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人間の本質11

我々実社会では、容易にこれは嘘だな、と見抜ける様な事実がある。

税関局員が本人承認を取らずにスーツケースの一部を破損し、覚醒剤を発見した。当然警察へ、裁判へと突き進んだが、この職員の未承認強制破損での物品押収は、法的に許されない行動で証拠になるべく覚醒剤は証拠として却下され、証拠品なしで、被疑者は無罪となる。

贈賄の払い手が「支払った」と述べる。受け取る側が「もらってない、証拠はあるのか?」となる。証拠がない限り無罪となる。

職員が公文書を偽造したと訴える。国会は証拠があるか?と問う。証拠がなければ、告白した議員は嘘つきと化す。

車で人をはねてしまった。逃亡するが、車に証拠ありで持ち主は被疑者となるが、そのときに間違いなく当人が運転していた証拠がなければ無罪となる。逃げるが勝ち。運転していなかった証拠も求められるが。

現実社会では、バレない嘘は嘘じゃない。

これが人間と言う動物社会の側面である。

記憶に御座いません、平気で嘘を突き通す。それで通用する。

その嘘で犠牲になってきた人間も無数にいる。

国家、組織、によって殺されてきた人間は無数にいる。

大義の為に個人は切り捨てられる。何が大儀なのかは不明だが、多くの場合何かを守る為に個人は殺されるのが世の常である。

子供達はその現実を成長過程で目の当たりにする。

人間は嘘をつく動物。嘘は良くないと良心に訴えても片手落ち。嘘をつく動物が人間なのである。嘘を暴く、嘘を隠す、イタチゴッコの劇場が毎日繰り広げられている。その主人公が国家相手の戦いとなればほぼ負ける。殺される可能性もある。

嘘をつくなではなく、嘘をつけない、嘘が通用しない、道を探すこと。そう言ったシステムなどでの対応を図っていくべきだろう。

人間はどうしても嘘をつく動物なので「嘘をつかないで」と懇願しても無理な話。当然「嘘」にも善悪を見出し利用していくのが人間。

結局「〇〇してはダメ」「〇〇は良くない」と言ってもやるのが人間。やるための正当性を見出してやっていく。勿論人間の良心に訴えることも重要な側面があるので継続は大切だが、一方で「〇〇するな」ではなく、やること前提で、どのように対処していけば良いのか?も議論すべきだろう。

明白な嘘に対処する証拠主義、令状主義的な思考にも手直しをすべきだろう。それらのシステムは冤罪対処を目的としているのだろうが、現実は国家、組織による冤罪作りの方が、個人による冤罪より圧倒的に多いと思う。個人が作りあげる冤罪は、痴漢冤罪程度で、TVドラマじゃないが個人が用意周到に誰かを罪に陥れることは少ないと思う。ならば明白な嘘に対しては柔軟な対応をしたほうが良いと思う。

現実社会を見れば見るほど、人間はあまりに愚か。子供達が「やってらんねぇよ」とこぼす様な社会じゃ、いくら大人がカッコいいこと述べても、説得力はないだろう。もう少し大人は賢く振る舞う責務があるだろう。

思考に行き詰まりを感じ、問題を棚上げにして、無知な状況、無関心を当たり前とした日常から個々が抜け出さないと、社会は変わらない。

国家や組織などの大嘘の犠牲となり尻尾切りの刑にあったものは、同罪の側面もあるかもしれないが、冤罪の側面もある。大元の大嘘つきがノウノウと生き延びていること自体、個々の人間の無関心、無知が作り出す罪であろう。

経済至上主義も大事だが、あまりに偏り他の事への無関心、無知をそのまま放置していては社会は改善はしない。歩みを止めて、社会で何が起きているのか?目の前で何が起きているのか?キチンと認識を改める事が、嘘を見抜いていく第一歩にもなる。

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