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2歳児がおしゃれに目覚めた話

「あか! あか!」

息子に青いパジャマを着せようとした時だった。パジャマを鷲掴みして投げ捨てながら、赤い服が良いと息子が主張したのだ。右手にズボン、左手に上着を掴んで、ワンツーのリズムで思い切り床に投げ捨てる。俺が着たいのはこれじゃないんだと、不機嫌さを分かりやすく表現している。

色の名前を覚えたのは、もう半年くらい前だったのに、突然色にこだわり始めた瞬間である。「パジャマ買ったばかりなんだから着てよ」と息子に着せようとするも、ギャン泣きで逃げ回り体の全てを使って拒否する。

我が家に赤いパジャマはなくて、とりあえず綿の肌触りの良い赤い服を探して息子に見せると「あか!」と嬉しそうで、自分から進んで着てくれた。息子は、自分が身にまとう色を自分で決めることを覚えたのだ。

「おしゃれさんだね」

夫はにこやかに息子の成長を喜んだ。私は喜びというよりも驚きの方が大きく、赤にこだわる息子のために赤い服を新たに調達することばかり考えていた。赤だけでなく、黄色、オレンジ色も好きみたいだ。どういうわけか青や黒は着なくなってしまい、息子の服は寒色系が多かったので少し困った。黒地に赤い消防車のアップリケがある洋服、青と赤のチェックシャツは許容範囲らしい。

近くのリサイクルショップを2軒回って、新しい赤い服を探し回った。ショッピングモールにも行き、新品でも赤やオレンジの服を探し、amazon、メルカリ、ブランド直営のネットショップもチェックした。息子が好きな、目に突き刺さるような鮮烈な赤い服はなかなかない。それでも10着近く買い集め、息子のこだわりに備えた。

突然の暖色ブームも、ある日突然去ってしまうのではと不安になったけれども、息子が笑顔で好きな色の服を着られることは息子にとって重要な気がして、親として息子の欲求を満たしてあげたいと思ったのだった。

甘やかしすぎだろうかとも思った。何でもかんでも息子の思う通りにしなくても良いのではとも思った。でも、初めて自分の意思で「これが良い」というこだわりを見せたのだから、自分の意思が通るという経験も必要だと思った。小さい頃は、まずは自分が大切にされている体験が重要なのではと思ったのだ。

本当に赤しか着ない時期が3日ほどあって、仕方なく真っ赤なパジャマをamazonで探した。真っ赤なパジャマが1着と、スパイダーマンの赤いパジャマが1着見つかり、どちらにしようか2日ほど迷った挙句スパイダーマンをポチった。息子が望むのならば、いかなる時でも赤で身を包んであげたかった。

しかし、全身真っ赤ボーイは目に痛い。テンションが高すぎて疲れる。寝る時などは少し落ち着いた色が良い。真っ赤なパジャマがほとんどなかった理由というのは、多くの人は寝るときは落ち着いた色を好むからなのだろう。

しかし息子は上下真っ赤な服に身を包んで眠り、真っ赤な服で保育園に行く。お着替えも可能な限り暖色系で揃えてあげる。保育園の先生は朝会うなり、「わっ!赤い!」と驚いて、「赤しか着てくれないんですよ〜」と半泣きで私は答える。

そんな中、暖色系の服がほとんど洗濯に回ってしまい、保育園のお着替えが灰色のズボンになったことがある。保育園の先生の話術でなんとか履いてくれたみたいなのだが、息子は家に帰るなり灰色のズボンを脱いで、「ニンジン!」と自分でオレンジ色のズボンを探しタンスを漁った。保育園では仕方ないから履いてやったけど、俺は本当はこんな色のズボンは履きたくなかったんだという態度である。赤がないならニンジン(オレンジ色)で勘弁してやらあと言うことらしい。

強烈な赤ブームは、オレンジ色を許容しながら一週間近く続き、ある朝「きいろ!」と叫んで、全身黄色コーデを選んだ。次の日はついに自分で「み!」と言いながら緑色のズボンを選んでくれた。少しずつ赤以外の服も受け入れるようになってきて、全身レッドマンの影が薄くなってきた。

徐々に寒色系の服を受け入れるようになって、赤ブームに火がついて二週間が経とうとした夜に、一番初めに猛烈に拒否した青いパジャマを受け入れてくれた。この瞬間、赤ブームが終わったのだと思った。怒涛の赤祭りが終わったのだ。十分に赤への欲求が満たされて、成仏してくれたのだろう。

尚、赤ブームの最高潮にamazonで注文したスパイダーマンの真っ赤なパジャマは一週間以上届かなかった。赤ブームが過ぎ去った後、息子が着てくれるかどうか心配である。




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