国語という教科の愉しみとは
タグ寄せの話題をひとつ。
学校では社会科系の担当である自分ですが、学習塾や予備校などでは教科の制約が事実上ないこともあって、多様な教科を担当しています。そのおかげで、いろいろな気づきが予習や教材準備のときに得ることができるのですが、国語という教科はホント、他の教科よりも幅広い収穫が得られるものだなあと思うのです。
どういうことかというと、この時期になるといろいろな学校の入試問題に触れることが多くなります。授業での解説をするのはもちろんのこと、生徒からの質問に答えるために文章をある程度、ないしは提示されている全文を読むことになるのですが、様々なジャンルや著者の文章に触れることができるのです。当たり前と言えばそうなのですが、12歳や15歳、もしくは17、8歳以上の受験生に触れさせる文章ですから、さまざまな示唆に富んだ内容のものが提示されています。
もちろんのこと、こちらは問題を解いて説明する側ですから、本文の内容そのものについてよりも、設問作成者の意図を読みとりながら解答を絞り込み、その解答に至るまでの過程を確立させて説明できるようにすることが主なアクションとなります。それでも、「そうか、この学校はこのぐらいのレベルの文章の読解力を持つ生徒を照準にしているのだな」とか、「この学校は登場人物のこのような心情を推し量ることができるような生徒を求めているのだな」ということが見えてきます。
そうなると、単なる“読解”だけではなくて、その作品を選んだ背景はもとより、提示されている文章の前後とかも気になってくるのが人情ってものじゃないですか。実際に数冊ではありますが、内容の全体が知りたくて出典を調べて、その著作を取り寄せたことがあります。そして、そのほとんどは期待通りとても面白く、興味深く楽しむことができました。
思えば、小中高通じて国語という教科に触れて、さまざまな著作を読む機会があったことに気づかされます。一度でも触れたことがある、この経験は大人になってからでもいろいろな場面で役に立つことがあるはず。そういったことも、解説を通じて伝えていくことができれば、よりいい学びにつながると考えています。
自分が国語科の専門でないから、このように感じるのかもしれません。なので、あくまでも個人的見解であるということを最後に申し添えておきます。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。
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