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安野さんの推すデジタル民主主義は、本当に「みんな」を救うのか?

安野さんnoteへの反響


先日投稿した、都知事選出馬者・安野たかひろさんについて書いたnoteに、有難いことにいくつかのコメントを頂いた。

まず、「安野氏は離島、保育園、障碍者施設を視察に回っており、直接いろんな層と接触したかったはずだ」というご指摘を受けた。

僕は安野氏が障碍者施設を視察したことは知らなかったので彼のTwitterを遡ったところ、日本最古の知的障害者施設である滝野川学園に見学に行った様子がアップされていた。
このことはホームページにもマニフェストにも記載がなく、Twitterでアップされたのみだったようである。
こういう取り組みをしっかり見えるようにホームページやマニフェストで打ち出していれば、安野さんを知らない人からの印象もぐっと変わったと思う。

そして次に、安野氏のマニフェストへの僕の意見に対するフォローである。
頂いたコメントをまとめると、
安野さんの主張の芯はマニフェスト自体ではなく、デジタル民主主義の導入である。デジタル民主主義では、為政者のバイアスがかかることなく、住民の声を継続的にキャッチアップできる。そして、安野氏は、デジタル民主主義の実現のために、実用性の高いツールを開発・運用してみせた。すなわち、安野氏は狭い層にしか興味がないのではなく、むしろ一番広い視点でインクルーシブに都政を考えている
という内容であった。

これは僕が見落としていた、というより思いつきもしなかった視点で、指摘いただけてとても有難かった。
僕は「デジタル民主主義」を知らなかったので、早速この本を読んでみた。
この本がデジタル民主主義の理解に適切かはわからないが、「デジタル民主主義」とタイトルに入っており、amazonの評価も高かったので、ひとまずこの本を教科書とした。

「デジタル民主主義」と検索して一番最初に出てきた本

デジタル民主主義とは?

ここでは、上記のタン氏の著書の内容から抜粋する。

①デジタル民主主義とは?

デジタル技術で誰もが政治に参加できる仕組みを目指す。
つまりデジタル民主主義とは「参加型民主主義」であり、市民と政府の相互信頼が基盤となる。
政府はあらゆる行政情報を公開し、市民が加工や編集を容易に可能なオープンデータを提供する。それにより、市民と政府が協同して便利なサービスを迅速に開発でき、市民のフラストレーション解消に繋がり、行政も市民に耳を傾けることができる。

②従来の民主主義との違い

代議制民主主義とは、従来の民主主義の仕組みである。
すなわち、代表者が意思決定権限を持ち、民意を拾い上げ反映する。
しかし、民意を政治に反映する手段が選挙だけでは、市民の声を届ける機会があまりにも少ない。
そこで、政治・行政側がデジタル・テクノロジーを使い、有権者の声をより多く・より広く取り入れようというのが、デジタル民主主義である。

③具体的な方法

台湾では、デジタル民主主義を進めるツールとして以下が導入されている。
(1)市民参加型プラットフォーム「Join」
Joinでは誰でも政策アイデアをオンラインで提出可能で、その提案に対し60日以内に5,000人の賛同者が集まると、行政の関連部門がその提案に関連する利害関係者を招き、会議を行い、その結論を二カ月以内に必ず書面で回答するという決まりがある。
Joinには選挙権を持たない若者や在留外国人も参加可能であり、台湾の人口2,300万人のうち、Joinの利用者は1,000万人を超えている。
Joinへの登録はfacebook・google・yahooのいずれかのアカウントとメールアドレスが必要で、ハンドルネームを使用できる。

(2)Pol.is
政治テーマによる市民間の対立と少数派意見の排除を防ぐために開発されたのが、Pol.isである。
これは合意形成プロセスを可視化するツールであり、投稿された議題に対し、参加者は「賛成」「反対」「パス」をクリックできる。すると、AIがリアルタイムで投票者のスタンスをマッピングしていく。

(3)総統杯
台湾政府が主催するハッカソン。民間のチームが公共政策のアイデアを持ち寄りプレゼンし、票を競い合う。受賞すると、1年以内に正式に国策として採用される。
最終選考へ進むチームは市民投票で決定し、投票システムには「クアドラティックボーディング」という新システムが採用されている。
1人99票を持ち、そのポイントを複数の候補へ投票できる。ひとつの候補に対しては最大9票を投票可能。
票数を自由に決められるので、志向の強さを可視化できるうえ、「支持している候補が不人気のため、次善の候補へ投票する」という戦略的投票を防ぎ、本当に支持する候補へ投票が可能になる。
※クアドラティックボーディングについては、ゼロサムゲーム状況下では機能せず、「票取引」が起きてしまう問題点がある。

④デジタル民主主義の根幹

デジタル民主主義で一番重要なのは、人に対してテクノロジーに適応するよう迫るのではなく、テクノロジーを人に適合させることである。
たとえば、直接対話を望む人がいるなら、直接出向いて話す。
テクノロジーに対して人は常に優先される、という絶対前提が根幹にある。

「デジタル民主主義」の見落し

僕は上記の本を読んで、デジタル民主主義を下記のように理解した。

①テクノロジー技術を用いて、市民が自主的に政治(公共政策)へ参加するためのものである。
②有権者の声を、思想や接触頻度等のバイアスの影響を受けず、広く・自由に政治へ反映させるためのものである。
③デジタルテクノロジーはあくまでツールであり、絶対条件として、テクノロジーを押し付けてはいけない。

より広く、バイアスなく有権者の声を拾い上げるという姿勢は、僕も非常に賛同できる。
しかし、安野さんのマニフェストでも、このオードリータン氏の本でも、僕が一番懸念していることは触れられていなかった。
デジタルディバイトである。
具体的には、
「デジタルテクノロジーに強い層の声を、より大きく強く拾い上げてしまわないか」
、言い換えると、「知能が高く恵まれている層が、より豊かになる仕組みになってしまわないか」ということだ。

上記の懸念については、僕はタン氏の本を読んでも全く解消されず、むしろ、デジタル民主主義は強者の理論であるという考えが強まった。
思想自体は非常に全うだが、現代においては、うまく機能しないと思う。
なにしろ、デジタル民主主義とリベラル能力資本主義は、相性が良すぎる(悪すぎる)。

デジタル民主主義とリベラル資本主義

「リベラル能力資本主義」とは、機会の平等と社会流動性が確保され、能力と努力によって評価される、現代特有の資本主義である。
このリベラル資本主義は、古典的資本主義と比べると、不平等を強化する特徴がある。
古典的資本主義では、資本家は資本から、労働者は労働から所得を得る。
しかしリベラル能力資本主義では、「資本家」は同時に高額な給料も稼ぐ「強い労働者」であるため、資本・労働どちらにおいても大きな所得を得ることになる。
そして、現代社会における「稼げる能力」とは知能の高さ(言語性能力)・特にデジタルスキルとほぼ同義である。
つまり、現代社会においては、高知能・デジタルスキルに秀でる層が努力して高い労働所得を有し、それを資本とすることで所得を増やすことで、資本を独占する構図となっている。

では、ここにデジタル民主主義が組み合わさるとどうなるか。

デジタル民主主義においては、テクノロジー技術を用いて市民の政治参加を促す。
すなわち、テクノロジーに強くデジタルスキルのある&言語能力の高い層=富裕層ほどより濃密に政治に参加し、弱い層=貧困層ほど参加しない/できないという構図が、容易に想像できる。
これを解消する方法が確立されていない中でデジタル民主主義を進めるというのは、片手落ちではないか。

デジタルスキルという高資本能力

デジタルスキルは、おそらくエンジニアの方々が思うよりもずっと身につにくく、格差の大きいスキルである。
安野氏が政策の公開に用いた「GitHub」だって、IT業界の方にしてみれば基礎中の基礎なのだろうが、それ以外の人間にしてみれば、名前すら知らないサービスである。
僕は名前は辛うじて知っており、試しに安野氏のマニフェストのページを見てみたが、「あ、無理だな」と思った。
まず、専門用語が多すぎる。
これは「初めての方へ」的な入門ページの説明文であったが、「アサイン」、「クローズ」、これどういう意味?
「アサイン」は参加、「クローズ」は議論終了と解釈したが、とても不親切な説明だと思う。

異民族の言語

読んでるだけで、頭がフットーしそうだよおっっ♡♡♡♡♡♡

最後の行しか理解できなかった

上記が、一番端的に安野氏のマニフェストの問題を表している。
「すべての人の声を拾うためにリリースしたサービス」が、一部の人間しか理解できない言語で書かれている。
つまり、万人に開かれていると言いつつも、その実は、デジタルスキルのある人しか参加できないようになっているのである。
言語性能力に秀でた人ならば推測して読めるだろうが、大多数の人は、まず参加の仕方が分からないと思う。
デジタル資本主義に参加するには、能力の足切りが発生しているのだ。

デジタルが生む一票の格差

加えて、僕が特に強く懸念する事項が、「デジタル民主主義における一票の格差」である。
アナログ民主主義における一票の格差は、人口格差を原因として世代や地域間で起こる。
それに対し、デジタル民主主義における一票の格差は、個人の能力格差を原因として、階層間で起きるのではないか
先にも書いたが、「持続的に民意を拾い上げるテクノロジー」が、上位階層の声を強く拾うのではないかという懸念である。

たとえば、先に紹介した台湾の市民参加型プラットフォーム「Join」では、市民が自由に政策を提言できる。
しかしそのためには、政策を提案するための能力が必要である。
たとえば、「貧乏です。お金ほしい」と「年収300万円以下の世帯に、毎月10万円を給付してほしい」という投書があれば、後者の方をより検討に値すると感じるだろう。
自分の抱えている問題を言語化し、その原因を分析し、解決する方法(政策)を提言するには、かなりの高度なスキルが必要になる。
つまり、より優れた能力を持つ者ほど、より説得力のある政策を提示できることになる。また、デジタルスキルで足切りが発生するならば、プラットフォームへの参加率は上位階層の方が高くなるだろう。
そうであれば、上位階層に利する意見ほど賛同者が多く集まることになる。
デジタル民主主義が、リベラル能力資本主義の格差を拡大させる可能性は、十分にある

「デジタル民主主義」のリーダーは何をすべきか

格差社会においてはデジタル民主主義はうまく機能しないというのが、僕の結論である。
実際に安野氏のマニフェストを見ても、「一番広く、客観的に、公平に都民の声を聴く」ためのツールが、結果として限られた層の声のみを拾い上げていた。
それに対する防止策が考えられていない現状、デジタル民主主義には大きな問題があると言わざるを得ない。
僕個人としてはデジタル民主主義には期待しているので、上記の懸念を解決できる策を、ぜひ考えてほしいと思う。

そして、デジタル民主主義におけるリーダーの役割はなにか。
「広く公平に民意を聞くツール」に富裕層バイアスがかかるのであれば、リーダーの役割は、そのツールを疑い、それ以外の声を泥仕事で聞き取ることではないか。
デジタルというザルの目からこぼれ落ちてしまった、賢くなく、怠惰で、貧乏で、どうしようもない人の声を、膝を突き合わせて聞いて回ることではないか。
そうなると、デジタル民主主義が進めば進むほど、それを監視・主導する人物はアナログがよい、ということになる。
もしかすると、安野氏はデジタル民主主義におけるリーダーには向いていないのかもしれない。
上記は言い過ぎかもしれないが、ともかく、安野氏に必要なのは、「足立区中卒チャリ盗み歴20年リボ払いマン」を側近に置くことである。
デジタルのネットから零れ落ち続ける人間を、自分が包括すべき人間として、刮目することである。
前の記事と同じ結論になってしまったが。


余談:東京は誰のものか?

街は誰のものか。
一般的な答えとしては、「その街に住んでいる人のもの」だろう。
もっと穿って言うと、「その街に今住んでいる人・その街の土地を今有しているものが共有するもの」となる。そこは今はいい。
とりあえず、は、「東京に今、住んでいる人のためのもの」と言える。
ここで、安野氏のマニフェストから抜粋する。


第一条

安野氏が一番に掲げたのが、経済対策である。
技術企業の育成・誘致と、世界中の優秀な技術者を招き入れる東京作りだ。
強い技術企業の育成・誘致が所得向上に繋がった事例として、以下を挙げている。

自動車産業...世界有数の大企業であるトヨタの本社周辺には「企業城下町」と呼ばれる都市が形成されている
ソフトウェア産業...米西海岸のベイエリアやインドのバンガロールには大学・研究機関が集積していたため、強い技術企業が拠点を置いたことで新しい街が生まれた
半導体産業...熊本県では半導体工場誘致に伴い、人口流入が顕著。TSMC直雇用は2000人程度だが、暮らしを支える産業が登場することでそのほかにもたくさんの雇用が生まれ経済効果も出ている

しかし、TSMCバブルに沸く熊本県では、家賃高騰により元の住民が窮するというニュースもある。

つまりは、経済発展は、金持ちを流入させ、元から街に住んでいた貧困層を街から追い出すという側面も孕んでいる。
流動性の高まった現代においては、街とは、「今・ここに住んでいる人」のためのものではなく、「その街に投資する資本家のもの」になりつつある。つまり、街が経済的に発展しても、恩恵を受けられるのはその街に住み続けられる人間だけである。
僕は、これ以上物価や地価が高騰したら、もう東京には住めない。
さらば僕の東京、こんにちは資本家の街。
(これは、街に対する責任論として別の記事で書こうと思う)


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