時間がないから好きなことができないは言い訳か。
昨晩のたまたび速報にて、兵庫県豊岡市にあるとっても素敵な巨樹の谷をご紹介しましたが楽しかっただけでは終わらせない、
だからこそ、魂の旅・たま旅。
前回こちらでシェアさせていただいた【やるやる詐欺】以下2点の気づきについて、
さらに切り込んでいった(切り込まれた)内容をお届けします。
① 時間が足りないのなら休みを取って時間をつくる努力をする
② 魂の望みを叶える努力をする
自分と向き合う為に、週休2日に加えて1日半の休みを取って今まで出来ていなかったnoteの執筆活動に勤しんだ結果、皆さまから熱い応援の声や感想をいただいたりと、魂が循環する感覚を楽しむ時間が増えて、おかげ様で充実した日々を送っています。
毎日が気づきの連続。noteを通して表現することもできて、自分的にははなまるをあげたい。
けれども、血液検査を1週間後に控えた今、
正直私にはまだまだグレーゾーンにいるという感覚が残っている。
そして当然のことながら、魂のガイドであるソウルメイトSaoriには見ぬかれていた。
巨樹の谷での楽しいひと時と様々な気づきを得た帰り道、車内で発せられた言葉に、私はまた深く動揺した。
きた~っ。めっちゃイヤな切り込んだ質問。追い込まれた!
宿題やってないのに面白いテレビが始まったからと浮かれて見てたら、あんた宿題やったん?と親に突然聞かれて凍り付くあの感じ。
宿題をやっていない罪悪感と焦燥感の中でエンターテイメントに走ってしまい、更なる罪悪感。
親と同じく、時にイヤな質問をすることも魂の成長を促すガイドのお仕事のひとつです。
その瞬間だけ切り取ればイヤなことでも、広い視点で捉えると個々の人生に必要な学び。
イヤな質問は魂をゆさぶる質問でもある。
Saoriだって好きでこんな質問してるんじゃない。
させているのはほかでもない、私なのです。
それをよく理解してるだけにありがたいことだと思うのだけれど、逃げられない質問だとわかっているからこそ、めっちゃイヤ。
返す言葉に困った私は高速道路を運転しながら、超高速回転で答えをはじき出そうとする思考の声を聞き流し、自分の魂の声に意識を向ける。
今自分が何を感じているか、真実の声は何なのか。
すると意志力を司る第3チャクラが熱をおびてきた。
最初はぼそぼそと、まるで自分の意志を探る作業のように声に出してみる。
『目標が、今の職場を辞めることでも、他の職場を探すことでもないから、今辞める選択っていうのも違う気がする。。。。』
するとすかさずSaoriが、また違った角度から切り込みを入れてくる。
逃げられない。
逃げたらアカン。
でもイヤやな。。。
と葛藤が続く。
けれども、自分の気持ちを声に出してみたことで、少しずつだけど魂の声がクリアになってくる。
なんで毎度こんなに仕事を辞めることを迫られるのか。
ハッとしました!
時間がない×2と、この2年間訴え続けた私への、Saoriからの本気の解決策の提案だったのです。
家族間のストレスから気持ちが病み始め、にもかかわらず1年以上だらだらと物件探しを続けていた時に、出雲での骨折り事件が起き、病室で半べそ状態の私に「ほんまに困ったら私が家族になってあげる!」とかっこよく感動の一言を言い放ち、引っ越しの日程を決めて物件を探すことを促してくれたマイベストフレンド。
とてつもなくお恥ずかしく、情けない話ですが、いつも本気じゃないのは、私だけだった!という気づきです。
前にも書きましたが、
誰の為の魂の成長を促すサロンLokoでのセッションか。
他の誰でもない、私の為です。
毎日自分と向き合ってる時間は確実に増えたけど、この3週間、内観と瞑想もたま~にしかやっていない。
内観と瞑想の大切さは体感してきてるから、
自分に必要なことだとわかっているのに、やっていない。
必要なことだとわかっているから、いつも罪悪感だけは持っている。
罪悪感を消すための、“時間がないから”は
ただの言い訳。
仕事を辞めて、どんなに物理的に自由な時間が増えたとしても、今の自分では有効に使えないことが目に見えている。
というのも既に経験済みだから自分のことはわかっている。
日本に戻る前のオーストラリア生活では、
それこそ自分と向き合う為にゆっくりするんだという名目で、週20時間程度もしくはそれ以下しか働いていませんでした。
働いていないのに旅行もたくさんしたし、
海の見える素敵な家で特に経済的な我慢もせずに楽しく自由に暮らしていた。
それでも理由を見つけては、“時間がない”と言い訳にして、罪悪感をごまかしながら過ごしていたのです。
時間がないのではなく、本気じゃない。
意志が弱い。
本気の意志があれば、5分でも10分でもいいから座って瞑想をすればいい。
本気の意志があれば、周りの人に断りを入れ、5分でも10分でもいいから時間を取ればよい。
対象者がいて、華がある望みだけが、魂の望みではない。
白状します。
実はLokoに通い始めてからずっと苦手意識と罪悪感の影に隠してやっていなかった自分と向き合う地道な作業、瞑想。
心がざわつくと内観したり、自分なりには向き合っていました、だからオッケーにしちゃってた。
めっちゃ自分の魂に対して罪悪感あるのに、向き合ってるからいいやん。って魂ごまかしてました。
瞑想だって私の大事な魂の望みであるんだとやっと気づけました。深く反省。
自分にダメ出しして、責めているわけではありません。
そんな自分を嫌いになったわけでもありません。
罪悪感についても誰かに対してではなく、自分に対する罪悪感です。
自分を正しく理解した。
事実を正しく理解した。
ただ、それだけ。
1週間でどれだけ自分の魂に本気だということが、自分に対して証明できるだろうか。
締切間近。追い上げ作業、頑張ります。
たまひろより
愛をこめて。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?