眩しい世界で生きていく -aiko「磁石」読解と考察-
aikoは人生な文章書く系&小説書くオタクのtamakiです。PNはおきあたまきといいます。
aikoのデビュー記念日の7月(前期)と誕生日の11月(後期)にaiko歌詞研究として2曲読んで発表する活動をしています。
毎年ではないですが、自分が初めてaikoのライブに行った9月24日付近にも一本何かを書いて発表することも活動の一つにしています。これを特別稿と呼んでいますが、今回はその記事となります(去年2021年は「花火」読解と思い出と様々な勘ぐりを三部に分けて掲載しました)
今年2022年の特別稿は「磁石」についての読解および考察となります。
はじめに
磁石概要
「磁石」はaiko14枚目のアルバム「どうしたって伝えられないから」(以下、時々略称の「どう伝」と表記する)の7曲目に収録されている曲で、アルバムは2021年3月3日にリリースされた。
この読解の執筆時点では最新のアルバムであり、これまで続けてきた読解の中では珍しく最新曲を扱うことになる。「磁石」はどう伝のリード曲として2月17日に先行配信され、MVも制作された。歌番組での歌唱も多かったのでどう伝の看板曲になっていると言ってもいいだろう。
磁石とtamakiの思い出
まず私と「磁石」の思い出について語らせてもらう。
「磁石」はここ最近のaiko曲解禁の名誉を独占している、とも言ってもよい大阪のラジオ局・FM802の番組『ROCK KIDS 802-OCHIKEN Goes ON!!-』にてフルサイズが初解禁された。2021年2月15日のことである。
直前に別ジャンル(アイマス)の特番か何かがオンエアされていて、その余韻そのままというハイテンションで新曲解禁に臨み、聴きながら感想や思ったことをスマホにメモしていった。
確かにaikoでありながらもまた違った、新しい印象を受ける曲……というのが第一印象であったのだけど、二十年以上やってきてまだ新しいことやれるんかこの人は……(大の字)っていうか何だよこの地獄と失望の煮凝りのような歌詞はよ……となった。
その素晴らしさと天才ぶりを、私が狂い散らかすことでせめて私を見ているフォロワーには伝えたい……! と実にオタクな発想で思い、とりあえず耳コピした精度の低すぎる歌詞を貼り付けることにした。既に書いたが当然歌詞にも打ちひしがれていたのは言うまでもない。あんまりにあんまりな歌詞だったもん…(褒めてる)
↑あくまで耳コピ歌詞なので本来の歌詞とは違うところが多々あるのでそこはご容赦して欲しい。
事件はこの後に起きる。
あれやこれやワ~~ッと暴れ散らかしていて、ふっと通知欄を見ると。
……。
…………。
……………???
………………!??!??!?!??!?!?!
そう……aikoからリプが来たのである。
……一年半経った今でも全然信じられんな……ずっと宇宙猫顔をしているような気がする……。
この時指が面白いくらい震えていたのだが、とりあえず脳直でリプを返した(脳直で返すな)そしたらまた来た(は?????????)
いやこのnote編集してる今でも信じられんななんだこれ…。
ここでの一連の動きを語るのは長すぎるので、当時の空気をそのまま詰めた下記のまとめを参照してもらいたい。
そんなわけで、私のツイッターの固定ツイは今でもこれになっている。
いやしかし……aikoと……歌詞のことでやりとりが出来るなんて……なあ…(大の字)
それも私は別にタグをつけていたわけでもなく、勝手に暴れ散らかしていただけなのである。まあ解禁後にaikoにリプ送ったりはしたけど、それはaikoがツイートしたからであって…。
aikoが自分のリプ欄から一人一人覗いたのか、エゴサして見つけてくれたかのどちらかであろうが、なんか……わざわざすみません本当……。てかアイコンがSideMの担当のぱぺちゃでごめん…(このタイミングの外し方がリアルである)(前日にアイドルマスターSideMのWebオンリーが開催されており、サークル参加もしていたのでしばらくアイコンをそのままにしていたのだ)
aikoは……実在するのである……(当たり前)
aiko……いる……。
えーとちょっと戻そう。
いや~~~~…………。
aikoと歌詞のことで…やりとりが出来るなんて……(大の字)
古典の説話か何かで……なんか……なんかこんなんあったよね!(ガバリ)
説話じゃなくてもなんか雨月物語でこんな話あったような気がするそうだよね上田秋成!?(多分「白峯」のことを言っているらしい)
いや上田秋成じゃなくても宇治拾遺物語とかなんかその辺の中世説話にあるって絶対!傾向としては「推敲」にも似てる気がする……。
んなさ~、ほんのちょっと推しからリプもらったくらいでんな大袈裟な……と一年半たって私自身冷たく思わないでもないのだけど、でも、二十年お慕い申しているご本人から、別に自分からファンサして!とアピールしたわけでもないのに見つけてもらって声をかけてもらえれば、そりゃもう、飛び上がらないわけがないだろう。中学二年生の思春期も思春期な頃からずっとaikoを軸に生きてきた私なのだ。
当時の感動と興奮はブログにそのまま記している。
本当に……私の人生を思うと、aikoとtamaki、完!──とかやりたくなるのだが、人生は続くのである。続いているのでこの記事を書いている。
以前「花火」読解の第一部・思い出編で、aikoと私は最初の出逢いの頃は名前と歌詞と曲のみによって繋がっていた、と書いたが、曲よりは歌詞に一番に惹かれていた私が、ほんのちょっとしたことではあるけれど、aikoと歌詞についてやりとりが出来たことは、歌詞研究をもはやライフワーク同然に続けている私として、やっぱりとても光栄な出来事だった。
ということで、「磁石」はどう伝を代表する曲であると同時に、私の中では少し特別な曲になったわけである。
なので、そんな記念すべき特別な一曲を、我がaiko歌詞研究業十周年を記念するの特別稿として取り上げることになったのだ(※2012年の個人誌発行を起点にして十周年としております)
はたしてこの「磁石」は、どのような背景を持ち、どのような物語になっているのだろうか。
資料を読む
あの2020年を経て
「磁石」は最近の曲のため資料豊富なのでとてもありがたい一曲なのだが、まずは収録されている「どうしたって伝えられないから」全体についても少し当たっておこう。
2021年3月にリリースされた今作は、今もなおしぶとく続くコロナ禍が世界を蝕み始め、ただ混乱と暗影を多方面に齎した2020年の様相を色濃く反映するものとなった。
aikoの作品は、いわゆる時代背景的なものと関連は薄い方で、あって2011年の東日本大震災の翌年に出された「時のシルエット」くらいがぎりぎり言及出来るものだったように思うが、aiko自身にも深刻な影響を齎していた2020年のコロナ禍である。どう伝もさすがにその関連を無視出来ない一作となった。
私もアルバムの感想(「いつもいる」の感想)としてaikoなりの形で2020年という未曾有の一年を記録したものになったのではないか、ということを、深く聞き込んでいない状況ながらも書き残している。
↑脳直で書いており文章がアホなので真面目な記事ではないです。
オフィシャルインタビュー(※現在は消去されており、閲覧不可)ではこのように話している。aikoは確かにあの時期に沈んでいたのだが、しかしアルバム自体は暗いイメージを纏っているわけではない。そしてaiko自身、コロナ禍での想いを残そうだのなんだのしていたわけでもないのだ。
いろんなことを“乗り越えたい”という強い想い。その一端も、「磁石」に表れているのではないだろうか。オフィシャルインタビューではこの後に、先行配信された「磁石」を聴いたファン達の反応についてこう話している。
前段落でも記したが、私も確かに、このaikoのコメントにあるように「aikoなんだけど新しい」というのが率直な感想だったし、他のaikoファンもそのように話していた覚えがある。aiko自身も新しい挑戦を試みており、それが上手く成功していたことは純粋に喜ばしいことだろう。
ではこれから「磁石」のことを語っている資料達に当たってみることにしよう。先述したがリード曲なだけあって非常に充実している。おそらく過去最高の取れ高になっているのではないだろうか。
多いので、出典ごとに小見出しをつけていく。
Baby Peenats会報Vol.89
ありがたいことにどう伝はaikoファンクラブ・Baby Peenatsの会報第89号にて一曲ずつセルフライナーノーツが掲載されている。めっちゃくちゃありがたいので次のアルバムでもやって欲しい。というか何だったらシングルでもやって欲しい。
「未練や愛情が吹っ切れた時」という但し書きがある。その人にこだわる理由、とも言えるだろう。「許容」と言っているように、「擁護出来るか出来ないか」と言うことでもあろう。
「一生相容れない」という表現もなかなかに強い。何せ「一生」である。復縁は絶対にない、ということで、この拒絶のぶっちぎり感は衝撃の一曲目として名高い「ばいばーーい」と相通じるところもあると感じる所存である。
さて、「前向きに」というのは他のインタビューでも出てくるので、「磁石」を語る上ではおそらく必須となる概念である。これをaikoは「人間っぽくって好きです」と話しているが、どの辺を指してそう言っているのか、実はこの辺私にはあんまりわからなかったりするのである。私には。
それでわからないなりに考えるのだが、「乗り越えていく」と言う感じを指して言っているのであろうか。
何せ、何があろうとも生き続けていかないといけないのだ、我々人間は。じめじめ、めそめそした気持ちを取り合わず、いつまでも相手にこだわっていないで……それこそ「戻れない明日」の「ずっとそこにいないで うずくまったりしないで」ではないけれど、その地点にいつまでもいないで、先へ進まなければ、生きていかなければいけない。
いや、生きていく、その姿勢を指して彼女は人間っぽく……と言っているのだろうか。……わからん……何もわからん……(早)
しかし「前向き」というのは、なんとなくわかる。「磁石」はCメロから大サビにかけてが実に軽やかで、「走り切った」という歌詞にある通り、それこそ前を目指して乗り越えていく感じがとてもよく出ているためだ。
資料が多いのであまりぐずぐずとこだわらず、次に進もう。
Spotifyライナーボイス
音楽ストリーミングサービス、いわゆるサブスクの一つであるSpotifyが提供しているインタビューボイスである。
ライターとアーティストの対談形式になっており、aikoの「どうしたって伝えられないから」はこのコンテンツの記念すべき第一弾となっている。2022年9月現在でも視聴が可能である。
全13曲、aiko本人の肉声によるライナーノーツということで、それだけ聞くと資料価値がものすごく高いように思われるのであるが、aikoのライナーノーツはaikobonの頃からの伝統で大体思い出話に終わることが多いので(いやな伝統である)正直曲による……という感じである。
「磁石」もわりと長々と喋っているわりには、それほど大きな収穫があるわけでもない。以下、筆者による文字起こしを引用する。
2020年夏頃に作った曲であるということがここで明言されている。各所のインタビューでも伺えるが、aikoがいろいろとくすぶっていた時期の曲であることは、背景の一つとして押さえておきたい。
「青空」と「磁石」は曲、歌詞共々似た雰囲気であるが、この二曲を続けさせたことに歌詞的な繋がりを意識してはいなかったらしい(なかったんかーい、と正直思った)
ただaikoの素直な発言として「なんやねんと思ってた空」に「救われている」と話している点から、Cメロのあのくだりはこの曲において「救済」の箇所だと見ることは、あながち間違いではないようである。
Quick Japanライナーノーツ
BP会報はFC会員限定の読み物だが、Quick Japanは現在でも場所によっては購入が可能な媒体であり、そこにも全曲ライナーノーツが掲載されている。
「反発してくっつくことがなくなった」「それくらい嫌いになった」……
あくまで私個人の印象であるが、こんなにまで「嫌い」の感情をメインに据えているのは珍しいように思う。一曲目の「ばいばーーい」についても言えることだ。
最近私が読解した曲で言うと「遊園地」(下記参照)が近いような気もするが、あれは二番サビでまだ諦めきれない状況が綴られ、どちらかといえばまだ未練が大きく残っている曲でもあり、「磁石」ほどサバサバしているとはまだ言えない曲であった。
精査していないので本当に印象だけで言っている話であるのだが、失恋系曲で、たとえば相手への未練であったり、相手の忘れられないことや二人で過ごした時の思い出を切なく想うことを主軸にしていくのはわりと多いが、「磁石」のように“嫌い”が主軸、あるいは主格になっているのは珍しい。
そもそも先ほど書いた「失恋」という表現も、「磁石」には当てはまらないような気もする。相手からの別れで思いがけず失ったというよりは、自分から積極的に別れを切り出そうとしている雰囲気であるからだ。
「嫌い」。二番サビ後半に出てくる語句でもある(私が耳コピを思いっきり間違えたやつであるが……)「諦め」と「嫌い」は抱きしめ合っており、この曲においてはこの二つが“磁石”であるようだ。そんなのってないよと言いたいくらいに、なかなかに強烈な苦みである。aikoは鬼なのかも知れない。鬼ですね~。
すなわち「ろくなもんじゃねえ!」に至るまでの曲なのである。歌詞にもあるようにかつては「大好き」と、憧れていたのに……幻想の崩壊、今ここに極まれりである。
途中でつけた……ということは、大サビにするためには必然的にCメロを途中で設けたということである。
aikoの歌詞は制作が決まってから二番以降を作るスタイルなのは現在でも変わらないし、となるとこの証言と合わせると、制作が決まった時点ではあの、「磁石」で最も印象深いとさえいえるCメロはもともと無かったのかも知れない。
「シーンが変わったような雰囲気を感じてもらえたら」とaiko本人が言っているので、曲・歌詞ともに物語的な流れを彼女もある程度は意識しているのであろう。歌詞読みで詳しく触れることになるとは思うが、あくまで私個人の印象で言うと、この箇所はいわゆる「天啓」を得たようなシーンだなあと、最初に聴いた時からずっと好きな場面である。
Monthly Artist File -THE VOICE- 2021.3.14放送分
こちらは2021年の3/7と3/14の二週に渡って放送された、aiko本人の口からどう伝13曲を詳しく解説している、資料的価値が非常に高いラジオ番組である。残念ながら音源を録音してはいなかったのだが、主要な点をメモしたものは残っているので、素っ気ない文章になるがそちらを引用したい。
BP会報に続いての「前向き」という表現である。これはどういうことかをaikoが説明したところによると「終わりの恋に手を振っている曲」であり、そういったジャンル(ジャンル?)の曲の中では「最近の中では一番強い」と評している。
「終わりの恋に手を振る」という言い方はわりと主体的だと思うのだがどうだろうか。先ほど「「失恋」という表現も「磁石」には当てはまらないような気もする」と書いたばかりだが、こちらの表現だとより正しいような気がする。主体的、と言うよりは別れの主導権があたし側にある、と言った方がより正確であろうか。
正確、と言えば、このaikoの言を眺めていると、「磁石」はより正確に言うと「曲のイメージ先」の作品であることもわかって興味深い。
いや、イメージ先かつ詞先というか、一番近い表現としてはコラボレーションのようなものだろうか。「最初は畳みかけて、サビから全然違う世界になるような曲を作りたい」というイメージがaikoの中にあったが、それとは別の次元で既に「磁石」の歌詞は存在していた。「そこにあったから」という感じなのが個人的には結構面白いところである。今とは全然違う曲になっていた可能性もあったと思うとなお面白い。「言いたいことをばーーっと書いている歌詞だったのですごくぴったり」と何気なく話したaikoが、つまり「磁石」は「言いたいことをばーーっと言っている」曲でもあるのだな、と思う所存だ。
その話は置いといて、「前向き」について改めて検討しよう。
字面だけ見るとさも、「相手のことは好きだけど、お互いの将来のために別れた曲」のように思えて誤解されてしまうような気がする(ひまわりになったらみたいだね!)(どこにでも出てくるなひまわりになったらのオタク)そう、字面だけだと、「前向き」だけだと実に清いというか清々しいのである。
ところがどっこいこい、個人的には「そこまで言います!?」と口走っちゃうくらいには、aikoの曲の中でもかなり激しい拒絶がこの「磁石」には施されているのである。その拒絶について見ていこう。
あじがとレディオ第88回
aikoの有料ファンサイト「team aiko」にて隔週配信中のWEBラジオである。2022年9月現在でも視聴できる回で、アルバムリリース時恒例の10秒紹介が行われている回である。
私はこれを「忙しい人の為の○○」と呼んでいるのだが、当然10秒で詳細に語れるわけもなく、大体がクソどうでもいいことに終始していたり歌ってしまって秒数を使って全然語れなかったり(バカ)と散々なことになるのだが、中には意外と参考になるものもあったりして、「磁石」はわりと資料として機能しているのである(奇跡的に)(ほんとだよ)(夜空綺麗に少し分けてくれんか)
正直「えぇ…」ってなるくらいの短さであるが、あまりに的を射すぎている。さすが作者である。このaikoの一言で読解終わってもよくないですか?(よくない)
短い中だからこそ一番言いたい真実が凝縮されているのであろう。「血の色が違うんじゃないかっていうくらいもー無理っ!」というaikoの発言を聞いて初めて「そういうこと!?!??!?!」と理解して椅子から転がり落ちたのが既に懐かしい記憶になっている。
そう、私がaikoからリプを貰うことになったあの因縁の歌詞の「触ると色が変わる細い血管」とは「あなたとは血の色が違うくらいに相容れない、もう無理」ということを表現しているのである。……ってそんな短いフレーズで表現する奴があるか~~~!!! この天才天才天才!!!!!
と取り乱したが、要はそれくらい「相手のことが嫌い」になった時に生まれた、その「嫌い」を表現したのが「磁石」である──ということが、「ノーノー!ダブルペケ!」というaikoのあまりにどストレートな言葉を添えて、あじがとで明言されたのであった。
Music review site MiKiKi
同じことを述べているWEBインタビューも見てみよう。
「この人とはきっと血の色も違う」──というような発想が出来ない時点で私とaikoは天と地の差があるのだなと思い知らされるところである。というか、そんな攻撃力というか殺傷力の高い拒絶の言葉、よく思いつくな……というのが正直なところである。
だが逆に言えばaikoはそういうことを「思ってしまえる」人でもあると言うことで、「運命」読解でも少し書いたが、そういうものすごく冷酷で冷徹な部分を持っている作家でもある、ということを嫌でも感じ取らざるを得ない。
「絶対に分かり合えないし、くっつくことは二度とない、っていう(笑)」と笑っているが、くっつくことがないからと言ってそれでよりによって磁石を持ち出してくるのが天才過ぎるというか人の心がないと言うか、とにかくもう本当にお手上げ状態である。
正直これほどまで相手に手痛い言葉を喰らわせての強烈な別れは、いっそ一曲目の「ばいばーーい」よりキツいかもわからない。aikoお馴染みの呪い戦法(?)と言うか、「赤いランプ」「シャッター」「あたしの向こう」などに見られる「思い出の中であたしを生き続けさせてね」というような手法すら存在しない。
言うなればまさしく情状酌量の余地なし、と言う感じである。そんな発想こそカケラも持っていないのだ。無慈悲ここに極まれり、というような曲ではないだろうか。
資料読み雑感 -「血の色も違う」に至るまで-
先述したばかりであるが、思い出の中に……だとか、ふとした時に思い出してね……だとか、そういう、言ってみればそれこそ人間くらい、厳しく言えば甘っちょろい手法すら、この「磁石」には施されていない。全くもって慈悲がないと言えよう。
ここまで読んで思うこととしては、あたしにこうまで徹底的に嫌われるとは、「あなた何したんだ…」ということである。
しかし、歌詞を詳しく読む前の段階で既にわかっていることなのだが、そのことまでは言及されていないのである。これがaikoの最初期の曲である「Do you think about me?」ならば罪状(罪状?)は言及されているのだが、まあ年数の隔たりが相当あるし、「磁石」はどゆしんほどの私小説感は施されてはいない。いないが、aikoの「もー無理っ!」の気持ちはとことん埋め込まれまくっている。
ただ、あなた側にあたしの憧れを著しく損なわせる何かがあったことは事実である。それはもう、あなたを許容出来ない、擁護出来ないほどにだ。そうでもないと「ノーノー!ダブルペケ!」とはならないだろうし、「血の色も違う」なんてとんでもないことも、まあ言えないだろう。
尊敬や憧れが朽ちていくことは、言ってみれば幻想の崩壊であるし、すれ違いが重なってそれで何となく別れることになった……というようなありがちな別れ路線よりもよっぽどタチの悪い、人の心のない破局である。それは幻想の崩壊だ。まさしく一番Aメロで言うところの「魔法なんて無くて」がそれを的確に表していると言えよう。
ところで何度か出た「前向き」ということが個人的にはよくわかっていないので、読解しつつ明確にしていきたいところである。
・嫌いになるだけの正当な理由がある
(嫌いになってもいい、という心理的なもの)
・嫌いだと認めてもOK
・すっぱり別れて新しい生を生きるべきとあたしが思った
というようなことが「前向き」……と言える所以なのだろうか、と考えている。
あなたが何をしたか、は正直謎であるが、あたし側の尊敬ゲージがどんどん下がっていったらしい。それと同時に思うことは「あたし側に非があまりない」のかも知れない、ということだ。
もしあたし側にも明確な、何らかの落ち度があるのならここまで前向き……というか、ああまで完全な拒絶は出来ないだろうと思うのだ。勿論、世の中どちらかに非のない恋愛などないので、全く非がないとも思えないのだけれど、でも自覚出来ない程度、少なくとも歌詞にも乗らないくらいには、あたしには非がない、と考えてもいいと思われる。
と、いろいろこねくり回しているが、正直まだ何も始まっていない。とにもかくにも、歌詞を読んでみなければスタート地点にも立てないわけである。aikoが語ったあれこれを道しるべに、早速歌詞を読んでいこう。
歌詞を読む・一番
あたしが見ている“現実”
まず注目すべきは、物語を始める前に、まるで前提条件のように提示される歌い出しの一文である。
「言えなかった」ではなく、「言わなかった」のである。細かい違いであるが、この言葉の違いをわざわざ標榜する辺りから、あたしの揺るぎない主体性を感じさせる。
「言えなかった」だと何らかの外的要因があってそう出来なかった、というニュアンスになるが、「言わなかった」は自らの意志に従って「敢えて」そうしなかった、というニュアンスをびしばしと感じさせる。この「磁石」という物語は、何かに流されたり動かされた結果導き出されたものではなく、全て「あたしが自ら選び取った」結果のものなのだと、この短いフレーズで表されているように読めるのだが、どうだろうか。
このフレーズからあたしとあなたも、かつては正しい磁石のようにくっついては離れ、離れてはくっついていた相思相愛な二人だったことが正直に描かれている。ところが、である。
こうサバサバと歌い切られていることからわかるように、相手が美化して見える、何でも肯定してあげたくなる、そんな恋愛真っ最中の時特有の高揚感──歌詞に準えて言うところの「恋の魔法」が、ぷっつりととけてしまっている。今あたしが見ているのはただの、残酷なまでの現実である。
そしてそこに在るのは、理想の男性でも白馬の王子様でもなく、「あなた」という“人間”がただ存在していること、ただそれだけなのだ。恋の魔法が解けた──どころかもっと残酷なことに最初から「無い」と気付いてしまったあたしに、あなたを素晴らしい人だと、理想のプリンスだと見ることは到底出来なくなってしまった。何があっても、彼を擁護することは残念ながら出来なくなってしまったのだ。
何と悲しいことだろうか。しかしそれはある意味では、「目が覚めた」とも言えるのかも知れない。魔法が解ける時は、夢から覚める時でもある。
抗い、そして逃走の終焉
次に一番Aメロ2へ行く。個人的にこのブロックが過去になる、というか、「磁石」の時系列的にはここが起点であると考えている。時系列順に並べるとおそらくこうだろう。
というような感じである。えっ?Bメロ? ないよ!!! 慣例(慣例?)に従って間奏の後のメロディはCメロって書いとくよ! BメロだとAとサビの間にあるメロだと誤解されかねんからね! よろしく!
Aメロ2についてに戻る。起点であるので、あたし側の戸惑いが描写されているくだりである。あなた側の何らかの過失、過ちを見てしまったのだろうか。しかし、だからと言ってすぐに嫌いに振り切るのではなく、あたしはあなたを嫌うこと、幻滅することにある程度は抗いを見せたようである。
感情。あなたの何がしかの情報に嫌、と感じた気持ちだろうか。ネガティブなものだろうか。おそらくそうだろう。
ならば、「どうしていいのかわからず」となるのは当然だろう。それまで信じてきたもの、至上だと思ってきた、あたしの世界の中心であっただろうあなたの地位が揺らぎ始めているのだ。あたしの世界の大黒柱が引っこ抜かれる、ということでもある。無理もない。何も考えなくていいように輝く音楽達に逃げ込んでしまうのは現実逃避というよりはむしろ自衛に近いような気もする。
しかしその逃避も長くは続かない。
自己嫌悪、とあるのだから当然自分に対して湧いてきた嫌悪である。あなたの真実を見て見ぬ振りする自分にだろうか? 向き合わずに逃げを決め込む自分にだろうか? きっとどちらもだろう。……何だか書いていて私の方がしんどくなってきた。そう。何かから逃げる行為はシンプルに辛いのである。
その辛さが限界を超えたのだろう。ある日、その逃げの行動が止まる。あたしは現実を受け入れることにした。即ちあなたを「嫌い」になることを受け入れ始めたのである。
そしてその「ある日」というのは、別に何か劇的な展開で訪れたわけでもない。
これは往々にしてあることなのだが、本当にすごく些細なものをきっかけとして、世界が変わる日と言うのはわりと突然やってくるのである。急にぱっと、世界が変わる。
別に世界が変わる、と言うほど大袈裟な言い方でなくてもいい。何かの変化の話である。たとえば惰性でプレイを続けていたソシャゲを引退したり、がらっとイメチェンしてみたり、恋人と別れたり仕事を辞めたり……いや最後のは大分人生に影響がある例えであるが、まあ、何でもいい、これらのきっかけは振り返ってみれば大したことじゃなかった、というのは、読者の皆さんの経験の中で何か一つ二つはあるのではないだろうか。
些細なもの。この歌詞においてそれは「机のシミを見て嫌気が差した」という、本当に実にちっぽけなことなのである。これがあたし自身にも予期せぬスイッチとなって、逃げ続けていたあなたを否定するという行為を──あなたを嫌いになるということを、あたしは受け入れていくのである。
それまでのあたしは
あたしはそれまで「あなたを大好きなあたし」だったのだ。しかし今その、それまでの自分が徐々に崩れようとしている。前提条件となるのは読んでわかる通り「ずっと憧れていたから」なのだが、今は最早その「憧れ」がなくなってしまっている。
そうなるとあたしはどうなるかというと、「あなたを(大)嫌いなあたし」になる、ということだ。いやはや全く、それまでの自分を反転させたかのような状態じゃないか。それこそ磁石のS極がN極になってしまったかのような変化である。
それまでの、昨日までのあたしの存在、いや何だったら行動や言葉までもが大きく否定されかねない。何もかもが崩壊する、とまで言ってもいいことで、それは想像を遥かに超えるとてつもなく恐ろしいことでもある。そりゃ「どうしていいのかわからずに」と言うような状態になり逃避してしまいたくなるのも無理はない、というものだ。
全ての興味は死に絶えた
ここでは唯一あなたについての描写があるのだが、一見具体的そうに見えるが情報量としては多くない。
この短い描写から察せられるのは、不在がちであることと、あたしと一緒の空間にいると「バツが悪そうに椅子に」座っているということだ。バツが悪い、すなわち後ろめたいこと、後ろ暗いことがある、ということで──いかにもわかりやすい選択肢を取るなら浮気でもしているのだろう。
結局は推測に過ぎない。何もわからないがaikoおよび歌詞曰く「ろくなもんじゃない」がもはや総評である。
一番を締めくくるフレーズはテンポよく区切られ、階段を落ちるようにも聞こえる。
ポケットに詰め込まれた膨らんだもの──当然メタファーである。後ろめたさの塊か、あたしに対し「いつも悪いな」と思っている気持ちか(と書くと「ハニーメモリー」の僕かと思うが…)別の場所に拠り所を見つけてしまった居た堪れなさか──に対して、あたしの興味はどうだろう。
悲しいことに「それなに?」と聞こうともしない、すなわち興味がゼロなのだ。
朽ちている、いくらなんでもサバサバし過ぎている。が、歌詞にされた通りそれが事実だ。無視が一番傷付くというか、愛の反対は無関心とはよく言ったもので、あなたに対して以上も以下もないというか、一切の興味がない。
なんという無慈悲であろう……サビで歌われている通り尊敬ゲージが完全に地に堕ちてしまっており、なんだったらあたしは明日にはあなたの前から姿を消していそうな……そんな気さえしてしまう。恐ろしいことだ。一番A2の時点では音楽に逃避してしまうくらいに、あなたへの気持ちにこだわっていたというのに。
しかし潰える時は既に迎えているのである。この恋愛の余命は、もはや幾ばくも残されてはいない。余命と言う存在さえ、いっそ幻であるかも知れない。
歌詞を読む・二番
書き直しても、繋ぎ直しても
そのまま二番に入ろう。二番Aは時系列順考察で出した通り一番サビよりも前の時間軸である。
ちなみに時系列をもっと詳細に書くと多分こんな感じである。一番A2もそうだったが、二番Aも二つの時間軸で出来ている。
繋ぎ止めていた、と言うことはあたし側からの視点であろうし、あたし側が作っていたものだろう。おそらくは「まだ相手を信じていたいと思えるいろいろなこと」「信じるに足る理由」で、虚勢というか、あなたを大好きで生きてきた“それまでのあたし”を護るための城壁だ。
そんな肝心な防護壁に、繕いようのない矛盾点が、自身を護りたいあたしを嘲笑うかのように次々と明らかになっていく。あたし自身が言い聞かせて、生きる上での柱であったあなたに必死に繋いできて、不安に揺れる心をそのたび大丈夫だよと書き直して──そうまでしてきたにも関わらず、あれも違う、これも嘘……と歌詞に書かれている通り、ダミーだという事実がまるで死斑のように浮き出てくる。
想像するだけで普通に怖い。こんなものを目の当たりにしては、やはり「どうしていいのかわからず」と動揺するのもむべなるかな、である。
後半はこの「磁石」で唯一の救いのあるポイントである。あなたを大好きだった頃の日々。あの時の自分を責めることはしない、否定はしない。……というか、心境的にしたくないのだろう。
何故なら、既に何度か書いているように、それまでの自分、過ごしてきた時間や感情や思い出までも否定してしまうと、それまでの自分が崩壊どころか、今の自分まで崩壊しかねない。だってそれまではずっと「あなたを大好きなあたし」だったのだ。音楽に逃避していたのと同じく、自我の破壊を防ぐための自衛と言えよう。
これはいわゆるパラダイムシフト、と言うものであろう。だが、あくまで個人レベルとは言え、印象だけで言うとそれこそ天地がひっくり返るような、あまりにも大規模な変化であった。
こんなに大袈裟な変化、私が思うに終戦以前以後の日本くらいあるのではないだろうか。さすがに例示が大きすぎるとは思うけれど、ぱっと思いつくものがこれしかないのでご容赦いただきたい。
恋の首を落とすのは
一番サビと同じフレーズが前半でリフレインする。あなたを大好きなあたし。だけど今はそうじゃない。「ずっと憧れていたから」とは歌うが、心境的には「ずっと憧れていた“のに”」と言う方が近いのではないだろうか。
瞬間。きっかけ。どちらもあたしからあなたへの「別れ」を切り出すためには──この終わり切っている恋愛に本当の引導を渡すためには、必要なものである。あとからあたしがこの恋を語る時にも、きっかけは、とか、その瞬間はとか、そう語るに違いない。
しかしだ。「別れ」は、瞬間ときっかけ側から与えられる何かではないのである。この二つはむしろ、恋愛の急所をあたし自らが突き刺そうとするところを狙っているのである。手を下すところを、今か今かと合っている。
もっと言うと、この別れというカードを切るのは──それを実行するのは、下手人になるのはお前だぞと、お前が手を下すんだぞと、息を飲むあたしに鋭く光る凶器を差し出しているような描写に思えてならない。
この恋愛の息の根を止める主導権はあくまでもあたし側にある、と言われているようなものである。あたしは恋愛の返り血を確実に浴びる必要があるのだ。瞬間ときっかけは人間の感情を持ち合わせない無生物に過ぎない。
そう。瞬間もきっかけも、犯人ではない。少なくとも実行犯ではない。犯人は、この恋愛を首を落とすのはあたしなのだ。踏み切ったあたしの背中を、この二つが飛び出して思いきりぐいと押す時がこの恋愛の最期なのだと思うと、まるで死神と悪魔に自分を見張られているような気がして、非常に恐ろしく思えるところである。
瞬間の所為にもきっかけの所為にも出来ない。かつての自分を成り立たせた恋愛に手を掛けるのは、他でもないあたしだった。そこをもうとっくに過ぎ去ってしまった、あたしなのだ。
諦めと嫌い -「磁石」の磁石-
諦めは、あなたをもう信じることが出来ないということ。嫌いは、あなたに心の底から幻滅しているということ。
その二つが抱きしめ合っている。くっついている。そう、この曲において磁石になっているのは、あろうことかこの二つなのだ。
この二つが強固に結びついているということは、もうあなたとの復縁の道は、aikoのインタビューでも確認した通り一切ないのである。望みが絶えている、まさしく文字通り絶望だ。リスナーおよび読者の皆さんはもう十分お察しだとは思うが(というか既に心の底から幻滅とか書いているのだが)あたしはもうあなたのことを、もはや完全に好きではなくなっている。そこを何とか……とついつい言いたいところであるが、情状酌量の余地など、もう全くないのである。
でも、けれども──歌詞を読んできた通り、あたしだって、信じようとしてきたのだ。怪しくなっても懸命に心を書き直した。繋ぎ止めてきた。だけどそのたび嘘がわかった。ダミーが浮き出てきた。
その度どれくらいあたしは傷付いてきたのだろうか。あたしもあたしで、おびただしいほどの傷を知らず知らずの間に、あなたに付けられてきたのだ。
もう、終わったっていいのだ。十分あたしは頑張った。だからあとはもう本当に時間の問題であり、必要なのは歴史の動く「その時」なのだろう。
しかし一番A2で書かれていたように、「その時」もまた、「突然やって来」るような気がしてならない。──運命はいつだって無慈悲で、問答無用なのだから。
歌詞を読む・Cメロ
輝き出すものの名は
BメロはないのにCメロなんかいと言われそうな気がするが、時系列のところで既に理由は述べているのでCメロを見ていこう。
Quick Japanのライナーノーツを踏まえると、aiko曰く「ちょっとシーンが変わったような雰囲気」──言うなれば場面転換の効果の為の大サビ……を導くためにCメロが加えられたと思われるが、メロがそれまでとそれこそ雰囲気が違うので、もうここで場面が変わっていると見て良いだろう。音で聴いても、歌詞の上で言ってもだ。
歌詞を読む前に、場面転換──シーンが変わったような雰囲気、について少し考えてみたい。
「嫌い」が上回ったのは一番A2なのだけど、ならばその次に続くこのCメロではその様をもっと詳しく書いているのか? と言うと、そういうわけではなさそうだ。スイッチとなった「机のシミ」も出てこないし、おそらく時間も場所も違う。
このCメロで描かれているのは、これまでフォーカスが当てられていた「嫌い」や「諦め」と言った、ネガティブで気分がげんなりするようなものではない。
それとは違う次元にある、「別の気持ち」を動かすためのシーン、それがこのブロックである──と、いうような気がするのだが、どうだろうか。
ならばあなたではない誰かに向けられる新しい恋の芽生えか? というと、そんな安っぽいものでもない。もっと根本的なもので、言ってみれば、「あたしの生」──生きるための力、に焦点を当てているように私には思われる。それこそaikoが言っていた「前向きな」という言葉の深奥にある、もっと本質的なものなのだと思われる。このブロックでは、その本質が初めて輝き出すくだりのように思えるのである。
このCメロ、最初に、それこそFM802の初解禁時に聴いた時から、本当に世界がぱっと劇的に明るくなっていく、まるで天啓を得たような描写になっているのに、私はずっと惹かれているし、不思議と心が鼓舞されていく気持ちも感じている。
同時に、前期に読んだ「運命」の大サビの「水色」のくだりに近いものがある、とも、これも最初の頃から感じている。「運命」読解において私は「運命」を「未来へ繋がる今に何とかあたしを括り付けたその僅かな一瞬」や「死から生へと切り替わる運命の一瞬」などと書いたのだが、この「磁石」には「運命」に込められていた「生への志向」を軽く上回る何らかが託されているのではないかと思う。
世界はただ、眩くて
あなたへの不信感を抱えているあたし。ようやく気持ちが「嫌い」に舵を取りつつも、そんなに急激に、劇的に変わることは正直難しい。それはこれまでの自分を、過ごしてきた日々を否定することでもあるからだ。めきめきと、ばりばりと、皮膚が破られ血が流れていく。そうして新しい自分が出来ていく。だけどもそれは、とてつもなく激しい痛みを伴っている。
あたしはどんなにか息苦しかっただろう。たとえそれが嘘に塗れたものであっても、いっそ何もかも忘れて、あなたを信じきることが出来たならどんなによかっただろう。場合によっては、その方が幸せかも知れない。
けれども襲い掛かる失望の棘で、あたしはもうずたぼろに傷付いていた。
そんな風に、孤独と不安を抱えていくつもの夜を越えていくあたしは、あることに気付く。
それは朝が眩しい、という、あまりにもありふれていて、当たり前なことだった。
朝。もっと言えば、「朝の空」のことである。
Spotifyライナーボイスにて、aikoはこう話していた。
磁石で描かれる「朝」は朝の空であり、それは青空でもあった。
昨年後期の「夜空綺麗」今年前期の「運命」読解でも書いてきたことだが、私はこれまで「空とは世界そのもののこと」という読み方を行ってきた。そして次のフレーズでそのものずばり「世界」と出るので、ここでも同じ読み方を適用させてもらう。
この朝=空は、自分の周りに──「あたし」「あなた」とは“無関係”に広がっている「世界」のことである。そしてその空は、唯一無二の眩さを以て、悩み傷付き迷えるあたしのことを、そうとは知らずに“救った”のである。
そう。空は眩しく美しい。なんとこの世界は、あんな最悪なあなたがいながらも、等しく眩く綺麗なのだ。
そして、その最悪なあなたを何とか信じようと、悪あがきを続けて何度も傷ついたり、そんな風に無理やりこだわることをしなくたって──あたしを乗せたこの美しい世界は、変わることなく存在するのである。
そう。良くも悪くも、人に優しくもなく厳しくもなく、世界はただそこに無感情に何事もなく、けれども確かに美しく存在する。過去に「運命」読解でも書いたことだ。もっと言うと「何時何分」読解でも書いたし、予告すると後期に書く予定の「青空」読解でも、こんな感じのことを私はきっと書くだろう。
人ひとり嫌いになっても、信じられなくなっても、世界は変わらず美しい。言ってみれば、人ひとりにこだわったままでいたり、動けないままでいると、世界はいつまでたっても広がらないし開けないし、良いところにも気付けないということだ。
あたしはある日の朝に、「あなた」という狭い世界を抜け出すことが出来た。あるいは、そう出来る鍵を手に入れたのだ。
一応時系列順を考えてブロックごとに並べていたが、歌詞のどのタイミングでこの現象が起こったのか、正確にはわからない。「諦め」と「嫌い」が抱きしめ合っていて、「瞬間」と「きっかけ」が隙を窺っていても、あたしは本当に僅かになったあなたへの未練や想いで、それでも必死にしがみついていたのかも知れないし、もしかしたら、と絶望の中でかき集めた、今にも消えそうなろうそくの火よりも頼りない希望を、ぼろぼろになりながらも必死で守っていたのかも知れない。
でも、それを、世界の途方もない、慈悲がないゆえにすべてに等しくある美しさが、全てなくしてしまった。消し去ってしまったのだ。
そうしてあたしは、真の意味で解き放たれたのだ。
全うされた想いたち
ならば解き放たれたあたしは、満身創痍の自分のことを、消えていく僅かな想い達のことをどう感じたのか。
あたしを描く作者であるaikoは、こう表現した。
走り切った。懸命に走った末にゴールテープを切ったあたしの姿が、私には浮かんでくる。
ここまできてようやく合点するのだが、この様がひょっとしたら、aikoの言う「前向き」ということなのかも知れないと、そう思った。一つの恋が終わることを「走り切った」と表現するのは、非常に爽やかでそれこそ前向きではないだろうか? 何かの終わりをとても肯定的に捉えているなと、私は感じるのである。
「磁石」の二番までの歌詞は正直、すごく空気が重く淀んでいたように思う。しかしこの爽やかで清々しい表現を置くことで、それが少し軽くなったのだ。
そして「走り切る」ということは、たとえば「遊園地」のように想いを部屋の隅のホコリと一緒に窓から握り潰して捨てるだとか、ぶちっと切って終わらせるだとか言うよりは、良い意味で「やり残すことなく、悔いなく全うした」と言う風にも捉えられる。これがBP会報で言っていた「未練や愛情が吹っ切れた時」でもあるのだろう。
それにしてもこのCメロのあるなしではおそらく全然違った曲になっていただろう。二番以降は制作が決まってから作るという独特なスタイルをaikoが長く続けている所為もあるのだが、途中で大サビを付けたてみたくなったとaikoが話していると言うことは、言ってみればCメロのない、救いのないものすごく重い雰囲気で曲が終わる可能性もあったわけである。
それを思うと、劇的なシーンであったことも含めて、いやはやなんというか、アドベンチャーゲームで何度も周回したあとにやっと登場する分岐シーンのようなCメロであった(伝わるのかこの喩え)
解き放たれ、愛憎入り混じる想いの全てをあたしは完結させた。全うさせた。
彼女は最後に、どのような境地へ辿り着くのだろう。
歌詞を読む・大サビ
何度も言うのは、本当だから
サビだから当然と言えば当然なのだが、このフレーズは三回も繰り返されている。しかしそれは翻って言うのならば、それだけ伝えたいことだったし、それだけに今のこの状況が本当に惜しいと思っているのだろう。そして、三度繰り返すくらいには「あなたを大好き」だったことも「あなたにずっと憧れていた」ことも、紛れもない“真実”だったのだ。
だがもう、憧れは尽きた。恋愛は相手への幻滅と嫌悪と言う病魔に蝕まれ、ついにその命を儚くさせたのである。
おんなじだけど、くっつかない
じっくり聴いた時からもう何度頭を抱えたのかわからないが、本当に打ちのめされて大の字になる。待って無理本当に、となる。何にってaikoの表現のチョイスの天才ぶりにである。
「くっつかないこと」を表現するのによりにもよって“くっつくもの代表”である磁石を持ってくる奴がいるだろうか。逆じゃあないか。何を食べたらそんな発想をしてしまえるのだろう? ああこれだから天才って奴は! と逆上しかけたのであるが、磁石を喩えに持ち出してきたことからわかる通り、そもそもこの二人は一番Aで見た通り、もともとは「くっついている二人」だったのだ。
けれども磁石の同極同士は、決してくっつくことはない。本質的には“同じもの同士”であるにも関わらずだ。喩えに用いられたその現象は世界の真理で覆ることはなく、二人が元鞘に戻ることは絶対にないのである。
……これを恋を終える恋人同士のメタファーとして注目を向けたaikoの感性、やはり天才と言わずして何と言えばいいのだろうか。おそるべし。お見事です。今年も完敗しました……。いやしかし、本当に文学的な表現だよな…。
先述した通り、同極同士、磁石がくっつくことはない。あたしがS極であなたがN極だったのだろう。それがおそらく、あなたの方が変貌していったのだろう。
嗚呼、あなた側がちゃんと“憧れ”を向けられる人のまま変わらずにいられたのなら、いてくれたのなら、ずっとくっつける磁石のままの二人でいられたのに。そう思うと途端に虚しく、そして悲しくなってくるのであった。
さよなら、別の世界の生き物よ
私が耳コピしていて「?」と思ったが故にaikoに凸られた思い出深い箇所である。
と言うのもまあ無理もない。こんっっな短いフレーズで「血の色も違うくらいに相容れない」を表現する奴があるか~!バカヤロ~!ドタドタ
……あじがとを聴くまでこのフレーズの真意に気付けなかった私は読解力が浅はかでどうしようもなく未熟である。発想力もない。aikoの類い稀なる感性とその天才っぷりに相変わらず創作者としてメタメタに打ちのめされるたまきなのであった。なんか毎回こうなるな……。まあいいかそういう記事だし……。
それにしても「血の色も違う」とは、資料読みの段階で述べたがちょっと凡人には発想しがたいとんでもないレベルの拒絶である。「人間じゃない」と言っているも同然じゃないか。
しかし逆にこれくらい痛烈な方が、徹底的に無慈悲ではあるが、本当にびっくりするくらいすっぱりと別れて次の恋に……いや違う、「あなたに関係のないあたしの人生」を続けていく、その猛々しいまでの気概を感じられるというものである。
いやはやしかし、このあたしの姿の、なんと強く尊き姿であることか。一番A2でどうしていいかわからず音楽に逃避し続けていた人物と同じとは思えない。自身を奮い立たせ、立派に自立して歩いていく様はまるで、男性に隷属する社会から脱却し、時代時代を懸命に戦い抜いてきた女性達の息吹さえも感じさせる──なんて言うのは、さすがにフェミに寄り過ぎている表現であろうか。
とにもかくにも、あなたへの情状酌量の余地も道も一切ない。「磁石」という痛烈な恋の終わりの歌物語は、こうして幕を閉じていくのであった。
歌詞を読む・まとめ
タフに強く、たくましく
「どうしたって伝えられないから」は、どうしても1曲目の「ばいばーーい」が内容が内容なだけに強烈だが、折り返し地点の7曲目、そう、アルバムのセンターであり、リード曲にもなったこの「磁石」も、なかなかどうして強烈であったと読み終えて思う。
……というかあの「ばいばーーい」があった上で「磁石」も生み出されているのだな……とめちゃくちゃ今更になって思う。「ばいばーーい」があるならこの先どんなものも出てくるよ……驚かないよ……。
前期に読んだ「運命」と若干構成や雰囲気が近い(しかも、なんと同じ7曲目である…)ので作者としてはつい比較してしまうのだが、「運命」は2011年頃に制作され、「磁石」は2020年に制作された楽曲である。およそ10年の違いがあるわけだが、打ちひしがれていたあの「運命」と違って──そして「磁石」の5年前に出され、同じく失恋で呆然としているあたしが描かれた「何時何分」と違って、この「磁石」のなんと生命力にあふれていることか、とやけに感動してしまった。
コロナ禍という、世界を今もなお襲っている未曾有の危機があったのも極めて大きいけれど、この10年でaiko自身も、aikoが描くあたし達もタフになってきたな、と感じ入ってしまう。
一曲の内に希望を見つけるに留まらず、自身を立て直し、相手に痛烈な罵倒まで撃てるほどの力を付けていることは、恋愛の曲という次元を超え、かなり励まされるものをリスナーに与えているのではないだろうか。
「運命」と「磁石」 -バイタリティの有無-
ちょうど比較に出したし、前期に書いたばかりで記憶に新しいので、この2曲について思うところを述べさせてもらおう。
「運命」と「磁石」、似てはいるが、おそらく「運命」はあなた側からの(突然の)別れだったのが「磁石」とは違うところである。「磁石」はきっとあたし側から別れを切り出す──も何も、あなたに何も言わず突然いなくなってもおかしくない気がする。って突然いなくなるようなのは、それこそ「運命」のあなたに激似なのだが……。
ただ、「運命」における「あなただったの?」という相手へのある種の“疑念”は、内容が全く同じものではないにせよ、歌詞を見てきてわかる通り「あなたへの憧れの崩壊」というイベントを経ている「磁石」でも抱いているものである。
その疑念の地点で留まったまま、「あなた」のあまりの変貌に、現実を受け入れることが出来ずに呆然としているのが「運命」だ。
ところがその地点をまさに、歌詞に準えるなら「走りきった」のが「磁石」なのである。立ち止まらずに自分の力で動き出し、世界を変えることすら出来た、と言ってもいいだろう。「運命」と「磁石」の違いはそう出来るバイタリティがあるかないか、と言いたい。
「磁石」とコロナ禍におけるaiko
この二曲にはそれぞれ時代背景がある。「運命」が収録された「時のシルエット」の前年には東日本大震災があり、「磁石」が収録された「どうしたって伝えられないから」の前年にはコロナ禍の発生がある。
この二つの大きな災害のうち、aikoおよびリスナーのほとんどである日本国民に今もなおダイレクトに影響しているのは、当然ながら後者のコロナ禍である。震災は確かに日本に大きなパラダイムシフトを齎した災害だったが、コロナ禍の方は世界規模かつ個々人の生活にまで影響を与えたため、桁違いと言ってもいい。
そしてコロナ禍による音楽活動の滞りがどえらいダイレクトにaikoに影響していたのは、各インタビューで話されている通りである。「磁石」は2020年夏に出来たと明言されているのだが、その時期はaikoが一番不貞腐れていてダメになっていた頃か、あるいはその時期をようやく抜けつつあった辺りだろう。先の見通しが全く見えない混迷極まる頃に、「磁石」は紡がれていたのである。
「磁石」が“前向き”というか、しっかりと前へ進んでいこうとすることは別にコロナ禍だったから、とか、いかにも文学研究然としたことを言いたいわけではない。そんな単純な話をしたいわけではなくて、そもそもaiko自身、どう伝全体に触れる時に「この頃のことを残そう」などとしたわけではないことを明言している。Mikikiのインタビューを引用しよう。
しかし、収録曲の傾向が「基本的にはどれも前を向いたものになっている」(オフィシャルインタビュー)とaiko自身感じて話しているように、2020年という特異な時代背景が、多かれ少なかれ「磁石」に影響を与えた、という考えはある程度の信憑性がある……ということは、少し頭に入れておいてもいいのではないか、という話である。
恋愛よりも、「生きること」
時代背景についての話が長くなった。「運命」との比較に戻るが、「運命」は、前期の読解でも書いたのだが、あまりのショックからあたしは自死、自殺を選ぼうとしてしまう。そうせざるを得ないくらい、彼女の周りには「死」のイメージが漂っていた。詳しくは下記の「運命」読解をまるごと参照してもらいたい。
ところが同じくらいのショックを受けていたであろう「磁石」は、前提条件の違いはあれど、そんなことはしないのである。
「磁石」のあたしは己の命を、人生を大事にしていて、自暴自棄になって蔑ろにすることはなかったのだ。それでいてなおかつ、従来のあたしより強い確固たる主体性を持っていると言える。
「磁石」は確かに恋愛を描いている歌だ。恋愛に主軸が置かれている。aikoは恋愛を歌う人だからだ。
けれども、「相手を信じられなくても、恋愛関係を継続させる」「自分に嘘をついてでも相手を好きでい続ける」そういった恋愛の切なさと苦しさを、「磁石」という曲は選んだのではなかった。
相手に依存しないで「自分が生きていくこと」、ただそれだけにひたすら重きを置き、貫いてみせた。それが「磁石」なのだ。
自分が生きていくこと。それこそが正義。だからあたしは「血の色も違っている」とまで言うほどの強烈な拒絶を打ち出すことも出来たし、「相手を嫌うこと」に寸分の躊躇いもなく、どこまでも潔いのである。
おわりに -生きてるってすごいこと-
終わりの段階になって今更であるが、先ほどの「磁石」についての私の見解を踏まえ、改めて「どうしたって伝えられないから」が出来た背景を考えてみたい。「音楽と人」2021年4月号を引用する。
「音楽と人」は音楽専門誌なだけあって、当時の苦しい心境が他の媒体よりも生々しく詳しく語られている。コロナ禍のaikoを知る上では最も参考になる資料、と言ってもいいかもしれない。
多くの人が出口の見えない中で、我らがaikoもこれ以上ないくらいに苦しんでいた。
かつてないほどの不安に苛まれた。孤独の中で堕落していった。見えない未来に、目がくらんだ。
けれどもaikoは、音楽を捨てることは無かった。歌だけは諦めなかった。曲を作ることだけが、彼女を奮い立たせる唯一のものだった。
「磁石」もまた、そんな風に調子を取り戻していったaikoが生み出した一曲だった。アルバム全体を通してみれば──特にコロナ禍産の曲の中では、「自分が生きていくこと」に重きを置いているあの曲こそ、ひょっとすると最も“力強い曲”だったかも知れない。
「磁石」がアルバムリード曲となって先行配信されたのは、現在もなおしぶとく続き、依然として終わりの見えないコロナ禍を踏ん張って“前向きに”生きていくためかも知れない。これぞ、と思ってaikoがチョイスしてくれたのかも知れないと思うと、「磁石」はより勇気を与えてくれるように聴こえてくる。
最後にMikikiのどう伝全体についてのインタビューの、引用しなかった部分を引用しよう。
「私、生きたいって思ってたんだな」──読解を終えてふとこの資料にあたった時に、つい涙してしまった言葉である。この言葉にこそ、「磁石」が「生きていくこと」を歌った曲である証左があるように思えてならない。
先日コロナに罹患したaikoであるが、療後の彼女はあじがとレディオ第128回にてこんなことを話していた。これもまたどこか、今になって思うと「磁石」のあの空のシーンを思わせてならない。
出口の見えない中を走り切り、狭い世界を飛び出して、眩い世界をまっすぐに生きていく。
一見恋愛の曲ではあるが、恋愛を始めとして、日常の様々なこと、人生や情勢の波乱の中を懸命に生きていこうとする私達を力強く鼓舞してくれる。「磁石」とは、そんな一面もある曲だと言えよう。
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