文章を書くことが好きなのは友達や先生のおかげ

私はコミュニケーションが苦手。人の話を聞いても右から左へ流れる。自分の中に感想や意見が出てこないので「へー」で終わっちゃう。
あとから思い返して自分の中で色々湧き起こることはある。
でもあとから人の話した内容を覚えてないことも多い。
言葉が苦手、なのかというとそうでもない。
読書が好き。たくさんは読まないけど。
文章をこうして書くのも好き。
読んで面白いモノを書くんじゃなくて、自分の言葉を吐き出すことが好きなんだと思う。
でも誰にも見られないような場所に書くのはつまらないから、やっぱり誰かに読んでもらうことが好きなんだと思う。

読書が好きになったのはたぶん幼稚園

私は親に読み聞かせをされたことがないらしい。子供向けのおはなしテープ(カセットテープの時代)も興味なかったらしい。だから絵本もほとんど知らない。幼児向け番組も見なかったらしい。
そんな何が娯楽だったのかわからない私が本を読むようになったのは、幼稚園の教育の賜物らしい。

幼稚園の記憶。
友達と遊ぶのも好きだったけど、一人で絵本を読むのも好きだった。
特に覚えてるのは「っ」の読み方を先生に教わったこと。読まないこと。
「書いてあるけど読まない」って幼稚園児には衝撃の事実だったと思う。

友達のいない小学校低学年、図書室に通う

小学校低学年の時は地元の公立学校へ。田舎の小さな公立学校、みんな同じ保育所に通った顔見知りばかり。
私だけが全く違う地域の私立の幼稚舎に通ってた。母親も、周りと一緒を尊ぶタイプではなかった。
だからか、私だけ浮いてていじめられてた。やられてたことなんて、無視とか、意地悪を言われるとか、仲間はずれとか、そんなことばかりだと思うけど。
同級生にも先生にも馴染めない、頼れない、たぶん可愛くない暗い子だった。勉強はできてた。

そんな私が休憩時間にやることって、図書室や移動図書館の本を読むことだった。
あの頃、こまったさんとか、なんとかさんとか、そのシリーズのお菓子が美味しそうだった。
低学年向けの冒険の児童書も好きだった。

転校。読む楽しさ、作り出す楽しさ、友達と語らう楽しさ

別の地域の私立小学校に転校。のびのび過ごす。
クラスで頭のいい男の子が休憩時間に本を読んでいた。この時、
読書をする=友達のいない食らう趣味、
ではなく
読書=頭がいい人のやること、賢い、かっこいい
と衝撃を受けた。頭のいい子が軒並み本を読んでた。学校でも読書の時間が設けられてた。
そして仲良しの子が、自作小説を始めた。
一部女子に小説を書くブームが起きる。ファンタジー小説を考えてノートに書いて、友達で回し読みをする。
「続きできた?」「読んで!」という遊び。
「読んで!」がすごく好きだった。その子の読み方が、地の文や、セリフや、キャラクターごとに違ってて楽しかったんだ。
10歳ぐらいの子だよ。すごいよね。
さらには、遠足の道が暇なので、口頭で物語を即興して語り聞かせるという遊びが爆誕。
友達とそんな遊びをやってたので、自分の文章を褒められる、喜んでもらう、という経験をした。自分も誰かの物語を楽しんだ。

読書感想文が賞に選ばれた

ハリポタブームもあり、海外のファンタジー児童文学にどハマりした。
そのうちの一つのシリーズで、「感想文募集! 帯に乗るかも」みたいな出版社の企画があった。小学生の私、応募して選ばれた。図書カードをもらった気がする。
正直なワクワク感やドキドキ感を、どこがどう良かったかを文章にするのはいいことなんだ!
とインプットされた。

中学高校でも文章が褒められた

読書感想文は覚えてない。あったかどうかすら。
覚えてるのは、
行きたくもない苦痛しかなかった合宿の感想文が褒められ、コンクールに応募しないか?と言われたこと。
宿題でテーマに基づいた創作小説を描いたら褒められたこと。
小論文の授業でべた褒めされたこと。

合宿なんて嫌だった。
集団行動とか規律正しい生活とか勉強とかつまんねー。
でも無理やり早朝に起こされ広場で整列させられた時、周囲の木々から鳥の囀りの大洪水だった、それがめちゃくちゃ新鮮だった。あの時間、あの場所にいたからこそ得られた感激だった。
と感動した部分だけ熱を込めて書いたら褒められた。

行きたくない合宿だったけど、夜空の星がすげー綺麗だった! 普段の生活じゃ見上げないし意識しないけど、あの退屈でつまらん合宿だったから、空を見上げて山の夜空の美しさに気づいた。
私はギリシャ神話や星座神話が好きだから、古代の人がこの空を見て神話を考えたこととか、空が古代から変わってないことにロマンを感じる。
みたいな作文を、ブラッシュアップしてコンクールに出さないかと誘われた。
放課後に先生の指導を受けることが面倒で断った。この向上心のなさよ。

大学受験のための小論文授業で、まず授業を受けてない状態の一発目に小論文を書いたら先生に褒められて、クラスメイトからも感心されて照れ臭かった。
そのクラスの中でちょっとだけ小説以外の本も読んでたから、長い文章を書く構成が分かってただけ。

大学時代、文章を書いてなんぼの日本文学部に入学

日本文学部って何するの?
知らん。
私みたいに本が好きで、ちょっとだけ文章を書くのが好きな人たちの集まりだった。
レポートは毎週800〜2000字のものとか普通だった。
レポートはともかく、友達と空きコマを過ごしてた時、友達が創作小説を朗読してくれた。
小説の内容が面白いかどうかより、友達が読んでくれるのが好きだった。
友達が考えて、その人自身の朗読できく。私はたくさん感想を言ったりアドバイスをするようないい読者、聴衆ではなかった。けど、新作ができたら読んでくれるのが好きだった。
田舎の大学。のどかな自然で、周りに人がいなくて、ベンチに座って。好きな友達が自分のためだけに声に出して読んでくれる。

単に周りが優しくて褒めてくれた、それだけでよかった

文章が褒められた経験が残ってるのは、それが嬉しかったから色濃く残ってるだけ。
別に才能があったんじゃない。
文章が得意なわけじゃない。
それは、今これを読んでる人がいたらすごくわかると思う。誰かの心を打つ文章でもないし、語彙力があるわけでも、味のある言い回しがあるわけでもない。
ただ学生時代、提出した文章が周りのクラスメイトよりもちょっとだけ整ってた。
そしてそれを大人たちが褒めてくれた。
子供時代には、大好きな友人たちがバカにしないで楽しんでくれた。
こうした経験が、今も私を作ってると思う。文章を書くのが好き。

数ヶ月間だけWebライターをやったけどやめた

休職してまだ精神的にヒャッハーな状態で、お金欲しくて、時間だけはあるから、Webライターに手を出してみました。
文字単価0.8〜2.5円ぐらいで何個か。継続して仕事をくれるクライアント様もいた。
ただ息苦しくなってやめた。やっぱりお仕事だから好き勝手に書くわけにはいかないし。文章にお金をつけてもらうことに生じる責任が重かったのかもしれない。
クライアントの望む文章じゃないかも、でもお情けで報酬払ってくれたり継続してくれてるんですよね、すみません。
って。

感想文や作文が苦手、がわからない

文章を書くことしか脳がなかったと言ってもいい。
成績は現代文と古文だけは優秀で当時のセンター試験で9割を取るぐらいだったけど、理数系は赤点取るような学生だった。大学入試は面接と小論文だけの推薦入試で受かったよ。
センター試験は記念受験。
「もう受かってるし受験しなくてもいいよ」と担任に言われたから理数系科目を受けないつもりでいたら「どこにいるんだ!?」と怒りの電話をもらった思い出。何が悪いのか今でもわからない。

そんな私は、学生時代に作文で困ったことがない。
大っ嫌いだった合宿ですら、書くネタを見つけたんだから偉いと思う。
なので「読書感想文が書けないから、あらすじとかネットの感想とか適当に書いとこ」がわからない。
その本が面白くなかったり読めなかったなら、それを正直に書けばいいと思うんだ。
「面白くありませんでした」「難しくて分かりませんでした」「作者が何を言いたいのかわからない」「なんでこれが評価高いの?」
「最初の数ページだけ読んだけど、最後まで読めなかった。未読です」
そこから出発したらいいんじゃないの?
私は面白くなかった本についての感想文も書ける、と思う。
「読書習慣のない人が、読んだこともない本を、慣れない言葉で賞賛しよう、なんかいいことを書いとこう」
とするから書けないわけじゃん。
必ずしも本から何かを学ばなくてもいいじゃない。
「うわこれ読めねーわ。なんか文章が肌に合わないというか、もぞもぞする」
って私も思ったことあるし。

絵本で読書感想文を書こうとする猛者には突っ込みたい

絵本で書こうとする生徒がいるんですって。ページや字数が少ないから読むのも早いよね。
逆にいえば、大人が頭を捻って趣向を凝らして、言葉以外のもので何か訴えようとしたり表現したりしてるわけで、そこから感想を得て自分の言葉で表現するのって超難しいけど?
少ない=簡単
ではないぞ?

文章を書くことについて、つれづになるままにそこはかとなく書きつくれば

何が言いたかったのかって?
私が文章を書くことが好きなのは、周りの友達や大人たちが否定しないで喜んだり褒めてくれたから、ということ。
だから文章を書くこと=嬉しい、みたいな感情が繋がってるんだと思う。
少しだけ得意×少しだけ好評=好きなこと
になった。
後世に残ったり、誰かに感動を与えたり、そんな大層な文章じゃなくてもいいじゃない。
好きなことをやっていいよ、と言われたら文章を書く。
そんな独白でした。
おしまい。

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