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さらば青春の光

同じ季節はめぐらないよねと思い知らせてくれたのも青春…。
地球は遡って考え直すべき時期にきた。未来への警告も受け止める時期だからこそ、大切な光だけを箱に詰めよう。

Conote マガジン企画「青春」にもとづいて、個展ギャラリーへの通勤ラッシュの電車の中で(ただいま個展 絶賛開催中!)いっぱいの青春を少しずつメモしました。写真&センテンスを絡ませたロングエッセイ。お時間すこしいただきます。ではカクGO! ―


ちいさな土鍋「海と砂」耐熱土

表題にした「さらば青春の光」のラストシーン憧れの地セブンシスターズに立った。野うさぎがぴょこんぴょこん跳ねる台地と荒波のクリフ。すべての青春がよみがえる景色だった。

オープニング・シーンって、ジミーが夕陽をバックに海辺のところをとぼとぼ歩いてくるじゃないですか。そこにつながっている…ファースト・シーンがラスト・シーンだと思うんですよ。みんなジミーは死んじゃったと思ってるけど。(中略) あれはスクーターを落としてから、夕方までジミーは青春の終わりをじっくりと味わうんですよ。あの崖の上で。ジミーは青春のシンボルを破壊して、もうモッズをやめて大人にならなくちゃいけない。それまでの半日がラスト・シーンとオープニングの間にあるんですよ。。
(1995年9月号「レコード・コレクターズ」誌より引用)

ランプ「夜の街」半磁土


アートやデザインってなにさと真剣に議論し、レコードの音をむさぼり聴いた。古着、古本、中古レコード屋を練り歩き、それぞれの湿った香りの違いを知り、最高に楽しいくせにルーティーンはつまらないと文句を言った。

ガラムやコンバットの乾いた葉っぱの香りは昼夜や国をも忘れる香りで東京に舞い満ち足りた。ビールをあびて遅れて日本到来した野外フェスでヒッピー気取り。そのくせジャス喫茶では、昼間はブラック珈琲、夜は黒ビールやスモーキーなスコッチで大人の真似をした。壁ぎっしりのレコードを出して針を落とすオトナをじっと見た。老舗のジャズ喫茶。

薄ら寒い映画館でオールナイトシネマに浸り、ポップコーンとコーラには縁遠いフランス、イタリア、ドイツ、東欧やソビエト映画で知らない世界を見て仲間と将来を語り合った。小劇場のお芝居を巡りアングラにくゆる煙とセリフの飛沫を見て現実と夢が重なった。

* * *

昼はそれぞれみんな違う芸術専科を学び、人の講評会にもぐりこんだ。画材と夜遊びのために懸命にバイトして、どの世界でもたくさんのカッコいいオトナに出会った。どのバイトもいまの自分を形成したくらい尊いものだった。

窯たきの夜は学生らで30人前くらいの食事をつくり工房にふんだんに転がる器に盛り一升瓶を空けた。徹夜で薪窯を焚き、料理と器について語り薪の匂いのなかで宴会をした。

青山の屋台にシュナーベルがいたとか、ギャラリーでは村上氏や奈良氏の初期作品と恭しい彼らに会った。ボロフスキーに夢中になり夢日記を真似た。デビッドリンチ展で大きな手のリンチと握手した。

表参道を闊歩するポールウェラーに思わず声をかけ、跳ねるミックのステージに倒れジョンの歌詞を唇でなぞった。デビッドボウイは本気で火星人であり神さまで、美大の野外フェスで会ったシーナ&ロケッツと清志郎は永遠だと信じた。小山田くんはいつもぽんぽんニット帽だった。

* * *

夜遊び三昧といってもお金がないから悪いことはできず、まあそういう大人の世界があるんだなぁと好奇心の耳はダンボになった。麻布や青山や新宿のダンスホールをハシゴして最後は朝焼けまで渋谷の裏手や新宿の裏道を大笑いしながらみんなで歌った。

近ごろ線引きされてしまっている「オジサンオバサン排除」という意識はまったくなく、逆にオジサンオバサンの世界に入れてもらい喜んでいたし、彼らも年齢をひけらかさずウェルカムだった。ただし厳しく怒ったり泣いてくれ様々なこと教えてくれた。音楽、文学、芸術界のカッコよくて有能なオトナにけっこう会えたので、自分たちの青春に満足しながらオトナをリスペクトしていたのだろう。

"Bitter alla Soda"  Milano 2015

星空を眺め言葉を刻んだ。安くおいしいお酒で語り合い爆笑し、世界のお酒の飲み方と文学を重ねた。トランシーバーとラジオを抱え、8ミリビデオを回しながらちいさなクルマに満々に乗って旅をした。

そして、小さくて深く痛む愛を互いにたたえなぐさめあった。

”We make the rail way” Ireland 2015

お金がないのに、なぜかしら欲望は我ら仲間のあいだでは満たされていて、人と比べ合うことは一切必要なかったし、羨んだり恨んだりという気持ちを持つこともなかった。

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個展初日。三々五々に集まってくれる彼ら。相変わらずまったく計画性はない。その場ですべてを決めればいいという我らの青春は変わっていないし、すてきな花を一輪、散歩で見つけた花びらをひとひら、ベリーが詰まった手づくりパン、おおげさなハグ…それらは男性陣、ミントの鉢植え、そして真剣に作品を選び使ってくれる…これらは女性人。それぞれの光。

時を重ね、本当の悲しみも慈しみも知り、歓びという本物を知っても、みんなの芯がぶれることはなかった。家族やパートナーを持っても失っても変わることがない「I (わたし)」という主語。「わたしたち」でもなく「わたしの○○」でもなく、これが青春の仲間と変わらず過ごせる要因かもしれない。

花が散りむせる青草のころ、尊し仲間の命日がやってくる。いつもワンピース足りない我らの青春が、この日ばかりはコンプリートする。昼から献杯し夜中まで遊ぶ。徹夜明けでも突貫する。

さらば青春の光。


(完)Cocciorino 地球のかけら 

「天空の灯り」展 2016.4.16-24(SUN.)まで ⇒詳細


#Conote MAGAZINE005企画


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