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【小説】鷹匠五郎深山隠れ(後編)

前編のあらすじ
鷹匠たかじょうの家系に生まれた信州慈眼流放鷹術しんしゅうじがんりゅうほうようじゅつの後継者である五郎は、親であり鷹狩りの師でもある「動く父P」の非業なる死を目の当たりにする。最愛の父を失った母子おやこは山形藩の泥沢どろざわに移り住み、五郎はこの地で新たな決意のもと、鷹狩りの商売を始めようとするが「肝心の鷹を持っていない」という問題に直面したのだった。

昔、「シモンズ」という名の女性フォークデュオが、〽恋人もいないのに 薔薇バラの花束抱いて いそいそ出かけて 行きました、と歌っていましたが、私が置かれた今の状況もシモンズの歌と同様、鷹もいないのに鷹狩りに出発しようだなんてとんだお笑いぐさではないでしょうか。といって自嘲している場合でもありません。鷹を持っていないという問題は大した障害ではなく、何かしらの手段で鷹を調達すれば一気に解決します。私は山を下りて町のペットショップへいそいそ出かけて行きました。

猛禽類もうきんるい専門店、と掲げられた看板が見えたので、ああここだなと私はペットショップ店内に入り、眠そうにしている店員をつかまえて、ここで売ってる鷹って鷹狩りに使えますかね?とたずねたところ「使えるわけないじゃん。」と一蹴されてしまいました。全然納得行かないのでどうして狩りに使えないのか、その理由を聞いてみますと店員はこう語りました。「ペットショップで売られている動物はその名が示す通り『ペット』だ。ペットの鷹は野生を知らない。野生の鷹は自らの力で獲物を仕留めてそれを食べて生きている。いいか。『獲物』だ。『獲るもの』だ。よく考えてみろ、ペットはいつも飼い主から餌をもらう、ペットの鷹は『餌は飼主がくれる』と常に思っている、反対に野生の鷹は『餌は自らで獲得する』、つまり、ペットと野生では受動的、能動的な姿勢が根本から違うんだからさっきお前が質問した『ここで売ってる鷹って鷹狩りに使えますかね?』に対する俺の回答は『No』となる。ペットの鷹で狩りなんてまず無理だね。」店員からの説明を聞き終えた私は、へーなるほどですねーという空返事しかできませんでした。説明が難しくていまいち要領を得なかったからです。いや説明がどうこうというよりも、なぜこの店員は初対面の私にこうまでタメ口なのか、パワーバランスがおかしくないか、こいつ今俺のことを「お前」って呼び捨てにしたよなと気が散ってしまい、ペットの鷹がダメな理由がもうひとつ掴みきれなかったのです。じゃあ今後の参考にしたいんでペットの鷹をちょっと拝見しますねー、と店員に伝えて「勝手にしな。」という声を尻目に私は店内を物色し始めました。フクロウって可愛いなあ、でも夜行性だから夜中に狩りに行くのはちょっとイヤかも、とそんな事を考えながら色々な鳥を見ていると、「ピィ」というやけに聞き慣れた鳴き声がします。声のする方を振り向くと、定吉さだきちが売られていました。

鷹の定吉に会うのは父が処刑されたあの日以来でした。定吉も巡り巡って山形に辿り着き、何かの拍子にペット卸売業者に捕らえられてこの店で愛玩用ペットとして販売されていたのです。定吉はなにか訴えかけるかのような眼差しをこちらに向けています。しばらくの間、私は籠の中の定吉に見入りました。父が処刑された直接の原因、それは殿様の顔面をずたずたに切り裂いたこの定吉。父の遺言書である信州慈眼流放鷹術しんしゅうじがんりゅうほうようじゅつの秘伝中の秘伝とされたあの巻物、それを強奪したのもこの定吉。母と私が信州を出禁にされた要因、それも元を辿ればこの定吉。定吉に対する怒りが沸々ふつふつと湧き上がってきます。────この先、定吉はペットとして一生安泰が約束されている。それは店員がさっき語った通り「餌は飼主がくれる」からだ。寝食の心配すらない生活安定確約保証済みのこいつときたら鷹狩り時分の「野生」の本能を忘れて「ペット」として幸福になろうとしている、が、それはこの俺が阻止する。定吉、餌はお前が獲れ。俺の商売道具として。私は定吉を購入して鷹狩りに利用してやろうとたくらんだのです。そうと決まれば話は早い、私は先程の店員をもう一度つかまえて定吉の販売価格を尋ねました。「80万だ……」との事でした。高い、高すぎる。鷹の取引相場に関して詳しくない私ですが、高いぞお高いぞおと直感が私に向けて電波を発信し続けてきます。また、80万円の根拠を聞いても相変わらずのタメ口にイライラしてしまいよく分かりません。傲慢なこの男は値引きにも応じないでしょう。しばしの間、私は検討を重ねました。────この超強気の価格設定を甘受すべきか。定吉購入のメリットは「父が手塩に掛けて調教した定吉は狩りの能力が非常に高い」「既に父が調教済みなので即戦力として使える」「一生安泰で幸せなペット生活を阻止できる」の三点。デメリットは「80万のイニシャルコスト」「日々の餌代等のランニングコスト」という二点に加え、果たしてあの厄介な定吉を手なずけることができるかどうか。いや、それは鷹匠である私の腕の見せ所であり、要するに定吉の最終的な値打ちはこの私に懸かっているということになる。父上は定吉の操作を誤り殿様に傷を負わせたとはいえ、父上と定吉の信頼関係は固く結ばれていた。定吉を見事なまでに手なずけた父上。その後継者である私にできないわけがない。俺には見える、我が腕に乗った定吉が獲物を目がけて華麗に飛び立つ光景が。ひとしきり思案した結果、私は定吉を購入することにしました。定吉の狩猟スキルと私の鷹使いとしての実力が合わされば、最大のデメリットであるイニシャルの80万円は直ぐにペイできると踏んだからです。私は店員に購入の意思を伝え、80万円という大金は5万円×16回の月賦で支払うことにしました。諸々の手続きも終わり、店員から私の腕へと定吉が引き渡され、本日はどうもお世話様でしたと挨拶もすっかり済ませて良い心持で店の扉を威勢よくガラッと開けた瞬間、威勢よくピィと鳴いて定吉は空の彼方へ逃げ去っていきました。

毎月27日になると5万円が口座から差し引かれていく、それは、毎月27日になると定吉が私に物質的な嫌がらせをしてくるのと何ら遜色そんしょくはありません。あの害鳥は見つけ次第、殺す。そう誓いましたが誓ったところで金が降ってくる訳でもないので、当座の生活資金を早急に工面しなければなりません。そのためにも鷹を調達する必要に迫られていたのですが、あのとき店員が語った「ペットと野生」の話からして、狩りに用いる鷹はやはり野生の鷹を生け捕りにするしか調達手段はありません。不本意ながら私は生け捕りの準備に取りかかりました。準備といっても大がかりな仕掛けは必要はなく、野生の鷹をおびき寄せる「野ウサギの死骸」、鷹が死骸を掴んだ瞬間に覆い被せて動きを封じる「被網かぶせあみ」、この二点で十分です。ただ、この網は自らの手でこしらえなくてはならないのが、はなはだ面倒な作業であり、網糸を結んだり輪に通したり編み始めの所まで編んだら網を裏返して編み戻ったりと手順が複雑で、元来がんらい手先が不器用な私はこの作業に約三週間も要してしまいます。それも相俟あいまって私は調達手段としてまずはペットショップでの購入を選択したのですが、そんな事情を知ってか知らずか母ときたら私の網製作に対して見て見ぬふりをして手伝おうとする素振りを一ミリたりとも見せません。これは現代社会においてもしかりで、仕事遂行上の問題に直面した際、部署のチームが一丸となって解決に取り組むべきにも関わらず、定時になった瞬間に「あたし先約あるんでお先でーす」と我関せずをよそおって合コンへ向かう女性社員と同じ状況ではないでしょうか。お前には人情というものがないのかと私なんかは言いたくなるわけです。しかしそれは母に言えませんでした。非常に怖い顔つきで天井を睨みつけており、「絶対に今あたしに話しかけんなよ」のオーラが漂っていたからです。これは現代社会においても然りで、仕事遂行上、早急に上司に相談しないといけない問題があるにも関わらず、阪神ファンの上司ときたら昨日阪神が負けたことで今日は朝から機嫌が悪く、それをいち早く察知した部下にしてみればとても声をかけられる状況ではない、しばらく放置していたところへさして問題が顕在化けんざいか、怒った上司は「なんでもっと早く相談しないんだ馬鹿野郎」と部下を叱責する始末、それと同じ状況ではないでしょうか。テメーが不機嫌なので怖くて相談できませんでした、と上司には口が裂けても言えません。そうした上司に自分の母親を重ねた私は親不孝かもしれませんが「ちょっと手伝ってよ」の一言がどうしても言い出せません。怖いものは怖いのです。私は単独で網製作を地道に進め、三週間後、野ウサギの死骸と網を背負って鷹の調達へ出発しました。

私が住む山あいの泥沢からさらに奥へと進み雪深い山に入りました。この日の積雪は2メートルといったところでしょうか、昨晩から降り続いた新雪のせいか二重に履いたかんじきの下からも踏みしめる雪の質感がよく伝わってきます。あたり一面が静寂に包まれた雪山、その一方で私のゼーハーゼーハーという呼吸音だけが響いているため、私は一層の孤独感を覚えました。数時間後、ようやく鷹の生息地に辿り着いた私は鷹が羽を休めるであろう木々が点々としている場所を選び、そこに野ウサギの死骸をさりげなく置き少し離れた場所に隠れて鷹が来るのを待つことにしました。あとはひたすら根気との勝負となります。今日が駄目ならまた明日、明後日、明々後日といつ終わるか分からないこの調達手段の労苦を考えると、やはり効率的という一点においてペットショップから調達する方が有利なことには違いない、しかし折角大金はたいて購入した定吉の餓鬼が店を出た瞬間に逃亡した以上、背に腹は代えられない。とりとめもないことを考えながら待っていると死骸付近の木の枝に一匹の鷹がとまりました。野生の鷹は非常に警戒心が強いので直ぐに死骸に飛びつかず辺りを見回しています。たとえ動かない死骸であってもです。万が一、この鷹が私の存在に気づけば確実に飛び去ってしまう。ややあって鷹は獲物をじっと見据えました。その威圧感たるや一般素人の人間ならば恐怖におののくかもしれません、だが信州慈眼流放鷹術の使い手であるこの私がその程度で動じるわけがない。私は息を殺しました。────と、スッと視界から消えた鷹は瞬きする間もなく獲物に飛びかかりました。私は鷹がその爪で死骸の肉をしっかりと掴んだのを見届けてから落ち着いて網を打ち鷹に覆い被せました。後は暴れ回る鷹を傷つけないように慎重に抱きかかえ、布で目隠しをして鷹を落ち着かせるだけです。数分後、すっかりおとなしくなった鷹を抱えて家に帰りました。生け捕り初日で捕獲に成功したのは奇跡といっていいかもしれません。鷹小屋に鷹を入れてようやく一安心したところで、よくよく見てみますとこの鷹はめすでした。私はこの鷹に「お蝶」という名前を付けました。

鷹狩りにおいて、お蝶は非常に優秀なパートナーとして私を支えてくれました。最初の内こそ人間の私に慣れるまで数週間を要しましたが、以降の訓練では何ら支障もなくお蝶は鷹狩りの技術を体得していったのです。例えば、訓練の総仕上げに「突っ込み」といって、獲物に似せた疑似餌を用いてそれを鷹に捕まえさせるという練習法があるのですが、私が紐に繋いだ疑似餌をぐるぐると空中で旋回させると、それを見たお蝶は猛然と疑似餌に襲いかかり、両脚爪を使ってがっちりと掴みとるといった大技もそつなくこなし、彼女はあっという間に鷹狩りの準備段階を終えました。そしていざ実猟が始まると、お蝶が狙った獲物はほぼ確実に仕留められていったのです。特に私が優秀だと思うのは、お蝶は獲物をずたずたに切り裂いて殺すのではなく、急所をピンポイントで狙って一撃で仕留めることができるという点で、その秘訣は彼女の爪にあります。その鋭利な爪といったら私が手甲を装着した上から掴まれても容易に窺い知れ、鈍い痛みが腕に響いてきます。さらに、狙った獲物を掴む際の握力はゆうに100kgは超えていると思われますから獲物にしてみればひとたまりもありません。そして、お蝶の一撃必殺狩りは私にとって実際的な利点もありました。例えば、買取り業者に肉や毛皮を売る際、それらがずたずたに切り裂かれていると買取価格は著しく安くなってしまうのですが、先に申し上げた通り、お蝶に仕留められた獲物は肉も毛皮もほとんど傷がついていない良好なコンディションですから高額で買い取ってもらえるのです。また、お蝶は「ターゲットとなる獲物のレンジが広い」というのも特筆すべき点であり、彼女は鷹の中でも大型のクマタカという種ですから、この付近の山に住む野ウサギ、テン、モモンガ、蛇、狐、猿、小鹿等々は彼女の餌食となり、それはつまりお蝶がこの山の生態系の頂点に君臨していることを意味しています。それとは対照的に、あのポンコツバードの定吉、彼はオオタカという種ですからキジ、蛇、鴨といった平野部に住む阿保みたいな動物ぐらいしか捕ることができず、この豪雪地帯における狩りは定吉よりもお蝶に軍配があがります。また、お蝶は狩り以外のプライベートにおいても愛嬌のある奴で、ある晩私がラーメンを食べていたところ、匂いを嗅ぎつけて傍にやってきたお蝶は、ラーメンの具に入っていたナルトの渦巻模様を見て自身もぐるぐる目を回してフラフラとおどけて見せたりと非常に可愛らしい一面を持つ鷹でした。それに比べて、俺指定撲滅危惧種の定吉には愛嬌もへったくれもない、ただただ人をなぶってはピィと嘲笑して逃亡するという悪趣味極まりないずる賢い性格をしています。そういった両者を比較していく内に思ったのは、やはりあのとき雪山でお蝶と出会えてよかったという一言に尽きます。そうした私の鷹狩り事業がようやく軌道に乗り始めたそんな矢先、明治8年のことでした。母が蒸発したのです。

母の異変に気付いたのは些細なことがきっかけでした。ある日、私は捕った獲物の毛皮を持って山を下り、町の毛皮買取り店「ChuChu」へ出向きました。この店は通常の毛皮買取り店とは事業形態が異なり、猟師が持ちこんだ毛皮を買い取るだけでなく、それを店内で加工して、コート、財布、バッグといった製品に仕立てあげ出荷配送および店内販売まで行うといった、つまり、仕入れ、企画、製造、物流、販売までをワンストップで手掛ける、今で言う製造小売業の先駆けのような販売業態であり、この斬新さが功を奏した結果、ChuChuはこの地山形でも有数の大店おおだなとして君臨していたのです。その日、私は世にも珍しいギンギツネの毛皮をChuChuに持っていくと、店主は喜んで20万円で買い取ってくれて思わぬ高額に私は舞い上がりました。が、その3日後のことです。「用事で今日は遅くなるから。」そう言って出かけようとする母の服装を何の気なしに見たところ、母はシルバーフォックスのブルゾンを着ていました。えっ、そのブルゾンどうしたの、と尋ねる暇もなく母は颯爽と夜の山形市内へ出かけて行きました。その翌日、私は奇跡的に捕まえたチンチラの毛皮をChuChuに持っていき店主から50万円を受け取りました。その3日後、母はチンチラのショールを首にかけて優雅に夜の町へ出かけて行きました。さらにその翌日、お蝶が2時間の格闘の末に仕留めたロシアンセーブルの毛皮をChuChuに持っていき破格の100万円を手にして家に帰りました。それから2日後のことでした。私はこっそり母のクローゼットを探ったところ、出てきた出てきた、ロシアンセーブルの超高級ロングコートが。タグを見ると「ChuChu」と書いてあります。部屋のごみ箱から、ロングコート代金200万円と印字されたレシートも見つかりました。もう間違いありません。私がChuChuに納品した毛皮は、店の職人が製品加工し、完成した商品を全て母が購入していたのです。商売の基本は「安く仕入れて高く売る」といったように利潤の追求が根本にありますから、もし仮に、ChuChuが私から毛皮を10万円で買い取ったとすると、最終的な店頭販売価格は人件費技術料材料代その他諸々の経費を上乗せして30万円といったところでしょう。ということは、私が儲けた10万円に対して母が30万円の支出をしていることになり、私が売れば売るほどに母はそれを上回る消費をしまくるという、負の親子消費サイクル、地獄の地産地消が水面下で行われていたのです。まさかと思い、私は預金口座を確認すると、私とお蝶が鷹狩りで300万円まで貯めた貯金が残高5万円を切っていました。野郎。やりやがった。にしてもどうして母はすぐバレるに決まっている使い込みをしていたのか、同時にそんな疑問も湧いてきました。しばらくすると、ただいまァという声と共に母が帰宅しました。

一瞥した母は真っ赤に上気して酒の匂いを漂わせていました。カシミヤのマフラー、ミンクのコート、ラムのレザースカート、レッキス・ラビットのハンドバッグ、蛇革のブーツにオオカミのブレスレットというコーディネートの母はテーブルの前にどっかと大あぐらをかきました。傍にいるお蝶に目をやるとチィ、チィと鳴いて翼をばたつかせています。無理もない話です。これらの皮製品は最近お蝶が仕留めた獲物と完全一致しているのですから。あーあ、山形にリンクスがいたらこのタカに狩らせるのになあ、という母の独り言 ────私は今まさに、頭の血管がブチンと切れる音を確かに聴きました。あたしゴハンいらないからーじゃあオヤスミー、という母を制止して「おい待てコラ。テメーちょっとそこに座れ。」とその場に押しとどめました。「そのコートどうしたんだよ?」「もらったのよ。」「マフラーもか?」「そうよ。」「バッグもか?」「そうよ。」「全部だな?」「そうよ。」「誰にだよ?」「アンタの知らない人。」これが本当に子を持つ親の態度なのでしょうか。父が死んでからというもの、母は徐々におかしくなっていったのです。父が処刑された直後に「動く父P」の距離を調べるよう母から執拗に迫られたとき、そう、あの時から既にその兆候はあったのです。「オイいい加減にしろよ。ウソついてんじゃねーよ。」「ウソって何よ?」「テメー、家の金勝手に持ち出してその金で買っただろ?残高が300万から5万に減ってんだよ。」「へえー、あのタカが勝手に使ったんじゃないの?」「鳥のお蝶が金なんて持ち出せるわけねーだろ、全部テメーで使ったんだろーがしらばくれってんじゃねーよ。」「は?ぜんぜんわかんない、証拠でもあんの?」「クローゼットに入ってるセーブルのロングコート、あれ、タグにChuChuって書いてあんじゃねーか。」「それがなに?」「ChuChuは俺の取引先なんだよ!」「だからそれがなんだってんのよ?!」「俺がChuChuに持ち込んだ毛皮とテメーが着てる毛皮がドンピシャなんだよ!そんなに毛皮が欲しいんならテメーが稼いだ金で好きなだけ買えばいいだけの話だろこの能無し色ボケ毛皮ババアが!毎日苦労してオレとお蝶が狩って売りさばいた毛皮を倍以上の値段でテメーが買ってどうすんだよ!狩ったのを買ってどうすんだって聞いてんだよイカレてんのかテメーは?!おいさっきからお蝶がバタバタ騒いでんだろ、ありゃテメーの着てる毛皮に見覚えがあるからああやって興奮してんだよ!テメーはオレとお蝶を困らせていったい何がしてえんだ?!一家滅亡がテメーの本望ならテメーだけさっさと一人で勝手に死にやがれ消え失せろこのクサレ外道が!」我を忘れて怒鳴り散らした私は最後に、ロングコート代金が印字されたレシートをテーブルに叩きつけて家を飛び出しました。チィと鳴いてお蝶は私の後を追いかけてきました。

集落から少し離れた空き小屋にお蝶を入れると、興奮して疲れたのかお蝶は直ぐに眠り始めました。朝までには戻ってくるから、と言い残して私は小屋を出ました。山を下りて山形市内をふらついていると「おらが春」という大衆酒場があったので何の気なしにその店に入りました。カウンターに座ると「何しましょう?」と早速店員に聞かれたのですが普段から酒を一滴も飲まない私は困ってしまい、オススメとかってあります?とたずねたところ「本格麦焼酎・定吉が最近はよく出ますね。」じゃあそれで、と私はとりあえず飲み始めました。定吉お湯割りを立て続けに3杯飲み干すとだんだん頭が痺れてきました。────それにしても今日という日は一体なんだったのか。怒りに任せて家を出てしまったがもうあの家には戻るまい。あれは母ではないから。家にいる二足歩行の豚だから。「動く父P」の頃から母の様子がおかしいとは思っていたがあの段階で何かしらの対処をすべきであった、あれでは完全に別人ではないか。あらためて今回の一件、いったい何が母をそうさせたのか考えてもよくわからない。根本には父上の死があるにせよ、あれ程までに母が急変するとは思わなかった。いやしかしどうだろう。今日の私の怒りが母の心に届けばまだ改心の余地は残されているんじゃないだろうか。そして父上と3人で暮らしていた頃の優しい母がまた戻って来てくれるのではないか。まあ今は考えても仕方がない、今日はとことん飲む。飲み明かす。と追加の定吉を注文しようとしたところ、店の扉が開いて「あれ?五郎くんじゃん、どうしたのこんな夜遅くに。」と声をかけてきたのはChuChuの店主でした。母との一件もあったので私だけ気まずい心境になりましたが、そうとは知らず男は私の隣に腰をおろすと「いやあ奇遇だなあ。なに?君もよく来るのこの店?初めてなの?あそう。まあ土曜の夜はまだまだこれからだし今日はひとつビジネス抜きでよもやまの話でもしようや。あっ、お姉さん、ぼく定吉ロックで。」と何やら上機嫌な様子でしたのでその訳を聞いてみると、ここ最近店の売上げが好調で過去最高益に到達しそうだとの事でした。でしょうね、と私は思いました。母があれだけの金をChuChuにつぎ込んだのだから売上げが好調なのは当然といえば当然、にしてもこの男とは商売柄、毛皮の買取りでよく顔を合わせる。その際、どうして母の爆買いの件を私に忠告してくれなのかったのだろう。それを聞いた私が母をとがめると、太客の母が店に来なくなると踏んだからか。ひと言教えてくれさえすれば被害額を抑えられたのに。まあそう考えるとこの男もなかなか図太い商人あきんどだよなあ。とそんな思いを内に秘めながら、私は男と適当な話をしていました。が、爆買い黙認の件がどうしても気になって仕方がない、ここは今後の牽制の意味も込めてこの男に事情を話しておくか。また母が同じ間違いを犯す可能性もあるし。そう思い立った私は男に、今日母と大喧嘩して家を飛び出してきたこと、喧嘩の原因は母の散財だったということ、その散財先はすべてChuChuであったということ、それらの顛末をことごとく打ち明けました。話を聞き終えた男は表情を変えると「それはすまないことをした。私も経営者でありながら毛皮の買取り鑑定が忙しくエンドユーザー側の方まで目が向いてなかったんだ。可哀そうに五郎くん。大変だったね。もし未使用の品があるなら返品に応じるから。」といって陳謝しました。この言葉を聞いて私はほんの少し気持ちが楽になりました。今このタイミングで打ち明けてやはり正解だったなと。それから少し経って男は店を出ました。翌朝、私は空き小屋に戻りお蝶がいることを確かめてから眠りにつきました。

私とお蝶は一週間程その空き小屋で自給自足の生活を送りましたが、結局家に帰ることにしました。あのとき私は母にきつく当たり過ぎてしまったのかもしれない。母は理由こそ明かさなかったが散財しなければいけないような深い事情があったのだろう。それはあえて母には聞かないにせよ今回の件、私は水に流す。次は絶対にない、次は親子の縁を子の私から切らせてもらう。そこのところも含めて母と今一度よく話をしてみよう。話せばわかる、なぜなら我々2人は母子おやこだから。複雑な心境ではありましたが私は家に戻るとまず、ただいまと言って中に入りました。が、母の姿はどこにも見当たりません。どこかへ出かけたのかと思い、ふとテーブルに目をやると「蒸発宣言」とだけ書かれた封書が置いてありました。封を破って手紙を開くとそこには────

五郎へ。
衣食足りて礼節を知る。まずこの言葉をおまえにあげる。
わたしは味噌一合、海苔一帖いちじょうすらこしらえることのできない女だが母として一家を内からたすけてきた。おまえの父が殺されるまでは。これは供すべきも無ければとうを配す高坏たかつきをも失った事を意味する。おまえの父はわたしの俎豆そとうを保つ要石かなめいしという役割だけを果たしていた。しかしどうあろう。衣も食も満足しない今この現状。わたしはおまえもよく知っているあの店の主人に俎豆を見出した。こうなってはもうおまえの父に未練なし。あの男についていく。
飢えた犬は棒を恐れず。この言葉もおまえにあげる。
探してくれるなさいなら御免。今まで397。
あ、おまえの預金残高五万円はわたしに対する「慰謝料」としてもらっておく。
あらあらかしこ。
母より。

蒸発宣言を読み終えた私は「でしょうね。」とつぶやいてみた。甲斐性のある父が死ぬと同時に金ヅルを失って愛想を尽かした母は、いつの間にかChuChuの店主とデキており、甲斐性満載のあの男を支えるために商品を爆買いし売り上げに貢献した。それほどまでに男に惚れこんでいた。現代で言う「ホスト狂いの女」といったところか。そしてこの状態に味をしめたあの男。私はお蝶を左腕に乗せました。爪が腕に食い込んできますが不思議と痛くありません。そのまま家を出て私とお蝶はChuChuへ向かったのです。

行きの道すがら私は、慰謝料の考え方がおかしい、慰謝料の考え方がおかしい、慰謝料の考え方がおかしい、イシャリョーノカンガエカタガオカシー……と呪詛じゅその言葉をうなっていました。その様子に気づいたお蝶も私を真似て、チチチィーノチィチィチィガチチチィー、チチチィーノチィチィチィガチチチィー、チチチィーノチィチィチィガチチチィーと道中鳴き続けました。ChuChuに着いたらまずあの男を殺す。お蝶の100kgアイアンクローで野郎の顔面をぐちゃぐちゃに破壊したのちに俺の匕首あいくちとどめを刺す。してあの女、あれに最後のチャンスはない。慰謝料五万ふんだくったら問答無用で川に突き落とす。お蝶、ぬかるんじゃねえぞ、俺とお前の最後の鷹狩りだと思え、わかったな。チィ。我々は殺す気満々でChuChuへ向かったのですが、いざ店の前に着いてみると明らかにその様子が違っていました。店の看板が取外されていたのです。もしやと思い店のすぐ傍まで駆け寄ると、店頭に「誠に勝手ながら当店は伊太利亜に移転することになりました。今までご愛顧ありがとな。おまえらマジで397。」と店主の筆跡で書かれた張り紙が貼られていました。どうやら店主は、以前「おらが春」で私と酒を飲んだ際、母と私の喧嘩話を聞いてこりゃマズイと思い、母が蒸発宣言ですべてをゲロする前に母を連れてイタリアへ逃亡したものと思われます。俺のアンラッキーアイテム「本格麦焼酎・定吉」……嗚呼、あのとき一週間も空き小屋で生活せず、飲み終わったらさっさと家に戻っておけば、という後悔が立ちのぼってきました。

了解、納得、承知という言葉は何かしらの事実に対してそれを認めた上で受け入れる、つまり、許すということ。お蝶を連れた私は深い山中にたたずんでいました。この地、山形も五月初頭を過ぎ雪解けを迎えました。そうなると鷹狩りは困難になります。あたり一面真っ白な雪で覆われていた冬の季節は獲物を見つけやすいのですが、それに比べて初夏のこの時期は冬のあいま、雪に覆われていた草木が徐々に露出し始めます。そうなっては茂みに分け入った獲物は視力の良い鷹であっても見つけづらくなるのです。たとえば俺が店主と母を殺害したと仮定する。俺は牢屋に入る。これは世間が許さないため。事実に納得して牢屋に入る。世間の罰と私の許し。罰せられた私をお蝶が軽蔑する。謝る私。母の愛を受け入れた男。許さない私。慰謝料の5万。5万で許す母。それを許さない私とあきらめた私を受け入れた私。この世は「許」を軸とした是非の連鎖なのか。腕に乗っているお蝶は神経を研ぎ澄まし獲物を探し始めました。お蝶の爪が私の腕にギリギリと食い込んできました。獲物を見つけ戦闘体制に入ったのです。獲物目がけて飛び立ったお蝶はやぶの中に逃げ込もうとする野ウサギを両脚で掴んで強引に引きずり出し、頭を地面に叩きつけてから両翼で覆い動きを封じました。鋭い爪がウサギの背に食い込み背骨を打ち砕くと、あふれ出した血の滴りが野草の緑を冴えた赤に染めていきました。お蝶をウサギから引き剥がして私の腕に戻し、お前は本当に狩りが上手くなったなと感慨もひとしお、お蝶に好物であるウサギの心臓を報酬として与えようとしたその瞬間でした。上空から垂直に急降下して突撃してきた定吉がお蝶を強襲、報酬の心臓を奪い取り、ピィと鳴いて西の空へ飛び去っていきましたが ────定吉よ。悪いがその手はもう通用しない。さんざん俺を愚弄し続けてきたお前に、死あるのみ。すかさず私はお蝶を腕から放つと、チィと鳴いたお蝶は翼を広げ、一目散に逃げる定吉を許さんとばかりに疾風怒濤しっぷうどとうの勢いで猛追、二匹の鷹は空の彼方へ消えていったのです。



伊良湖岬いらごみさきから伊勢方面を眺めると、うっすらとではありますが鳥羽とば神島かみしまを望むことができます。渥美半島の突端にあるこの岬に立って三河湾から伊勢湾にかけて目線を南の方へ移していくと太平洋がひらけており、私なんかはこの大海原の絶景に感動というよりもまず、恐れおののくといったどこか畏怖の念を覚えました。おそらくそれは私が信州、山形の山間部で育ったため海を見慣れていないことに由来しているのかもしれません。〽港を愛せる男に限り 悪い男はいないよなんてー、という歌は確か渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」の一節だったと記憶していますが、この歌詞を見て私がまず思ったのは「なんでそんなことが真知子に言い切れるのか」でした。お蝶が翔んだ日。お蝶が定吉を追いかけて飛び立ったあの日から三年の月日が経過していました。お蝶は私の元へとうとう帰って来なかった。定吉もあの日から姿を一切見せていない。ということはどういうことなんだろう、定吉が死んだってことか。あるいは、山形最強を誇るあのお蝶が信州名代なだいの害鳥定吉にられたか。定吉って、アイツそんな強かったっけ。強いんだっけ弱いんだっけ、どーだったっけいやわかんない全然覚えてない。当時の記憶を呼び覚まそうとしても三年も前のことですからよく分からないまま、私は伊良湖岬の周辺を歩いていました。あの日、鷹狩りのパートナーであるお蝶を失った私は鷹狩り商売から一度距離をおいてみるかと考えた末、観光者向けの山岳ツアーガイド、コンサート会場設営、交通量調査、ゴト師といった単発アルバイトで細々と食い繋いでいました。ただ、心の奥底では信州慈眼流放鷹術の後継者だという自負だけがいつもわだかまっていたのです。このままバイト生活に甘んじて果たしていいのか、これでは信州慈眼流の名折れではないか。慈眼流開祖者である父上だけでなく先代の鷹匠方に対する面目、申訳もうしわけが立たないではないか。機は熟した、既に熟していた。まだ間に合う、私はふたたび鷹狩りに出る。とこうして鷹匠への復帰を決意した私は、まずはその復帰準備第一弾として焼き鳥屋でバイトを始めたのですがそんな某日、市役所の方から環境調査、生態調査に協力してくれないかとの依頼を受けました。なぜ私が?と尋ねたところ、市のダム建設計画を進めるにあたり建設予定区域への環境影響調査および評価を行いたく、ついては絶滅危惧種である鷹の生態に精通している貴殿の力を是非ともお借りしたい、との事でした。要は、今で言う「環境アセスメント」のことです。思わぬオファーに驚きましたがそれ以上に高額の報酬金に目を輝かせた私は、一も二もなくこの依頼に飛びつきました。それから約二年かけて行われた環境アセスの報酬をごっそり頂いた私は、がんばった自分にたまにはご褒美をあげないとねっ、とアラサーOL的な発想で遠く離れたこの地、愛知県渥美半島の伊良湖岬まで旅行に出かけたのです。

とりあえず海はもうお腹一杯ということで私は元来た道を引き返し、松林の中を進んでいたところ目の前に大きな黒松が現れました。やあ立派な松の木だなあと見上げると、松の枝になんとお蝶と定吉が寄り添うようにして羽を休めており、少し離れたところから小さな鷹がこちらを目指してふらふらと飛んで来てお蝶のかたわらにとまりました。

この光景を見た私は、なるほど、万事了解した。おめで……と言おうとしたのですが、ここで「おめでとう」とだけ言ってしまうとそれはお蝶だけでなく、あのっくき定吉にも祝言しゅうげんを述べる羽目になります。一呼吸置いて、私は「定吉以外おめでとう。特にお蝶、本当におめでとう。」と言って黒松の大木を後にしました。

街道との合流地点に出たもののさてこれからどうするか。右へ進めば伊勢街道、左が田原街道。信心しんじん半分、遊山ゆさんが半分。お伊勢参りもいいがここはひとつ田原城址じょうしでも見物しておくか、と私は遊山の田原街道沿いを力なく歩き始めましたが数分の内にあゆみを止めました。――――以前の定吉とお蝶であれば私を見かけると直ぐにピィ、チィと鳴いて何らかの反応を示していた、それにも関わらず、先程の再会ではそうした鳴き声を発することなく私の方をじっと見つめているだけだった。彼らは私を鷹匠の五郎として見ていたのではなく、一人の人間として私の姿を視覚で捉えたに過ぎず、鷹狩り時分の記憶なぞとうに忘れてすっかり野生の鷹に戻ってしまったのでしょうか。それとも、アイツ誰だったかなあもう少しで名前が出てくるんだけどなあ、といった感じで記憶を呼び覚まそうとして私を見ていたのかもしれません。ただ今日は流石に疲れた。人力車はこの街道を通りかかるのだろうか。この際、辻駕籠つじかごでも構わない。どこぞで少し休んでいくかと辺りに目をやると少し離れた丘の上に東屋あずまやがありましたので丁度いい、あそこで一休みしようと東屋目指して脇道にそれると石碑が建てられており、
「鷹ひとつ 見つけてうれし いらご崎」
と石に刻まれた芭蕉の句、その向こうで三匹の鷹が大海原へと羽ばたいて行ったのです。

【完】

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