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【感想文】痴情/志賀直哉

『志賀雑記四題』

余、志賀直哉を多分に知らず、文学にくわしからず、また同氏あらわすところの『痴情』読みしに、御酒飲&ゲロ酔い相成りしかば雑記と称して駄文記したるはしもの如し。

▼雑記① 〜 本書の特徴 〜
本書『痴情』は『山科やましなの記憶』に続く作品であり、同様にわたくし小説の位置づけである。「私小説」という字面からして写実をもって私小説と成すのであろう。であれば本書の写実はどこに垣間見えるのか。まあそれは全体的にそんな感じがするんだけど、その写実なるものがモロに発揮されていると思しき箇所を挙げることにする。
▼雑記② 〜 志賀の写実 〜
作中に <<彼は女を愛し始めてからも妻に対する気持を少しも変えなかった。>> とある。
これは「彼」が複数の女性を同時にそして同程度に愛することができる能力を持つことを意味し、この思考に基づく言動が終始展開されている。
その為、読者の中には『志賀、オマエなかなかやるやないか!それでこそ男や、よくぞ言ってくれた!でもちょっと言い過ぎやわ……』という男性諸氏、『志賀ってオトコ、マジサイテー、なんでこんなこと書いちゃうのよもう不愉快!バカ!キライ!』という女性諸氏が多数の様な気がしないでもないが、まあこの男女の意見の共通項としては『志賀はぶっちゃけて書き過ぎちゃうん?』という一点である。
ではなぜ志賀氏はこんな一身上の事柄を身を削って書いたのか。
▼雑記③ 〜 執筆の苦心有無 〜
というか、志賀氏は本当に「身を削って」書いたのか。彼の他の短編を読む限りこの作家、作家にして作為の感全くあらず、例えば、本書序盤において浮気相手の女性が放つ官能を <<北国の海で捕れる蟹のはさみの中の肉>> と形容しており、これ、作為があるようで実は無いと思う。というのも、この例え一見して不得要領であり、なぜ「鋏の中の肉」限定なのか、なぜ蟹の「身」ではなく「肉」という表記なのか、北国ってどこ?カナダ?フィンランドとか?とまあ、とにかく違和感満載ではあるにせよ、それは志賀氏が本当にそう思ったからそう書いただけと考えれば即ち、これ写実の妙だと言えなくはないだろうか。
つまり、彼にしてみれば『だって、そう思うもんはしゃーないやんけ』であり、特段に苦心して書いたとは思えないのである。
▼雑記④ 〜 総括 〜
以上を踏まえて ▼雑記②~③を整理すると、志賀氏は私小説家としての純然たる態度で本書を書き上げたのでありそれは、好事、訴求、忠言、根拠筋合、啓蒙流布、を念頭に書かれたのではない。換言すれば、手段として書いたのではなく、書く行為それ自体が彼の目的だったのかもしれない。

といったことを考えながら、堂々と浮気できる世の中が来ればいいのになあと思った。

以上

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