見出し画像

【感想文】月と六ペンス/サマセット・モーム

『月と六ペ●ス』

私的な事情により、今回は本書『月と六ペンス』に関する雑感をダラダラ書きます。酩酊乱筆駄文お粗末。

▼雑感①:
私は芸術全般、とりわけ絵画を解する能力が欠落している。
例えば、上野の美術館で開催されたゴッホ展、モネ展、ピカソ展、ルーベンス展に行った際、40分以上行列に並んでようやく入館したものの、これ全て20分以内に退出してしまった。何がどうすごいのかさっぱり理解できなかったからである。ただ、私が一番目をひいたのはゴッホの『ひまわり』という作品、といってもこの画がすごかったとかではなく、この画を閲覧していた芸大生と思われる女性、彼女は『ひまわり』を前にして直立不動のまま感極まって涙を流していて、この様子を脇から見ていた私は、コイツ、ホントかよ...と唖然あぜんとしたが、これが感受性の差なのか、それとも絵画における知見の差なのか、いずれにしてもこの画は彼女にとって涙するほどの作品には違いなく、もし仮に、彼女が本書『月と六ペンス』を読んだとしたら、天才画家・ストリックランドの人生、作中ラストの大作の描写に滂沱ぼうだたる涙を流すだろう。一方、私なんかはそんなことよりも、「ストリックランドが画家を目指したきっかけ」「彼は描くことで何を見出そうとしたのか」が一切明かされることなく謎のまま終わったのが納得いかない!といったぐらいの印象しか残らなかった。まあこれは、問題に対し何らかの解が与えられないと気が済まない、といった私の性格に起因しているともいえる。要は、芸大の彼女、あるいは絵画評価に定評のある「ストルーヴ」の能力がうらやましいと言いたい。

▼雑感②:
絵画もそうだが文学と音楽にも疎い。
文学でいうと、志賀直哉&梶井基次郎&横光利一&岡本かの子が書いた小説は私にとって鬼門であり、これまた感受性の問題なのかしらんがこの四者の作品は読解困難なケースが多々あって、それを克服するために作品構成を逐一点検してみたり、著者の思想&時代背景を整理してみたり、果ては私自ら創作文を書いてみたり、まあ色々やってみたが結局、理解できたことは理解できないことが理解できた。じゃあ音楽はというと、これも同様にいまいち理解できておらず、特にクラシック、フリージャズなんかがまさにそうで、その昔、アルバート・アイラーの曲を『なーんだ、ただの“コケオドシ”じゃん』と音楽ライターのおばさんに率直な感想を伝えたら大説教されてしまった、むかつく。とはいえ、『月と六ペンス』に登場する芸術家達の様に、巧みな感性&観察眼を持つ者なら、やはりこうした作品の良し悪しを正確に判定できるんだろうか。それはさておき、こうした実体験から得たことを強いて言うなら、芸術を解する感性を養っておかないと私の様に人生の局面において損をしてしまうということである。なので、損をしないためにも何かしらの努力が肝要である、がしかし、損得で芸術を評価しようとする私の姿勢、これがてっぺんから誤りという気もする。

以上に挙げた私の致命的欠点、その再認識&再出発という点で本書は有意義だったかもしれない。

といったことを考えながら、この感想文は昨日の深夜、麒麟山を四合ガブ飲みしたそんな時ふと書き捨てた反古である。

以上

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?