オンラインサロン「青い傘」の部長をDisるよ!コンプラ過剰発見!それはオンラインサロン青い傘でね!

ちょっと待ってブチョーーーーー

コンプラとかほんまにアホやと思う。日本人の責任回避癖と相まってほんまに救いようないよな。

ほんまである。

私は文芸のオンラインサークル「青い傘」に所属している。そこでこんな出来事があった。流れを追って話したい。

オンラインサークルには雑談のチャットがある。そう「雑談のチャット」。ま、5チャンくさいやつw
そこでですね、こんな発言があった。
「10代20代専用の雑談のチャットルームをつくってもらえませんかねええええええええ??????????」

ま、メンバーの話を詳細にするのは、ここでは割愛したい。なにやら、サロンの規約に触れそうだからw、そして空気読めない人間だとすでに思われてんのに、「空気読めない人間認定」という消えない焼き鏝は熱くていやだしwww

しかし?ここは文芸のサロンなのである。私は思った。

ふざけてんじゃえねえよ❤

そこで感じたのは単なる閉鎖性についてだった。10代20代の部屋、その他の年代の部屋。それちょっとさああああ。芸術を語り、論ずる場所よ?一応さ。そんな思いが去来したんだ。

しかし、部長は「コンプライアンス」という概念でもって、それを了承したのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

驚きである。早速部屋は別れた。しかも体よく「#【新規向け】lightな雑談部屋」と「#deepでdopeな雑談部屋」と別れている。しかしだ、メンバー間で、「今日はライトに雑談したい気分なのおおおお~」とか「なにか、deepにdopeに語りたい。今夜。。。」などと使い分けることはないであろうということは、目に見えている、暗黙の了解であり、ただの世代別、部屋わけである。メンバー間の共同幻想wwwである。リンゴは赤い。リンゴは甘酸っぱい。青森産を金正恩も好んでいた。10代20代はlightな雑談部屋で話そ♥、その他の世代はdeepでdopeな雑談部屋で話そ♥。

その工夫は一見賢く映る。メンバー間ではそう認識しているだろう。けれど太宰治なら、その創意工夫を何と呼ぶだろうか?
「恣意的な創意工夫か。へっ! いやらしいねっ!!」。なんてね。これは故太宰治が言ったかもしれないという私の昔の読書の記憶の断片をおぼろげに再現したものでありw、私の言葉ではない。断っておきたい。これ以上メンバーに嫌われたくないという思いww、汲んでくれ。

まあ、でもね? その部長との一対一のチャットで、私は一応納得し、「ぶちょーーーー、ごめんねえええ」と発言している。それ、わけないよ? 世代別になぞ? 俺たちなんか齟齬あったみたいなwという部長の発言の後だ。しかしだ、ことは今朝になり一変した。

至極一般的社会通念としてのコンプラ

部長はこう認めた。それが今回の措置への正論であると。バカなの? どっかの利益を生み、従業員とその家族を養い、株主に飼われている取締役と役員の言うことじゃないの?それって。サロンの存在を守りたいという「気持ち」を汲んだとしてもよ?

例えば、本屋。ここには「クリトリスにバターを」が売られ、陳列されている。クリトリスにバターを、というのは、今あまり知らていないことに驚いたんだが、「限りなく透明に近いブルー/村上龍」のもともとの題名である。村上龍自身がつけた題名だ。編集者がそれを「限りなく透明に近いブルーに」変更したのだって。さすがだ。私は村上龍氏のファンであるが、どちらの題名も素敵に思える。さすがだ。

ところで、少々話は脱線したものの、このクリトリスにバターは純文学のカテゴリーにあり、10歳の少年少女も自由に買うことができる。
そして、万が一、その少年少女が、トラブルを起こしたとする。それが性的なものであったとする。まあ、私なんてさ、そういうの安直にさ、その少年少女が「クリトリスにバター」でもって影響を受けたためであるなんて、決して言わないけどさ。世間とか世論とかメディアってさ、そういう安直さあるじゃん。だから、本屋の責任論につながりかねないのが、今の日本の傾向と言えるのだ。しかし今のところ、本屋組合?は責任回避をしていいない。「なぜそんなヒワイな本を10代に販売できるというシステムがあるのだ!」という正論に対してコンプラバカになっていないのだ。今のところそのようなコンプライアンスは本屋に存在しない。

コンプラとかほんまにアホやと思う。日本人の責任回避癖と相まってほんまに救いようないよな。

これだ。企業も今や必ずコンプラを作る。これは日本に顕著な責任界回避癖から来ていることは間違いない。うちの社員がやらかしてもうた。しかしだ!うちコンプラあったんす。コンプラとの正体とはただのリスクマネジメントだ。企業に置けるコンプラの設置だって、私にはばからしいと思ってしまうほうだが、まあ、企業の一員による不正を防いで、不利益を防ぐとか、名誉棄損――――、だの、慰謝料の要求――――――だのを、未然に防ぎたくなる気持ちはわからないでもない。

しかしだ?ことは、サロンだぜ?コンプラ導入しようとしたのはサロンだぜ?それなに?
例えばメンバーが規約を守らない。するとメンバーは除名となると、規約にある。それでいいではないか。規約もうすでにあるし、入るとき読むし。読めと言われたしね。

しかし今朝、今回の措置はコンプラ、そしてそれは正論だと言った部長の見解に対しては、しみったれているとしか思えないのだ。

我々、10代20代とは、別世代の人間が、セックスや暴力の話題を文学だんと絡めて、雑談したとする。それに影響を受けて????、ってことはさ、厳密にはあり得ないけどさ、10代の子が、性的な、あるいは暴力的な、トラブルや犯罪を犯したとする。すると、世間の、世論の、メディアの見解は確かに、このサロン「青い傘」ってやつは、なんだか怪しげである。だって、犯罪者を生んだもんね♪となることへ対策するコンプラだ。つまりそう言ったネットで拡散しやすい「正論」に対する自意識過剰なコンプラバカの発想なのだ。

つまり、成熟した世代が(おっさん、おばさんがw)、性的暴力的な話をしているところに10代をまぜないよお♪というコンプラさえ、作っておけば、そういったことが起きにくいし(私は厳密に分析すれば、そんな関係性はあり得ないと思うんだがw)、起きたとしても対外的に、世間、世論、メディアから、青い傘は「なんだか怪しげな集団である、胡乱なやつらだ」という目で見られないだろうという安心を得たいがためのリスクマネジメントに過ぎない。

企業か?w

だいたいにおいて、万が一、そのようなトラブル犯罪を犯したメンバーがいたとしたら、単に除名すればいいのだとも先にも言った。企業のように、メンバーの不正?による、対外的な損失など、「どんな目で見られるか」というリスクに過ぎないではないか。そしてそれは文芸というサロンにおいて、大きなリスクと言えるのだろうか。いや、小さなリスクの芽も摘んでおきたいう発想もわかる。しかしそれによって失うもの、それを持ってくる思想的背景はどうなんだ?

だからこそ、私は何度でも何度でも何度でも言いたいのだ。

あーーーーあ、青い傘っていう文芸のオンラインサロンも日本人という特性から全く免れ得ていないね。つまり責任回避癖が根っこからしみついてらあ! とね。

責任責任と言っているのは、このケースも当然、社会的責任のことだ。私はコンプライアンスを責任回避と言ってきた。それはどうしてかというと、企業においても、不正を犯した社員がその責は負えばいい。別に社長や役員が、同じ秒数、禿げたり薄くなった頭を、テレビのカメラの真正面に、映し、頭を下げなくてよろしい。それは世論による株価の上下などに対する、リスクマネジメントだろう。世の中は、それを求めず、法を犯した人に責任はあるという認識を持つべきだ。そういった世の中を我々は目指すべきだし、そういう日本にするべきなのだ。いま現在の日本のコンプラは、しつこいようだが、企業の責任回避に過ぎない。単なるコンプラバカである。 
 それならば、オンラインサロンのチャットで影響を受けたと世間が言う、そのトラブルや犯罪を、なぜ言葉などで表現しようと模索しているメンバーで構成されたサロンは、そういった現象は起きにくいのだしと論理で説明し、なぜ言葉でもって、それらの現象を分析し、解析し、世間に認めてもらい、存続していこうという気概を持たないのだろう………。

だいたいさ、部長は私にはじめこう言ってるのよ。芸術、文学にはコンプラなんぞいらないけれど、チャットにはコンプラいれます。それはさ、企業的発想じゃんよ。以上に長くつらつらつらつらと書き連ねたことを端的に言ったのみでしょう?

10代にタバコを吸わせた大学サークルとはレェベルが違うんだよ!バカヤロー!(オカダ カズチカ氏無許可)

10代の子供が部室でタバコを吸っていたのが何らかのきっかけで露見したとする。その際、20代以降のタバコ許可年齢である大学生たちは、それを目にしているわけだし、それを容認していたわけだ。また、お前もそろそろタバコとか酒とか初めてたらあ?モテるぜwとお言いながらギターをかき鳴らす人がいた場合、それは犯罪の幇助犯だの教唆犯だのにはなる。めんどくせえな。

まあ、そうなる。しかし………。しつこく説明してきた現象、セックス、暴力について文学談を、横で聞いていた、10代が犯したトラブル・犯罪を我々サロンは、幇助も教唆もしていることにはならない。よって、世間に「怪しげな団体だとか、胡乱なやつらに見えるなあ」という感想を持たれたとしたって、それは、単なる自意識の病気に過ぎずw、犯罪にはならないから、10代にタバコを吸わせた大学サークルとはレェベルが違うんだよ!バカヤロー!(オカダ カズチカ氏無許可)ということになるわけだ。

部長さああ、それさあ、単に、こういう風に言ったらあ?

なんつても雑談のチャットルームだからさ、若者と爺婆ではノリも違うと思うんだよね。だから、わけたほうがさ、メンバーも住み心地いいし、盛り上がんない?

素直にそう言えば?❤

ここで断っておきたい。部長はめっちゃ我々オンラインサロン「青い傘」のために寝食を忘れているかどうかまでのプライベートは存じ上げないけれどども、それを想像させるほど、がんばってくれている。文章も素敵なのだ。人柄も素敵だし。お慕い申す。いつか、私は部長に抱かれるのが、目下の夢なのだw、決して夜見る夢ではないよ。

まあ、ほんとの胸の内はね、私の。知識自慢、こんな言葉を知ってるぜなんていうせこいアイデンティティーの確立をもくろんだ、くだらない話でなければ、文学の雑談だっていうのも、とても大切で、年寄りが若者の使うワードや、センスや、読み物に影響を受けること、若者が年寄りの使うワードがわからないとき、自身調べる、質問するとか、センスに影響を受けずとも理解する、読み物をまねしして読んでみる。そして、考え方や思考法を、学んでいく。これは私たちが行う芸術の活動において、とてつもなく貢献する事々だと思ってるけどね。

ある著名な音楽家がいるんですよ。その音楽家がまだまだ売れていないとき、DJがかける音楽にとても貪欲だった。今の曲なっていうんですか?なんていうミュージシャンなんですか?なんていうバンドっすか?なんていうジャンルなんですか………?

この話は私の中でとても大切にしている話です。とてもいい話だと思う。美しいとも思う。その偉大なミュージシャンももちろん、その親切で心優しく偉大なDJも。そしてそのストーリーもとても珠玉で美しい。

コンプラバカにはなりなくないな。私は人に厳しくありたいし、責任を取らせたうえで、チャンスを与えることのできる人間でありたい。だってきちんと人に期待できるから。当たり前だと思っているモラルにもいちいち考えてみて、皆が当然とするモラルに対し、すぐにコンプライアンス!!などと居丈高に言う人間になぞなりたくないなあ。

芸術、そして文学は本来自由で自発的で、誰しも少しの小遣いで自由にアクセスし、シェアできる地点を目指すべきである。

小説を書きながら一人暮らしをしています。お金を嫌えばお金に嫌われる。貯金額という相対的幸福には興味はありませんが、不便は大変困るのです。 ぜひ応援よろしくお願いします!