失されつつある現状において、「手仕事感」による快感をどう獲得していけばよいのだろうか。
(料理などの家事があるじゃんとは思うが、ここでは説明しないけど本質的ではないし、なんか普通すぎる解でつまらないw)

「シン・ニホン」という本に、東急ハンズが生まれる際に作られた企画書の中の一文というものが転載されていた。

『あらゆる文化は「手」によってつくられる。真の創造は最終的には「手」によってなされる。…(以下、省略)』

なるほど。たしかに。
やはり「手仕事感」の確保は重要そうだ。

そこで、このウィズコロナ時代なので「手仕事感」で最も重要そうな前提を一つ外してみた。

それは「質量感」。

「質量感」がないキャンプ。
「質量感」がない第1次産業、第2次産業。

今「どうぶつの森」が流行っている。
いやいや、ちがうちがう。
今まで獲得できた「手仕事感」と比較して体験レベルは雲泥の差だし、制限が多い。

「質量感」がない前提ながら「手仕事感」を獲得するためには?ということを今考えている…(という話でした)。

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