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「ウチにはまともな時計がない」後記

Conoteマガジン004のお題は「時計」でした。

タイムリーにも、今週末からの個展作品の陶時計が窯から出たところで、これは縁があるのだろうと、個展前の狂気のなかでも書き上げたいと思いました。

その記事⇒★


「言の葉っぱ」

アート(芸術)とは、口では表現できないことを形にする仕業と思われがちですが、言の葉っぱ(言霊)が樹につかなければ花も咲かず実もならず。

美大浪人生だったときの作品講評会で、あるGデザイナー講師が言っていました。「将来きみたちがアーティストやデザイナーとして作品を世に出す時、自分の言葉がそこになければそれは作品ではない」と。


時計「天空の春」2016.4 新作

そんな言葉がずっと心にぶらさがっていたこともあり、せっせと文字を書く仕事を二足目のわらじとして履き「造って書く陶芸家」になったのです。

「さらし と らしさ(前編)」

もともと何をやってもダメチャンで、こっそりがんばらないと平均値にいかないタイプ。そのくせダラッとのろまでサボるわ遊ぶ。だからこそ校正された真っ赤な紙をぜんぶください!と回収してこっそり隅々までミスを研究したり、当時のぶいぶい某広告代理店さんと出張に行っても疲れを見せず派手に飲みに行ったり。なぜならば、そんな時もこそこそと「作品につける葉っぱ」をかき集めていたのです。

自分の言霊(ことば)がそこになければ、時計も、ただの時計。


(写真「イタリアの風景」(陶板/旧作)


ボトムに存在する時間

noteにとってはおそらく魅力的な記事でもなく、トピックスになるわけでもなし。こういう時こそ「時の刻みとはべつの季節」を心に置くのです。

ただし個展PRの時だけは水面下から浮上したいので、その時ばかり活発化するわたしのFB。個人とアトリエページ両方に投稿したところ、「時計」作品へのすてきなフィードバックがたくさん還ってきました。FB離れといえども(自分自身も)、さすがだなFBと感心。PRすると一気に拡散、反応してくれる友情やお客様には感謝しています。(note登録せず閲覧くださっている方もいるのでこの場を借りてお礼!)


最後にFBコメントの中から「時計」に関するすてきな言の葉をさらさら~!
本当にありがとう。

正確に時を刻む時計から ちょっとずつ「時間」がもれいでて この世にはない「時の街」を作っているようだね。(女性アーティスト)

この時計、素敵!腕時計を1つも持っていない私も「たぶん」に同意!!(大学時代同級生)

>時を忘れるような針の短さ。「たぶん」な感じで生きる!(Cocciorino)


言の葉っぱが樹につくと、さらさらと風を起こし、このように深緑色のすてきな影を落とすのですね。心地よい日かげって必要なんです。

Conoteのみなさんの力作も読みごたえあり!
次回は005号で!

Cocciorino 地球のかけら

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