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子供の発熱、母としての働き方

ゴトリ、と鈍い音がして夜中に目が覚めた。息子が布団からはみ出して、フローリングに頭を打ちつけた音だった。我が家は7畳のフローリングの部屋に直にマットレスを敷いて巣作りをしているのだが、寝相があまりにもひどく、縦横無尽にゴロつき回る息子はしょっちゅう場外に落っこちている。その度に起きて、ふかふかのお布団に乗っけてやるのが親の役目だ。頭を打っているくせに、スヤスヤと平和に眠っている。大した衝撃ではないのだろう。

むしろ私に衝撃が走ったのは、息子を抱きかかえた時だった。体が熱い。これは発熱している。今は日付が変わって木曜日の丑三つ時。思わず当日の仕事の予定を頭の中でスクロールしまくり、急ぎの用や会議がないかを確認した。ない。夜が明けたら小児科に行こう。仕事は休もうと覚悟した。

初めて母になって2年目。息子は1歳9ヶ月になる。育休が明けて、時短勤務になって1年目だ。今日は一日家で自分で息子の面倒を見るとして、明日は病児保育の予約が取れるかしらと手のひらが冷や汗でぐっしょりとした。今はRSウイルスが流行っていて、Twitter情報によると風邪も大流行しているらしい。怪しい。極めて怪しい。2日連続で休むことの後ろめたさで、しばらく寝付けなかった。

昨晩やたら寝かしつけに時間がかかったのは発熱の予兆だったのだろうか。考えても意味のない事が頭を巡る。寝る前の息子のテンションの高さは高速道路を時速300キロで疾走するイージーライダー並みに突き抜けていた。リビングからお気に入りの木製バイクに乗って、爆速で布団に乗り入れ、ハンドルをしっかり握りバイクにまたがったままブゥンブゥン口を尖らせて「俺はまだまだ寝ないぜ」と訴えていた。まだ言葉が喋れないだけに、態度でものを主張するのである。

布団の上のバイクはあまりに邪魔なので、「ないないだよ〜」とリビングに戻すと泣き叫んで猛抗議をする。「俺の相棒になんてことするんだ」と言わんばかりに顔を真っ赤にして涙をポロポロこぼし、バイクを追ってリビングに消えた。そしてまたバイクにまたがって寝室に突撃し布団のど真ん中に駐車を決め込む。電気を消して「もうねんねの時間だよ」と言っても、布団のど真ん中でバイクに乗ったまま首をフルフルと左右に振って、断固拒否の姿勢を崩さない。

こうなったら我慢くらべだ。夫と二人で布団の隅にばらけて寝たふりを決め込んだ。しばらく息子はバイクに乗ったまま銅像のように堂々とビクともしなかったが、両親が相手にしてくれないわ、電気真っ暗だわ、そもそもなんで自分がバイクに執着していたかも分からないわで、そろりとバイクを降りた。すると両手を広げて母親の私に「あっこ….」と抱っこをせがんできた。暴走族から甘えっ子大将への豹変である。夫は寝落ちたようで、深い寝息が聞こえた。

腰骨のあたりに息子の脚を巻きつけて、上半身にフィットするように息子を抱き上げる。片手でお尻のあたりを支え、片手で背中に手を当ててトントンするのが寝かしつけのルーティン。しっかり母の私にしがみついて、全身を私の胸に預けてウトウトとするのが愛らしかった。思えば、この時体温がほんのり暖かく、熱が出始めていたのかもしれない。

夜が明けて、体温を測ったら38度3分だった。今日は仕事は休みだ。煩わしい気持ちが全身を支配した。ため息が出たのは、2週間前も発熱で保育園を休んだからだったかもしれない。この時は、発熱の前日に保育園で咳き込みが酷いと報告があったので、その日のうちに病院に行き、病児保育の予約を取れたので仕事を休むことはなかった。

朝一番に病院に駆け込むも、すでに5、6組の親子が待合を賑わしていた。その後あれよあれよと患者がやってきて、病院の待合は満席になった。風邪が流行っているのは本当らしかった。診察までなかなか呼ばれず、暇を持て余した息子は椅子をアスレチックにして筋トレをしたり、狭い通路をチョロチョロと爆笑しながら走ったり、本当に風邪をひいているか疑わしい様子だった。

子供の付き添いは母親ばかりで、この内の何人が仕事を休んできたのだろうと想像した。フルタイムなのか、時短なのか、働き方は人それぞれだ。

育休中、フルタイムで戻るのか、それとも時短にするのか私はあまり悩まず時短を選んだ。時短勤務は週21時間。9時から16時の勤務を3日間と9時から12時の半日勤務の、週4日働くスタイルだ。お給料は新卒で毎日残業して病気になるまで働いていた時よりも少し良いくらいで、決して高くはない。フルタイムで働いていた時と比べると3割は減った。

母親になっても働き方を変えたくない人はいるだろう。子供を産む前と変わらずバリバリ働いて、仕事を通じて理想のキャリアを追い求めたい人の方が多いのだろうか。私は育児と仕事の両立に自信がなく、とりあえず仕事はゆっくり、無理をしない環境を作りたくて時短勤務を選んだ。もちろん家庭の事情で、時短勤務を選んだ方が都合が良い理由もあった。ただ、産後の肥立が悪く、ひどく精神を壊して育休中に入院したこともあって、私は無理をしない道を選んだのだ。

ネットを開けば、仕事も家事も育児も完璧なスーパーウーマンが賞賛されているような気がするのは、私自信に埋め込まれた劣等感が作用しているのかもしれない。家事を外注して、育児はベビーシッターに任せて、仕事で輝くママ。そんな他の母親の姿が眩しくて、その光で私は黒焦げに燃え尽きそうになる。

自分の低くなった収入が自分の存在価値のような気がして、劣等感と焦燥感で苦しくなって、いたずらに転職エージェントに登録しては退会した。今は転職するようなエネルギーもなく、環境変化という大きなストレスは自分の病気にとっても良くないことは分かっている。ただ自分が時短勤務のゆるいキャリア形成の元で、労働市場での価値が下がっていくのではと心配になって、今より年収の高い職を探そうという、安易なトラップにハマろうとしているのだ。

今転職して、フルタイムでバリバリ働くようになったら、子供のことを大切にできなくなるだろう。きっと私は家事の外注もベビーシッターも上手にマネジメントすることはできない。そもそも「仕事で輝く自分」と言うのも、明確なビジョンがない。例えば年収が倍になって、死ぬほど忙しくなり子供の成長を見守る事ができなくなるとして、それは果たして私が望むことなのかもわからない。輝いている他の母親像は、陽炎であって、幻に過ぎないのではないか。

親というのは、心に余裕を持つことが義務だと思う。それは私自身が余裕のない両親から傷つけられた経験から思うことだ。余裕のない心では、子供に対して理不尽な対応をしてしまう危険があるからだ。

余裕をなくした大人は怖い。子供の頃、両親の離婚、家庭崩壊を経験している私は理不尽に怒鳴られ、家庭に居場所がなかった心の傷を負っている。同じ悲劇を繰り返したくない。家庭で一番立場が弱いはずの子供を犠牲にするような親にはなりたくないのだ。

母親になって2年目。大きな環境の変化に適応しながら、自分の理想の働き方を模索していた。生活に、一定の心の余裕が持てる働き方。それが私の理想なのかもしれない。

病院の待合を走り回って、鬼ごっこ状態だった息子が走る足を止めて、私に振り返り、両手を広げて「あっこ」と言った。抱っこして欲しい合図だ。私は息子を抱き上げ、温もりを確かめた。あと何年抱っこできるのだろうか。そのうち抱っこできなくなる日がやってくる。

子供を抱っこする時の幸せな感じ。愛にあふれた温かみ。子供に全面的に信頼され、それを受け止め、安らかで心地の良い気分に満たされる。それは母になって初めて知った、大切な記憶だ。

素直な気持ちで、何にも邪魔される事なく、できれば純度の高い愛情で息子に接していきたい。そのためには、今は時短勤務が私が笑顔で働ける、私らしい働き方と言えるのだろう。

#私らしいはたらき方

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