見出し画像

幾つになっても女の子


「こどもみらい塾フラワークラス」

ひたむきに花に向かうその手が可愛らしくてたまらない。

誰もが、小さくてやわらかい手を持っていたんですよね。
いえ、ゴツゴツした手になっても、心にはやわらかな女の子が住っている。「痛いおばさん」にならぬ様、見張っていて欲しい。

私の中では、「ちゃん付け」で名を呼んでくれる友やパートナーの存在はありがたい。私の中の「女の子」がくすぐったそうに喜んでいる。

そして私も、女性を「ちゃん付け」で呼びたいのだ。その人の中に居る女の子を好ましく思うから。(時と場合を選ぶけれど…)

私は花を生けている時、野原で名も知らぬ花を摘んでブーケや花冠を作っていた無邪気な女の子に戻っているのだ。
(正確に言うと、男の子みたいな女の子だったけど)

先日、実家に帰った時に、庭の花を一輪挿しに生けて、あちこちに飾っていた母。ああ、ちゃんと女の子してるねと、ほっとした。

兄は一生懸命、縄文時代の珍しい遺跡の話をしていた。ああ、まだ男の子してるねと、笑ってしまった。

誰の中にもある男の子女の子を消さないで欲しい。それはとても周りを安心させるから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?