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いまだに残っていた感情を認めました。

もう自分でも何年前かすら覚えていないほど古い記憶、
この記事を書く為にfacebookでわざわざ写真を探して年月を確認しないとわからなかったほど古い記憶。
もうとっくに癒したと思っていた古い傷。
何かのきっかけで思い出してしまうことがあれば、見なかったことにしてサッと蓋をしていた記憶。

一か月チャレンジの最終セッションの今日やっと、
まだ感情が残っていることを認めて、
向き合っていくことを自分に約束しました。


大きなポリープが見つかり開腹手術をしたのが2015年の夏、
その翌年2016年の夏には乳がんの手術。
2020年の夏には腰椎横突起骨折。
それから今、また大病を身体に抱えているかもしれない私。


日にち薬で、年月が経てば傷は癒えるものと思ってましたが、そうでもないみたいです。

ここ半年ほど手術の跡や骨折の跡が痛む頻度が増えてきて、
最近はずっと痛いのでおかしいなとは思ってました。

前より魂と向き合えてるし、成長してるのに、おかしい。

なにか消化できてない感情があるのか考えてみても、
思い当たるものがないので、(は嘘で、思い当たっても課題として相応しくないと判断し、取り上げていませんでした。)今までズルズルきましたが、
今朝の瞑想で、確実に胆のうと小腸のあたりに古〜い感情が残っているのを感じて、
これは早急に向き合うしかないけど、一人では難しいという確信だけを持ってLokoへ向かいました。

五行が始まり、Saoriが私の背中に触れます。
本気で魂と向き合っているおかげか背骨も比較的まっすぐで、すごいね~なんて2人で感動してましたが、
“残っている感情”に心当たりがないのかを聞かれて、
とっさに自分に嘘をついてしまいました。

『なんやろ、特にないねん。わからへん。』

ここでもう一度背骨チェックが入り、Saoriの驚く声が聞こえました。

「あれ!?なんでー??さっき真っすぐやったのに、今、曲がってる」

嘘みたいな話ですが、本当です。
自分でもはっきりとわかるほど曲がっている。。。。

降参して、もう認めるしかないようです。

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実は、全ての病気の根源となる心の傷をまだ癒せてない自分がいるのに、
6年半も前のことを持ち出すのは今更感満載で自分に対して恥ずかしくて認められない自分がいました。


当時を振り返るとこんな風に私の感情は動いていました。

① 否定→②怒り→③悲しみ→④忘れる努力→⑤感謝する努力

書き出してみるとわかりますが、④と⑤に【努力】という文字が入っているところが落とし穴だったなと思います。

しかも、⑤感謝する努力が②怒りのステージの段階で既にちょいちょい介入してきていたので、どっちつかずの私の感情はとっちらかり、マイナスの感情が沸いて当然なのに、感謝、gratitude、compassionのアファメーションを使って感情をまるで悪者のように自分で抑制したり、忘れる為にヒプノセラピーに通ったりしていました。

本当の感謝は無理に上書きするものではなく、感情を消化したあとに生まれるもの。

でも、マイナスの感情を持つことが自分でもう耐えきれなかったんです。
毎日の生活を送る為に平気な顔を装っていたけど、中身はずったずたに傷ついていたし、
ご飯を食べたくない日が続いていたので、気分転換にと出かけたカフェで気づいたら2時間テーブルに置かれた朝ごはんをただただ見つめていただけのこともありました。

(※↓自分でもひくほど闇ってます)
自分が嫌いすぎて、心臓が動いているから悪い!と自分で自分の胸をげんこつで叩いたり、
記憶がなくなればいい!と頭を壁にぶつけてみたり、
何度も深夜の海に歩いて行った時の夜道の匂いや道路の感触は今でも鮮明に思い出せます。

自分の感情を抑制することで、自分を守っているつもりだった私
それではダメだと乳がんの治療後に自分と向き合う為に通い始めたLokoでも、
美化せずに本当のことを話せたのは多分1年後ぐらいだったと思います。
“こんなことがあったけど、乗り越えた自分”
をガイドであるSaoriにでさえ偽り、装ってたんです。

私の話を聞いて、いつも冷静なSaoriが大憤慨している姿を目の前にして初めて、
“私怒っていいんだ。無理に感謝しなくていいんだ”と思えた時は本当に癒されました。

その後、それでも懲りずに上書き方で忘れようと努力してしまったんですよね。。。。。

私にはそんなことよりも、大事な魂の目標がある。
過去の傷なんかに縛られている場合じゃない。

そして過去の傷をたまに思い出してしまう自分を責め続ける。


例えば自分に対して抱いていたのはこんな感情です。

傷ついた後に、自分の心に寄り添えなかった自分が許せない。
あんなミスを犯すなんて自分が許せない。
手にしていた幸せを結果的に奪ったのは自分自身。そんな自分が許せない。
未だにそんなこと思い出すなんて、しつこい。
全部自分の選択の結果なのだから、悪いのは私。


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2周回ってまた、自分の元にツケが回ってきました。
向き合うまで、何度でもやってくる。
もう降参するしかない。
『私、まだ自分のこと許せてない。。。。。』

そして過去の傷にめっちゃ縛られているのに往生際が悪い私、こう思いました。

こんな恥ずかしいことにセッションの時間を使うのは申し訳ない。
気づけたからもういい、後はボチボチ自分で内観します。(自分で難しいからガイドしてもらってるのに!)


すかさず、ガイドからその場で相手に対するマイナスの感情をできるだけ掘り起こして感じてみるというご指導が入りました。

ヒドイ!
許せない!
裏切られた!
悲しい!
さみしい!
同じ苦しみを味わえばいい!(とかダークなこと思っちゃうことも自分に許可してみる。)

こんなに煮えたぎる強い感情を無いことにしてたなんて抑圧しすぎですよね(笑)

いつ噴火するかわからない活火山と同じです。

人や物事のせいにせずに自分の行動に責任を持つという点では、反省すること自体はいいのですが度が過ぎると、私が悪い例で自分を責めて知らないうちに自分を罰している場合もあります。

マイナスの感情を持つことは、悪いことではない。
激しい激流のような感情も感じ続ければ、ふと穏やかに変わる瞬間があります。
そしたら、オッケー。
また思い出したら、その時は否定せずに見てあげる約束を自分としました。

すると、その瞬間、胆のうと小腸の痛みがほどけていく感覚がありました。
指切りげんまん。
いつも自分の魂と寄り添って、丁寧に生きていく。

今まで身体からの緊急事態宣言が発令される度に、
立ち止まって大きな気づきを得る機会になっているので、私には経験すべきことだったのだと腑に落ちてはいます。

けれど病気と引き換えに失ったものも大きい。おっぱいはキツかった。。。

病気と引き換えに気づきを得るループからの卒業、
おおごとにならないと気付けない自分を卒業します!

改めて、

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たまひろより。愛をこめて。

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