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【感想文】海の沈黙/ヴェルコール

『マジ卐』

▼『海の沈黙』のあらすじ:

ナチス・ドイツ占領下のフランスにおいてドイツ軍将校エブレナクは、占領地域に住む老人と姪の家を間借りして友愛的に接するものの対する二人は沈黙を貫くが、ある日、ナチス・ドイツの非人道的政策を知らされたエブレナクは「地獄行きです」と失意のうちに二人の元を去ろうとしたとき、姪による「ご機嫌よう」という初めて交わした言葉に微笑んだ……的な話。

以下、本書の関連資料を読み漁った結果をご紹介させて頂く。

▼ ナチス・ドイツ占領下のパリの様子:

J.P.サルトル『シチュアシオン(Ⅲ)』では当時のパリの様子を次の様に語っている。

<<断じてドイツ人は武器を手にして街を歩き回っていたわけではない。断じてかれらは市民に自分らを先にせよとか、自分らの前では歩道をよけよといった強要はしなかった。─中略─ また、フランス人がなにかこう手ひどい軽蔑のまなざしを向けたなどということも考えないでいただきたい。なるほど、民衆の大半はドイツ軍隊といっさい接触することを差し控えはしたが、占領が毎日のことであった点を忘れてはならない>>

上記に関しては本書『海の沈黙』においても同様、ドイツ軍将校エブレナクが占領地域に住む老人と姪の家を間借りする際、一切のいざこざも無く事が進む運冒頭部分にも反映されている。言い換えれば、異常が繰り返された果ての日常ともいえるが、では一方で読者含めた第三者からすればこの状況が異常であることには変わりない。ってことは異常なものはやっぱ異常なのであり、よって著者ヴェルコールはこの異常な生活とその感覚を、小説という形(客観)で残したことになる。で、その意図は以下。

▼ 「深夜叢書」設立の意図:

ヴェルコール達が秘密裏に設立した出版社「深夜叢書」について、彼らは次の意図を掲げている。
※ ヴェルコール『沈黙のたたかい』より抜粋。

<<われわれの精神生活をまもり、自由にわれわれの芸術に奉仕することにある。著名度などは問題ではない。もはや個人的な名声のごとき些事はどうでもよろしい。また、その使命の困難さも問題外である。重要なことは、人間としての精神的純粋さである>>

上記の「人間としての精神的純粋さ」を回復すべく、ヴェルコールらはナチス・ドイツによる表現思想の恣意的な抑制に対峙したのである。こうした経緯を踏まえて本書『海の沈黙』を読むと、姪の <<ご機嫌よう>> という初めて発した言葉にはフランスが培った表現思想の自由をファシズムから解放しようとする「個」である著者の切実さ、つまり「精神的純粋さ」がこの台詞に表されており、そのため、この言葉を受けたエブレナクは心の底から微笑んだものと思われ、こうした一連の描写こそ表現手段としての文学の成果といえる。

▼備考 ~といったことを考えながら~:

第二次大戦終結後の1948年、国際連合において採択された世界人権宣言(※1)の第 19 条では「干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」とあることから、こちらもヴェルコールと同様、表現の自由は基本的人権を達成する条件の一つとしているようである。
※1…法的拘束力は無いが以降の国際人権に関する条約および法律の基礎となった。

以上


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