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繰り返し

維新から始まり日本は江戸末期から明治に跨いで大きく国が変わりました。

暦の変更、電話の開通、鉄道開通、アイスクリームが売れる、ラムネが売れる、コレラが流行、丁髷がざん切り、長髪に、羽織袴がスーツに、草鞋が靴に、蝋燭の灯りがランプやガス灯、アーク灯へと、手作業生産が機械式生産へ産業革命、本当に明治を導入期として日本は一気に変わっていきます。そのころの日本は本当に目まぐるしく大変でもあり楽しくもあり忙しい時代だったと思います。明治5年の12月なんかは最たるもんです。とんでもない話題だったと思います。

日本資本主義の父と呼ばれる渋沢のストーリーが大河ドラマですが、当時の日本はイギリス式自立型資本主義ではなく、ドイツによる管理型資本主義を選んでいます。これが後に日本資本主義と呼ばれる基盤なのです。

江戸末期外国船来航を皮切りに江戸が崩壊し、日本を強化せねばならぬと明治の鐘は鳴り響いた訳です。どんどん目の前の生活が変わり、混乱の国内から変化、安定へと向かっていきます。その間本当に多くの国民が議論を交わしあぁでもないこうでもないと内輪揉めで明け暮れていたと思います。

外遊し世界を学び帰国する者、外国を見た事もないが日本を旧態依然から変えようとする者、従来の日本の良さを残そうとする者、右や左、本当に多くの人間達が慌ただしい生活の中で寝ずに働いた時代だと思います。

そうやって明治維新から中期くらいまで、日本は楽しくもあり慌ただしくもあり、多様性に満ちた時間が日常流れていたに違いありません。日本人が一番楽しかった時代ではないかと個人的にはいつも思います。明るい未来へ向かっている実感があったんじゃないでしょうか?

悲しいかな、1890年代ころ世界は植民地競争下でした。折角多様性のある日本国内の雰囲気があったのに、植民地化と言う外敵が明確に姿を現した瞬間、多様性自主性は破棄され始めます。

物事を強固に押しすめようとすれば個々の言い分など聞いてられません。上からの指揮命令が統一され一糸乱れぬ動きをしてもらわないといけません。ですので当時の日本政府が管理型資本主義を選択していった道筋はごく自然の流れです。そしてその日本資本主義は現代でも脈々と引き継がれております。全ては「お上の言う通りに」

明治維新の前も日本人は「お上の言う通りに」を選択して生きてきました。

1867年の大政奉還から1870年代、1880年代、強いて言えば1890年代までのおよそ30年間足らずの期間だけが、日本人が最も自由に多様性に富んだ暮らしが出来た時代ではないかと思っています。

それ以外は、お上が居て上から指示命令が出され、あぁでもないこうでもないと文句を言いながら何とか個々の責任を全うしようと懸命に生きていくのが日本人が選んできた生き方の様な気がします

そして1900年代に突入すれば明確になっていた外敵との直接対決に突入します。世界最大のロシア艦隊まで打ち破るほどの全体主義。この達成感が日本人の最高の幸福感に繋がっていると思います。1945年以降戦後失ったものを取り戻そうと又日本人は国民一体となり、一つの目標に向かい邁進します。そして又日本は強固たる全体主義で経済における復興と言う結果を世界に打ち出します。オリンピックなんかもそうでした、根性で苦しくても泣かずにみんなで食らいついて、倒れても倒れてもそれでも皆の為、国の為と懸命に努力した人達をモデルに総国民「頑張れ!」と全体主義で邁進しました。当然点で見ればその圧力に押しつぶされ悲しくも死んでいった人達もいる事は周知の事実です。

この130年の間に少なくても大きく数回は世界に向け日本人の全体主義における物凄いパワーを見せつけ、立派な結果を打ち出した訳です。冷静に見れば江戸以前の日本人も全く一緒です。時代は違うので敵をどこに見出すかのは別ですが、一つの敵に向かいみんなで一生懸命立ち向かい邁進していく訳です。ですの秀吉は国内制覇を成し遂げた後、国民が集中できる外敵を作る必要があった訳です。それが朝鮮出兵です。

江戸時代はそう言う意味では本当に稀有な時代ですが、生き抜く事が焦点だった背景もあると思います。人によっては江戸時代が日本の歴史上最高地点だったと述べる方がいる位、江戸時代は稀有な時代だと思います。故に庶民文化も本当に開花しました。素晴らしい時代でした。しかし末期には虐げられた人々の熱き思いが「横並び平等」を夢見て維新へと向かっていきます。ある意味旧態依然の村社会が終わりを告げた時期なのかも知れません。その村社会を基盤とする社会の最高峰が江戸と言う社会だったのかも知れません。それ以降時代は村と言う囲まれた世界から外へ繋がる社会へと切り替わった。欧米が植民地化を推し進めたように、日本も世界へと向かい始めました。

そして1870年代からの混沌とした多様性に富んだ日本の外で、以前は霧の向こうにボンヤリと見えた巨船がハッキリと見えてきた。改革しよう未来へ羽ばたこうと言う夢と同時に欧米に喰われないようにしなければいけないと言う危機意識が明確に日本に蔓延します。欧米と言う外敵にいよいよ持って総国民一体となって立ち向かう背景が生まれてきた訳です。

そうなればイギリス型自立型資本主義ではありません、管理型資本主義で統制の取れた管理社会を強化しなければいけません。それが経済の言うところの日本資本主義、国防で言うところの軍国主義に繋がっていきます。

日本のお上主導の管理型全体主義は、明治時代の欧米列強植民地化競争が大きく影響を与えています。これがなければ日本の現代は全く違った形になっていると個人的には思っています。

いずれにせよ、明治の管理型資本主義導入、日本資本主義の構築、お上主導の経済環境は明治渋沢の時代から今に繋がっている訳です。

そして2000年以降全体主義に翳りが出始めました。「もういいじゃん」「頑張っても一緒だよね」「そこまで稼いでどうするの?」「根性論はもういいよ」「別に1番じゃなくても良くね?」逆に「1番じゃないとまずいよ」「もう一回頑張ろう」「世界へ羽ばたこう」などとの声も混在してきます。個人の意識が強くなっていき全体主義は悪とされ始めた訳です。

それを機に日本国内における批判のし合いが蔓延して今があります。兎に角誰かが右と言えば誰かが左。誰かが上と言えば下。20年過ぎても飽きずに上げ足取り批判のし合いはマスコミ中心に続いております。その中で一部の方々は、この叩き合いの世界に正解はない事に気づき、だったら個々に思うように生きればいいじゃんとなっている訳です。それが多様性のある社会にしようというムーブメントです。足の遅い子、勉強が得意じゃない子、怒らない見下さない、それぞれに存在意義はあるんだ。性の多様性も然り、労働環境の多様性然り、其々が思うようように生きればいいじゃんとなっているわけです。

で世界的にもそうですが、この多様性社会が見えてくれば必ず「責任論」は避けて通れない議題です。簡単に言うと自由と我儘は違って、自由には責任が伴い何でもかんでも好き勝手にすれば良いという事じゃないと言う議論です。

さて、この議論が始まれば全体主義における幸福を経験している日本民族は、多様性を優先しないんじゃないかと思います。日本社会には多様性は根付かないと個人的には思っています。危機意識が強く勤勉で真面目で人様に迷惑をかけない事を美意識とする民は、結局全体主義を好むと思います。

戦国時代、封建時代、江戸時代、明治後期以降、常にお上中心に上からのお達しに文句を言いながらも頑張って忠実に従って生きてきた日本民族。個人主義自立主義の土台に乗り切る事はできないと思う。

歴史は繰り返される可能性の方が高いと思っている。それが日本民族における幸福に繋がる選択だと思う。

今後海外へ進出しまくった日系企業は日本国内へ戻る動きに変る。そして日本国内における更なる改善策の議論が高まっていくでしょう。散々議論がし尽くされた結論は「では皆さん合意という事で、みんなで力わせて頑張っていきましょ」と締め括られるはず。

当然点で見れば「だから日本は変わらない」「だから日本はダメなんだ」という声も必ず存在し続けるが、国の選択肢として自立、自主型の社会は無いと思っている。毎度のセリフだがその選択に良し悪しの違いはない。自立型社会も管理型社会もどちらも正解であり、問題はそこの社会の人間がどう取扱どう対応していくのかが問題。日本人というアイデンティーを鑑みれば、自立型の自由を御旗にする多様性社会はカオスすぎて取り扱うにはハードすぎる。

ドラマの主人公の様な 心優しく強気リーダーを、掌握り締めて熱き眼差しで凝視する日本民族。こんなリーダーが良いよね、あの人は良いリーダーだったんだねと常にリーダーを追い求める日本民族。そしてそのリーダーと自分を重ね合わせあの人も自分と同じように苦労したんだなぁと涙を流す。そ言う好きな上司からの指示が合って初めて輝く民族なんだと常に感じる。同時に乱雑を嫌う。キチンと統制の取れた美しい環境を望む。手付かずのジャングル状態は耐えられない。里山を作り出してしまう民族。こう言うDNAを持ち合わせた民族が選ぶ幸福とは何かと言えば、全体主義の中みんなで公平にキチンとルールを守り最低限他人様に迷惑をかけない様に生きていく事。喜びも悲しみも分かち合い同じ釜の飯を食べ、目標に向かって頑張る幸福こそが日本式幸福のあり方だといつも思う。




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