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『あんこ研究会』第1回 おはぎの手作りに挑戦しました。

おはぎ、自分で作ってみました。
自分でも驚くほど美味しいあんこが炊けたので、記録を残しておこうと思います。

ワークショップに向かう道の途中、ハギが開花し始めていました。

記録と言っても、レシピを書いておくワケではありません。

いきなり話は逸れますが、先日、千葉県の成田市で、米づくりを通してお近づきになったシェフの方のブログを読んで、レシピの通りにやっても同じ料理は再現できないのではないか?!、と思ったからです。

それに、今回のワークショップを主催した、二人の鍼灸師の先生も、似たようなことをおっしゃっておりました。その時によって作り方も変わるのだと、、、。

今回は、そのことについて書いてみたいと思います。

あんこ作りと森づくりにおける共通点について、ちょっぴりスピな、ある秋の日の私的考察


とは言え、舌の根も乾かぬうちにですが、先生が用意してくださったレシピを参考にしながら、先生二人生徒二人の、マンツーマンみたいにアットホームな形式で、楽しく小豆を炊き始めることから始めました。

ボールに移した小豆。
あずき色した小さな豆にしか見えない、、、、この時点では。

1.豆殺し

まず最初に、小豆に熱湯をかけて泡立て器で30秒~1分間混ぜました。

アクの元になるシアン化合物を抑制させるためだそうですが、この時に先生の言った何気ない一言に、「!ッ」と、私の中で何かが変わりました。

「これでアズキちゃんたちが皆ンな、気絶するの。」

そうか、小豆って、一粒ひとつぶが、生きてるんだぁ、、、。

熱そうだなー、死んじゃわないかなぁ、、、、と心配になって来る。

アクを抜くために一晩水に浸ける、という考え方もあるそうですが今回は、

「子孫繁栄の能力があるから水に浸けると繁殖して子孫を残そうとしてアクの元とかを出すのと同時にウマミも逃げちゃうから、熱湯で気絶させて気を失ってる間に煮ちゃおう」

という考え方を取り入れることにしました。

2.へそ外し

あらかじめ鍋に沸かしておいた湯に入れ、へそ(小豆の白い部分)を外すために煮ます。沸騰させないこと。15~30分程度、とか、5分煮て3分蒸らすを繰り返して35分とか諸説がありますが、今回は、

「豆同士の擦れ合う僅かな音に耳を傾けて火を止めるタイミングを計る」

というやり方に挑戦しました。

先生お二人。
知る人は知っている、森の鍼灸師@みどりん&ゆかりんの最強コンビ!
沸騰しないよう、眼を放さずに、見守り続ける。

たとえば、「弱火で○○分煮たら火を止める」とかのレシピ通りにやったりすると、タイマーをかけて側を離れたり、あるいは待つ間にスマホ見たり他のことをやったりしちゃいがちだけど、鍋の中の小豆を昵ーーッっと瞶めていると、なんだか、不思議な気持ちになってきました。

生きものを煮ている、、、、なんて実感はサラサラないんだけど、頭の中には、「あー、小豆も生きてるんだなぁ、人間に食べられちゃうんだなぁ、、」なんて考えが浮かんで来ます。皆んな、気絶してる間に死んじゃうんだな、苦しまなくて良かったのかな、なんて考えながらも、可哀そうだとか、命を殺める罪悪感は湧いて来ないのが不思議です。〝どんな命でも、その重さは同じ。地球より重いのだ!〟なんて、なんかの宗教だか映画のセリフだかで言ってたけど、小さな豆の一粒と大きなクジラ、あるいは人間の命と、どうしてこんなに罪悪感は違うんだろう。やっぱ人間って勝手な生きものだなあなんて考えながら、小豆の擦れ合う僅かな音を待ちました。

たまに動く。
〝へそ〟が取れはじめる。
たまに蓋をしたりもする。
なべ底の形状によっても煮え方は違う気がする。
コンロの形状によっても、場所によって火力(温度)が違う気がする。鍋が乗っている鉄の部分の真上の豆は、良く動く。
へそが残っている小豆。

火を止めるタイミングを探りながら何分煮たか覚えてないのですが、ホントに微かに、豆が擦れ合うような音が聞こえてきました。

ザルに上げて湯を切ります。

切った湯を捨てるのを待って貰って、美味しそうなので試しに飲んでみました。

不味い!、エグい!、苦い!、渋い!

3.小豆を炊く

お湯が入った鍋に、へそが外れた豆を入れて煮ます。
レシピでは5分煮て3~5分蒸らす、となっていますが、諸説あるので適当にやります。

実家が何十年も和菓子屋を営んでいた、みどりん先生も、

「父はいつも、その日によって、かける時間や作り方が違ってた。きっと、気温とか湿度とかによって、そうゆうのを肌で感じながら作ってたんだと思う」

と、レシピ通りではないやり方を推奨。

みどりんは、実は何年も一緒に森づくりをしてきた盟友でもあり、そして、私のインド医学(アーユルヴェーダ)の師匠でもあります。
【参考まで】
第62回イベントレポート『森を元気にするためには、インド医学の考え方が最適だと確信した』|枯れ沢復活&ホタルを飛ばす会 (note.com)

たびたび話しは少し逸れますが、私は最近、〝それぞれの森の個性に合わせた、森が喜ぶ森づくり〟に挑戦しています。
そのせいかどうか、その時その場所での、その土地の気候や風土にあった森づくりと、その日ごと違う空気の肌感覚で毎回ちがう炊き方をする和菓子の餡子づくりとが、何だか、とても似てるような感じがしました。森との対話、、小豆との対話、、どちらも、自然との対話が大切なような。上手く言語化できないのですが、、、。

新しい湯で再び煮始める。
未だ、全く煮崩れしていない。
ヘソは見事に外れている。
しばらく煮て晒をかける。
そっと優しく。
かけ終わったら、
蓋をして、
しばし、小豆談義。
晒を取って、

煮汁がとても美味しそうだったので、このタイミングで試しに一口飲んでみました。
意外や意外!!、、、、全く味がしません!、というか、極上の白湯を飲んでる感じでした!!

砂糖を加えます。
普通は小豆と同量とされているらしいですが、ゆかりん先生のカンで、三分の二の量にしました。

再び煮ます。
このまま、お汁粉として食べたい!!
けど、グッと我慢の子、、、。

美味しそうになって来たのですが、美味しそうな〝小豆の香り〟がしません。
ちょっと意外ですが、それが、小豆が上手く炊けている証拠なのだそうです。
何故なら、美味しさも、香りと一緒に飛んでいくから。

香りで集客するといえばウナ丼ですが、そういえば、本当に美味しい鰻屋さんは、客寄せ用のウナギと、お客さんに出す提供用のウナギは、ちゃんと分けて別に焼いている、という話を聞いたことがありますが、あんこも同じなんですね!

たまに、そぉぉぉーっと、かき混ぜます。
やさしくかき混ぜるためには木製おたまがGood !
も少しかな、、、。掬ったおたまを傾けると小豆が下に落ちる。

火を止めても予熱で水分が飛んでいくので、少し緩いかな!?っていう様子をオタマから小豆を救って落とし、ゆるさ加減を見計らいます。

なんかイイ感じ!

火を止めるタイミングを見計らいながら鍋の中を見続けていたら、ホントになんとなく「あっ、今だ!」と思う瞬間があって、それを言葉に出すより早くサッと先生が火を止めたのでビックリしました。

ゆかりんも、なんかイイ感じ!
こぉゆぅのを味見でわなく〝つまみ食い〟と言います(写真右)。
ボールに移して冷まします。

あんこ、完成。
私の勝手な思い上がり、かもしれませんが、小豆は未だ、生きているように見えました。

4.もち米を炊く

あんこ作りと並行して、おもちを作りました。
もち米は前の日から、みどりん先生が下拵えをして準備してくれていました。

手順
① 軽く洗って一晩水に漬ける
② 20分蒸す
③ お湯に10分漬ける
④ さらに10分〜15分蒸す

こんな感じでやりました!

⭐︎ みどりん先生の御言葉 ⭐︎(直筆)

餅米は、
浸水時間をきちんと取らないと、

長いこと蒸しても
柔らかくならないみたいで

お赤飯作る時も
そこだけは、いつも気をつけてるよ

なんかさ、お料理もちょっとしたコツが大切なんだよね。

別に、水に漬けるだけだから

手間も何もないけど

ま、

時間かしらね


森の造作と、似てるとこ
あるよね

時間の経過とともに
木を育てることで、大地を安定させる

みたいな

軽く洗って水を吸わせておいた米を蒸し器に入れます。
数段重ねて20分蒸します。
お湯に10分浸けたら、再び蒸し器によそります。
空気が通るように点穴を造作し、さらに10分〜15分蒸します。
冷まします。
手で触れるようになったら、固まらないよう小分けにして皿にのせます。
準備完了。

みどりん先生は最近、不定期開店の〝小料理Mroad〟をオープンしたのですが、野菜とかだけじゃなくて、肉や魚などほとんどの食材は蒸して食べるのが良いのだそうです。

みたび話が逸れますが、私は電子レンジが嫌いで、滅多に使いません(たまに、電子レンジでしか調理できないものを間違って買ってきてしまう)。
甚だオカルトな話になってしまいますが、一説(都市伝説?)によると、電子レンジというものはそもそも軍事利用のために開発された技術で、無理して平和利用として普及させられているだけで、テロリストとしての烙印を押されたフセイン氏を宇宙空間に浮かぶ衛星からピンポイントで照射して焼き殺したとのことで、そんな恐ろしいものを照射した食べ物を私は何故だか美味しく戴くことができません。それに、電磁波が身体に良くないとか、食べ物が本来持っている〝生命エネルギー〟は全て消失してしまい、その意味では食べて自分の身体に取り込んでも、真の健康をつくる力が無くなってしまうという説もあります。もちろん私はそんな話は信じませんが、この世界には何か目に見えない力が存在しているような気も、最近はしています。なので、〝食べる〟ということは、〝自分以外の生きものの命を戴く〟ということでもあるので、もしそうであるなら、わからないからこそ、その、〝生命エネルギー〟を無にしてしまうような調理方法を取ることは、食べられる命に対して失礼ではないのか?、、、なんて考えてしまうんです。

5.きな粉づくり

あんことおもちづくりと並行して、きな粉も作りました。

大豆を用意する。
フライパンで炒る。
豆が重ならないくらいの量で。
炒りあがったら、プロセッサーにかけたのち、ふるいにかけて粉にする。

ふるいに残った大豆も、滅茶滅茶美味しくて、サラダにまぶすとか、様々な料理に使えそうでした。(出来上がりの写真は撮り忘れました!)

6.おはぎをつくる

2種類つくりました。

手のひらにおもちを乗せ、薄く広げて、
あんこを乗せ、
包み込みます。
個性ある形状が素晴らしい!
きなこをまぶします。
和気、藹々。どんどん出来ていく。
あんこを薄く塗るのって、けっこう難しい。

長年、和菓子屋さんを支えてきた、みどりんのお母さまに、ここは無理を言って実演して教えて貰いながら、ようやく出来上がりました。

7.どうしてこんなに美味しいんだろう?

よたび、話を横道に逸らしますが、今日は私にとっては、そもそも一体全体、〝料理〟って何なんだろう?、、、という疑問と向き合う時間にもなりました。この年まで、料理教室のような場所に参加したことが一度も無かった、ということも大きく影響したかも知れません。
そして、〝食べる〟ということも、一体どういう行為なんだろう?、という問いにも向き合う時間でした。命を戴く、ということ。小豆も大豆も米も、一粒ひとつぶ、一つの生きものだと考えるならば、命の重さって何なんだろうと、、、。
最初、そんなことも頭に浮かんだものの、小豆を煮ているうちに、その小豆が、いつ死んだのか、すら曖昧にぼやけてしまって、出来上がった〝おはぎ〟は、何故かイキイキと輝いて、ただただ、美味しそうに並んでいて。

一口ほおばって、どうしてこんなに美味しいんだろう?、、、、と感動と感謝が胸に込み上げました。

食べられてしまうのに、何故、小豆はこんなに美味しく生まれ変わったのだろう。

〝死は、利他でしかない〟という、誰かの言葉が頭に浮かびました。
きっと、小豆も、大豆も、もち米も、「美味しくなって食べられたい」と思ったのかもしれない、と思いました。

そして、小豆を炊いている間の、とてもゆるやかに流れる時間は、豊かで、贅沢で、かけがえのない時間でした。
そんな、日々の暮らしを丁寧に紡いでゆくことが、あんこづくりでも、森づくりでも同じ、一番大切なことなんじゃないかなと、改めて思いました。

あん研、第二回開催、乞うご期待!!

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