見出し画像

【感想文】母の上京/坂口安吾

『坂口雑考三種』

余、春眠暁を覚えずして夜半過ぎ寝床より這出はいずりて駄文したためたるは下の如し。

▼本書『母の上京』のあらすじ:
「夏川」というおっさんが初老のオバハンを「ヤる or ヤらない」という問題に苦悩しながらも、その一方で、オカマ野郎のヒロシと共にふんどし姿で、上京した母親と再会を果たすといった痛快青春サクセスストーリー。
▼雑考① ~ 夏川と主婦の滑稽空虚 ~:
中盤は、四十男の夏川が五十女の「オコノミ焼の主婦」との性的関係の是非が描かれており、彼は <<同じ淪落りんらくの同類項>> の <<五十女の情炎>> に対し、<<正視に耐えざる醜悪さ>> を覚える一方で <<好色をそそられる>> のだとし、結果、<<堕ちかけた魂は所詮堕ちきるところまで行きつかざる得な>> かった、つまり、ヤケクソイテマエ精神で彼はこの女と関係を結ぶ。で、その先には夢のない <<亡者のような執念>> だけが存在し、女は肉欲が満たされた自分自身をひけらかし始めるとある。これ確かに虚しい。ただ、私なんかはこのくだりに多少の滑稽さを覚えてしまう。が、当初の馬鹿々々しさは、読み進めるほどに虚しさへと移行する ―― すべての事柄が無価値であり、心の拠り所がない状態。それが真実味を帯びて作中に展開されているのである。
▼雑考② ~ ヒロシの現実 ~:
ヒロシは、前述した「夏川の虚しい現実」において彼の脳裡に度々現れるが、彼は一見、夏川の対照的な位置づけという役割の様でいて、実は違うのではないか。ここでヒロシの特徴を整理すると、まず彼の魂は <<歌舞伎の舞台の上に実在>> とあり、また、<<ともかく現実から遊離した一つの品格の中に棲んでいた>>、<<卑猥なる言辞げんじを悲しむが、その言辞を放つ人を憎むこともないようだった>> という点からして、彼は現実逃避に成功した訳ではなく、「現実逃避という現実」を彷徨う存在であり、夏川と同様、淪落の末路が暗示されている。例えば、肉欲の五十女から受けた罵倒、作中終盤の追い剥ぎとの悶着等々、彼の理想を覆えすのはいつも決まって虚しい現実であり、ふんどし一丁の己のみにく艶姿あですがたへと成り果てる。
▼雑考③ ~ オコノミ焼の娘の意義 ~:
オコノミ焼の娘は「無常」を象徴しており、<<娘は花の如く妖艶であり、その母は虫の如くにうごめいていた>> と、五十女の母における虚しさの対極の存在である。さらに、▼雑考① に挙げた夏川の淪落精神に拍車をかける存在という側面も併せ持っているこの十八娘は、四十男の夏川に対し、青春という <<樹々の花さく季節の如く、年齢の時期であり、安易なる理性の外に、冷厳な自然の意志があること>> 、つまり、無常なる現実を突き付けたのである。

といったことを考えながら、これらの特徴を通じて私が一番言いたいのはこの小説、バチクソにおもしろい。

以上

この記事が参加している募集

#読書感想文

190,781件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?