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いろんな生徒がいるのに教え方はひとつでいいのかなと考えるんです

日本語教師に限りませんが、生徒は本当にさまざまな人たちなので、先生という仕事はすごく大変です。

さまざまな人というと、年齢、国籍、社会的立場、学習目的などを想像しますか。それは、もちろんです。でもそれだけじゃなくて、個々の人間性の違いも、です。

20年以上教えてきましたが、勤務した学校は6校ほどありました。学校の特徴と学習者の目的にあわせて教材を用意したり、授業プランを考えたり、また試験を作るなどしてきました。それぞれ全く違うわけではありませんが、全く同じものは使えないので作り直す必要がありました。それぞれのクラスにあわせるために。

クラスや学校の特色にあわせていろいろ工夫してきましたが、実はクラスや学校毎の授業プランを用意するだけじゃなくて、クラスの中のさまざまな人にも合わせたレッスンプランを用意するべきじゃないかと、最近思うんです。

シャイで日本語を話すのが恥ずかしかったり、また話すのはなぜかできてしまう人がいたり。日本語を勉強したいと思って通い始めたのに、何かついていけないとか、この人は本当に勉強したいのかな?なんて思っちゃうことも実はあります。

そんな多様な人間性が存在するのに、私は今までクラス全員を自分の教え方、そのクラスのために用意した教材や教え方に付き合わせていたのではないかと考えるんです。つまり、人間性は多様なのに、教え方はひとつ。これはもしかしてフェアじゃないのでは?

何でこんなことを思うようになったのかと考えました。

ひとつは10才の子供がいることが理由かもしれません。娘や娘の友達を見ていると、みんな個性があって違うなあと、感心させられます。このまま個性を持ちながら大人になるんですよね。

またもうひとつは、ロックダウン中から加速したオンラインレッスン。私はオンライングループレッスンで、それぞれの生徒とより距離が近くなり、個性や能力が見つけやすくなった気がしています。これもこの気づきに繋がっているようです。

クラスの生徒は多様でも目的はひとつ。日本語が習得すること。それぞれの人間性にあわせた柔軟性のあるレッスンプランはどんなものになるのでしょうか。

この続きはいつか書こうと思います。

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