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「自己PR」に苦戦する就活生たち

「自分の強みや良さを聞かれたら、すぐに言えるようにした方がいいよ。」
中学の技術家庭の先生が授業中に言った、何気ない一言。
パソコンの授業中に、友達が「昏睡レイプ!野獣と化した先輩」を見ていた時も、見て見ぬふりをしてくれた先生。そんな先生の一言が、今になって思い出される。
就活でエントリーシートを書くときに、必ず必要になるのは「自己PR」。
これが難しい。「自分は、あきらめずにやり抜くことが得意です。」と書きながら、ホントにそうかなあ。と思う。どっちかというと三日坊主ですぐに辞めるタイプな気もする。だけど、もう辞めてやるなんて言いながら、なんだかんだ辞めずに続ける気もする。「建前を言うことが好きではないので、人に対して本音で正直に接することを心掛けています。」と言いながら、今までも、人と面と向かうことを避けて、ズルい手をたくさん使ってきた自負がある。
「あきらめないことを意識してるけど、あっさりあきらめる事も良くあります。」
「正直でいようと思うけど、別にバレなきゃ嘘じゃないよね~って思ってるタイプです。」
これじゃあ、自己PRにならないよね。

 友達が、企業の集団面接で「あなたは今、幸せですか?」という質問をされて、すごい意表を突かれたそうだ。なるほどね。面接ってそういう突拍子のないことも聴いてくるのか。予定調和の質問しかされないつまらない面接よりもよっぽど面白いかもしれない。幸せか。僕ならどう答えるだろうか。

 高校生の時に読んだ「銃夢」というSFマンガの終盤で、絶火という宇宙最強の戦闘力を持つ空手家が出てくる。その彼が言った言葉で、

俺が考えるに、「幸せ」という言葉を発明したのは女達だ
男にはその意味が理解できなくて当然なんだよ
女に漢のロマンが理解できねーようにな!!

というものがある。
初めて読んだ時、何だこの男権主義的セリフは、と思ったし、全く心に響かなかった。でも、今になって、男だから女だからというのは分からないけど、このセリフがいいセリフのように思えてきた。

 幸せ。「心が満ち足りていること」、「その人にとって不満が無く、望ましい状態」などが一般的な定義らしい。うん。フワフワしすぎている。よく分からん。よく分からんのだ。

 それより、目の前の「楽しい」「ワクワクする」「熱中できる」ことに身も心も捧げる、ホリエモン的生き方を、若いうちは選んでいたい。
なんなら、20代の内は、心が満ち足りてはいけないと思っている。不満が無く、望ましい状態になってはいけないと思っている。何から何まで求めてしまう渇望こそ、若さの特権ではないだろうか。満足できない。ラーメン二郎を食べた後に、牛丼屋で牛丼を食べてしまう。そのまま家に帰ってご飯を1合食べてしまう。かわいくて大好きな彼女がいるのに、浮気してしまう。1人のパートナーを大事にすることが、まるで本当はそれが理想かのように社会はなってるけど、そんなのキリスト教が広めた、数あるうちの1つの考えにすぎないぞ。そんなのは人間の、特にオスの本能にも逆らってるし、イスラム教が世界で最もポピュラーだったら、平気で一夫多妻制になるからね。とはいえ、世のイケメン達の一部が、キリスト教に毒されて1パートナーに抑えてくれることで、僕らにチャンスが降ってくるから、キリスト様様でございます。

「何が欲しいか 分からなくて ただ欲しがって ぬるい涙が頬を伝う」

 デフォで胸の痛みを感じながら生きていたい。常に満たされない想いを抱えながら、止まらずに走る。見境いなく人を求め、誰かのために生きようとして、結局自分の為でしか生きられない。 20代の内に、結婚と離婚をしてみたい。25歳までに1度目の結婚したい。天才って、離婚する人多いじゃないですか。ミュージシャンとか特に。若さゆえにすぐ燃え上がって結婚するけど、合わなくて情緒不安定になって浮気ばっかして別れるみたいなフェーズが人生に欲しい。それを40代50代とかでやってると、ちょっとダサいなあと思うけど、(大物おじさん芸能人とかは、若い女との浮気すらかっこいいからすごい。妻がそれを許してくれるのも全てがかっこいい。)20代ならよくある話で済まされるから得。さすがに子供は作らない。かわいそうすぎるから。で、30代前半でまた結婚するの。今度は温かい家庭を作るの。でも浮気はしてしまう、、、。一度バレかけて、夫婦仲に亀裂が生じてしまうけど、時が解決してくれて、50代からは反省して、ちゃんと妻だけを愛する男になる。と思いきや、ここで同年代の女性と大恋愛を起こしてしまう。そんな妄想をしてしまいます。キモイでしょ。キモくて結構。

 幸福になること、これこそが人生の究極目標である、つまりこれが人生のゴールなのだとアリストテレスは言ったそうだけど。そもそも人生の究極目標という思想そのものが賛同できない。全てはこれの為、という生き方は、しんどすぎやしないだろうか。それがガチでできる人は尊敬するけどね。変に一本線にしないで、あれも欲しい、これも欲しいと生きていく方が、僕は好きだ。高校の卒業式で担任の先生が、「最後の宿題。私と再会するときまでに、幸せになっていて下さい。皆さんの提出を、先に雲の上で待っています」と言っていたけど、「先生!独身ニートで自殺したけど、毎日2ちゃんでレスバしたり、無料サイトで色んな女優と疑似セクロス出来て僕は幸せでした!!」と提出してくる元生徒がいたら、先生はどれぐらい部分点を付けてくれるだろうか。×です。やり直しと言いたいけど、この宿題は1度しか提出できないからねえ、、、、。

 結局、面接で「幸せですか?」と聞かれたら、
「温かく愛ある家庭で育ち、不自由なく今日まで生きることができ、将来の選択肢も無限に広がっている自分は、間違いなく幸せだと思います。」と、さりげなく転職も示唆する回答をしてしまうかもなあ。この世の中には、大変な幼少期を過ごしてきた人たちがきっとたくさんいるだろうから。いい親といい兄弟を持った僕に、不幸せと答える権利はないと思う。というか、僕はずっと幸せだったから、幸せについて考えたり、追い求めたりする意味が分からないのかもしれないな。と、ここまで書いてきて気づいた。だからこそ、幸せはもう十分。

 こういう「自由とは?幸せとは?生きる意味とは?」みたいな答えのない問いは、思考のトレーニングで、考えること自体が無意味とは言わないけど、そこで導き出した答えにはなんの価値もないと思ってる。だってそういう答えってすぐ変わるじゃん。

最期に自己PRでも書いておくか。
「僕は、集団のムードメーカーです。好きな友達との集まりでは、場を盛り上げることを考えます。ただ、少しでもストレスがあると、露骨に態度が悪くなることもあり、そうすると悪い空気を作り出してしまいます。自分に正直にありたいと思っていますが、逆に自分に適切な嘘をつくことで人生が円滑になると思っているので、嘘も言うことがあります。早起きして、朝を充実させたいのですが、その一方で、朝の二度寝が何より好きだったりするので、気が済むまで寝て、一日の計画が破綻することもあります。甘いものが好きで、毎日食べたい気持ちと、甘いものが好きな自分が嫌いで、食べたくない気持ちが合わさって、たまに食べます。人生は、ある程度直感や、非言語的な感覚を大事にした方がうまく行くと思っていますが、計画性のない生き方では、何も成し遂げられないとも思うので、どちらか一方に偏らないようにしています。」






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