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OL→留学→養成講座→大学院→海外へ Part1

はじめまして。日本語教師のたまきです。

自己紹介記事をこちら⇓⇓に置いていますので、よかったら!

今回は私が日本語教師になりたいと思ったきっかけから振り返って、もう少し詳しく丁寧に書いてみたいと思っています。長編になるので、何回かに分けてみます!

英会話学校を辞めて、日本語教師への夢

私が海外で教えたいと思うようになったのはいつだったのでしょうか。きっかけは、英会話学校での経験からでした。短大を卒業後、OLとして働いた2年間は非常につまらなかったため、仕事を辞めて語学留学に行くことにしました。カナダに留学しましたが、勉強はあまり上手くいかず、英語も上達しなかったと感じました。しかし、良い友人に恵まれて楽しい時間を過ごすことができました。当時はインターネットの発達がまだ進んでいなかったため、ソーシャルメディアで連絡を取ることもなく、寂しい生活を送っていました。いろいろなことに挑戦しましたが、孤独を耐えることが多かったです。しかし、その経験は自分にとって貴重なものであり、周りの友人たちが上手にコミュニケーションを取っているのを見て羨ましく感じました。英語が得意ではなく、友人を作ったり他の人と話したりすることもあまりできなかったように思います。

英会話学校での経験と教師への夢

語学留学から帰国した後、英会話学校の事務の仕事を見つけました。4年間勤めましたが、営業の仕事が好きではなかったため、退職しました。しかし、そこで教えている先生や楽しそうに勉強している人たちを見て、自分も先生になりたいという気持ちが芽生えました。実際に英会話学校で子供たちに英語を教える機会もありました。4年間働いた後、日本語の養成講座を見つけて半年間集中して日本語教育の勉強をしました。そこで素晴らしい仲間に出会うことができ、毎日午前は養成講座、午後はカスタマーサービスセンターでオペレーターのアルバイトをしていました。

日本語教師の労働環境の改善を求めて海外へ進む道へ

あの時は留学生10万人計画の影響で、留学生・語学留学生が急に増えていた時期で、どこでも日本語教師不足が起きていました。本来は大学卒業プラス養成講座終了または検定合格が日本語教師になるための条件だったのですが、私はラッキーなことに、そこの養成講座を受けた学校で非常勤として採用してもらえました。養成講座で一生懸命頑張って勉強したり実習をしたから認めてもらえたんだと思います。2年教えて、また別の学校でも掛け持ちをしながら4年ぐらい教えたでしょうか。って教えてるうちに、日本の中だけで教えてても忙しいし、正直、学校の中の人間関係も良くなかったし、Twitterなどでよく話題になっていますが、日本語教師の労働環境があまり良くなかったこともあり、海外へ出たいなという気持ちが増してくるようになりました。海外に出るには、私は大学卒業資格がなかったので、ちょっと自分に学歴が足りないと思ったので大学院に進むことにしました。

社会人向けの大学院修士課程

当時、学生数が減っていたため、社会人を取り込んだ大学院の講座が始まっていました。私が進学したのは桜美林大学で、その頃は日本語教育の修士課程が始まったばかりでした。近隣の日本語学校にも案内が届けられ、書類と面接だけで入学を受けられました。2年間の修士課程は楽しく、勉強することがこんなに楽しいのかと思いました。高校生の時に大学受験をせず、指定校推薦で短大に進んだ私にとって、勉強したいことがわからなかった時期がありました。しかし、大学院では初めて自分が知りたいことを勉強できたため、とても印象に残っています。特に、人種偏見のない多文化・多言語強制社会についての勉強が印象に残っています。佐々木子先生や山田先生の特別講座も印象に残っています。山田先生が役所の書類を小学生にわかる日本語に訳してくださった話には、とても衝撃を受けました。

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日本語学習の需要は高くて広範囲にわたり、学習者の背景もどんどん多様化しています。そんな「教育方法は一つじゃない」状況で様々な教育者の経験が他の教育者の明日の授業に役立つのではないでしょうか。私もこの場で経験を共有し貢献できたら幸いです。コーヒー一杯の励ましをお願いします🙇‍♀️