「政治・宗教・野球」のはなしの意味をちゃんと整理しとくから
飲み屋の席では「政治・宗教・野球」の話は避けた方がいいんだぜ
という指南は、二十歳そこいら大人になりかけた頃に誰かしら目上の人から教えられる訳です。
いやこれなんで?
最初は疑問に思うのですが、まあまあ飲み会の席を重ねると、なんとなくその意味合いの輪郭が掴めてきます。実際に政治・宗教・野球の話をしてみたり、はたまた、アルコールの入った場での何かしらの口論を通じてその指南を思い出したり。
輪郭掴んでるじゃーん、大人の階段のぼってるじゃーんって、経験を通じてしたり顔で少しずつ言語化すると、そのシンプルさに拍子抜けすることさながら。なんだか大人だけが共有する知恵っぽい何かに聞こえたそれは、単にこういう事でした。
けんかになるような話題は避けようね。
良い子のみんな!的な意味で。
アルコールによって冷静さを欠いた状態で、本質的に答えの出ない議論をすると最後は殴り合いのけんかになるんだぜ。
そういうことです。
思想、信条、主義、主張。
時に他者から感銘を受けて、自身のそれらがガラッと変わることもあるでしょう。しかしながら、人それぞれの正義は認め合い折り合えど、戦ってどちらかの勝敗を決めるには、分断か、どちらかの完膚なきまで凄惨な敗北か、あるいは極めて高度な仲裁を必要とします。
アルコールが入ると「認め合い」ではなくて「戦い」のシナリオを選んじゃいがちじゃんね。まあ大人だしアルコールが入っても「認め合い」の方でよろしくやで、たのむで。
あの言葉にはそういう含蓄がある。
で、もう一歩踏み込むとこれはジョークなんですよね。
「政治・宗教」の対立が危険だってのは誰しもよくよく知っています。各々背負ってるものがありますし、話が大きくなればごりごりの戦争になるくらいですから。小学校の高学年で習うくらい誰でも知ってる。
紛争勃発の2大火種「政治・宗教」のそこに加えて「野球」て!!!
英語で言うならdad joke.
すなわちそれはオヤジギャグ。
飲み屋の席では「政治・宗教・野球」の話は避けた方がいいんだぜ
これが高度な判断を伴うオヤジギャクであるとわかれば君も大人だ。
そして野球は偉大だ。
多くの人が目上の人から受け継いできた洗礼なのであります。
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