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コンピューター アプリ システム Ai そして冤罪

今私達は無数の便利なシステムを使いこなしながら、利便性や生産性の高い暮らしをしています。導入期は色な手間暇がかかり、新たなものを取り入れるための問題も多発しますが、それでも少しづつ新たなシステムを使える様にと、努力して日々技術と共に人間は生きています。

2005年イギリスにてある事件が発覚。
郵便局の収支が合わず、不明金が続出した。各郵便局に調査委員が入り込み、色んな調査を行ったが、原因が判明しないまま多くの責任者たちが、犯罪者と判決を受けて多くの人生に莫大なる損失を受けた。
原因不明の失ったお金、正当なる原因追及、解明もなされぬまま、多くの捕まった人間たちは、司法取引を持ち込まれた。やってもいない犯罪を認める事で、罪の重さを軽減すると。あるものは家族に迷惑をかけたくない、あるものは刑務所に入りたくない、あるものは早く新たな人生に進みたい、多くの思惑が絡み合う中で、取引に応じたものが続出したが、裁判は有罪判決を落としていく。冤罪を受け止めることができずに、死んだものさえいる。英国史上、最大の冤罪事件と今騒がれている。2015年までに700人以上の郵便局長らが無実の罪で起訴され、一部は実刑判決を受けたほか、多くが破産や失業に追い込まれ、少なくとも4人が自殺した。その後、元郵便局長ら555人は集団訴訟を起こし、2019年に会計システムの欠陥がようやく裁判所によって認定され、イギリス政府から補償金が支払われ、今年スナク首相は1月10日、この事件について言及し「イギリス史上最大の冤罪の一つだ。地域社会のために懸命に働いていた人々は全く落ち度がないのに人生と名声を破壊された」とした上で、被害にあった人の補償を行うための法案を議会に提出するなど救済を進める考えを表明。システムを導入した企業は、積極的コメントはしていない。

当時問題原因を調査した者達は、今何を思っているのだろうか?英国警察の当時の担当者たち、会計システムを導入した企業の関係者たち、報告書を作成したものたちに、分析を判断したものたちと、かず多くの人間が原因解明に動いているはずだ。その事実を調査するのに、当時携わった人間達は、今何を感じているのだろうか?

何も罪を犯していないにも関わらず、なぜ罪を認めて司法取引に応じたのか?
当時私には17歳の娘と14歳の息子がいました。刑務所に行くわけにはいかなかったんです。当時相談した弁護士に、不正経理を認めれば実刑は避けられると言われたのです。今思えば認めるんじゃなかった」
後日そう語る被害者。この被害者は結局実刑を言い渡されている。
司法取引を持ち込んだ人間たちは、今何を思っているのだろうか?

企業は企業を守るため結論ありきの動きを取る。労働者は自分の生活を守る為に、結論ありきの行動を取る。ある者は積み重なっている案件を時間内で処理する事を優先に、結論ありきで行動を取る。被害者含め誰もが、自分の損益を鑑みて、ある程度の結論を先に出し結局結論ありきの行動を取る。
こう言った事件や事故が発生したときに、純粋に原因を追求し真実を最後まで追求できる人間は、一体どれだけ世間に存在しているのか?

真実を掴み取るには、大きな代償を払う。長い時間とお金もかけて闘わなければいけない。そして頑張って闘い抜いたとしても、必ず真実を掴み切れる保証もない。そんな社会構造、そんな人間社会において、誰が真実を求めて闘うだろうか?人間は弱い動物。人間は無意識のうちに損得計算で動く動物。人間は失う事に臆病な動物。そしてその思惑の中、人間は嘘を吐く動物である。

そんな人間が寄り添い合い出来上がっている社会で、どうやって真実を追求できるだろうか?結局昔から言われているように、冤罪を生み出しているのは決してシステムや構造の問題よりも、個々の人間の弱さがそれを生み出している。
そして、その人間の弱さを責める事を、誰もが避ける。
「あの時、言わなければ良かった」「あの時、黙認しなければ」「あの時、勇気を持ってやっていれば」結局、沈黙を貫き真実の追求よりも、己の生活の安定を追い求めた個人の心情は、その人間だけが知っている。どんなに後悔しても、沈黙を貫いた者たちは、何も失う事なく生きていける。

冤罪という罪を課せられた者達は、多くを失い傷つき長い時間、色褪せた世界で生きることを強いられる。過弱き沈黙の賢者達は、心の中に空いた穴を忘れるように、守り切った日常へ埋没していく。
人間と言う動物は、一体何を求めているのか?
正義を貫く勇気、真実を追い求める情熱、共に助け合い苦境を乗り越える愛と言ったものに涙し喝采を捧げながら、一方では息を潜め目の前の日常を維持する為に、賢い沈黙を貫く。沈黙の過弱き羊の姿を見ながら育ってくる子供達も、この賢い沈黙を善として育ってくる。

コンピューターが間違う訳がない、システムが間違った答えを弾き出すわけがない、Aiが計算ミスをするわけもない、警察が落ち度ある調査をするわけがない、医者が間違うわけがない、裁判官が良い加減な判断を下すわけがない、正義なんて青臭い感情論にしがみ付いても、得することはない。真実を曝け出しても、得する者は誰もいない。組織で動く以上、指示を厳守するのが責務である。そうやって人間は、多くの人間を抹殺し歴史を繰り返している。同時に犠牲者たちは、いつの世もマイノリティーの域を脱しない。嵐が過ぎ去った大海のように、今日も何事もなかった様に、その姿を維持している人間社会。

「運」という言葉で、「仕方がないよ」というだけで、いつの世も犠牲者たちは、悲しみと苦しみと憎しみと背負わされ足を引き摺りながら生きている。

法は弱きを救うわけではない、多くの者たちの秩序を守るためにある。警察は真実を曝け出すことが職務ではない、多くの者たちの秩序を守るためにある。多くの民衆を対象とする時に、必ず犠牲になる少数派が存在する。結局誰もが真実を望んでいるわけじゃない。誰もが目の前の日常を維持する事を求めているだけ。その為には不都合な真実は、時として不要ものと化す。時として正義は邪魔なものと化す。責任とは?正義とは?真実とは?すべてのものは、目の前の安定を維持する為に利用されているだけ。

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