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リプレス


 M氏はどうも言葉を発することが苦手であった。会話は特に苦手でどうもうまく言葉が出てこず、よく会話中に沈黙を生み出してしまう。それを察してか人はM氏と話すのを避けるようになって、結局M氏は大体一人でいることが多かった。だがM氏の認識は周りの人と違った。自分は話すこと別に苦手ではなく、返答を思いつくのが遅いだけであると思っていたのである。現にM氏は何かを媒体を介しての会話はそこまで不自由では無かった。例えばネット上での会話ではそこまで会話のテンポは重視されていないので、M氏はゆっくり返答を考え相手が望む言葉を送ることができた。それゆえかSNS上での友達は一般的な人より多いぐらいであった。


 そんなある日いつものようにM氏が駅前のカフェで一人で手早く昼食を食べていると、急に隣に見知らぬ男が座ってきた。他にも席が空いているのに変だと思いながらも、別に問いかける意味も感じなかったので何も言わなかった。まあ、どんな奴か顔だけでも見てやろうとM氏がチラッと顔を横に向けた瞬間M氏は言葉を失った。そっくりというわけでは無いのだが、自分によく似ているのだ。顔はもちろんのこと身長や髪型までよく似ているのである。M氏が呆然として男を見ていると、男は当たり前のように声をかけてきた。あまり当たり前のように声をかけてくるものなので、M氏は今度はあっけにとられてしまいさらに言葉が出てこなくなってしまった。しかし、男はそんなことは一切気にせず、たまたまここに来て、そっくりなM氏を見つけたことや自分のことをどんどん話す。男が言うには自分は研究者で、装置を開発しており、その装置がおおよそ完成し、ひと段落したので久しぶりに外に出てきたらしい。さすがのM氏もその装置について聞いて欲しいのだろうということはすぐにわかったのでその装置についての詳細な説明を促した。すると男は少しにやっとすると装置について語り始めた。その装置は「リプレス」といい、簡単に言うとコミュニケーション能力が上がったように見せかける装置であるらしい。相手が何か言葉を発すると、それに対する装着者の感情を瞬時にリプレスが読み取りビックデータから算出したその感情に近しい最適な返答を装着者に言わせるというものだ。M氏がすごい装置があるものだと感心していると、男はポケットから小さな機械を取り出し、M氏の前に置いた。続けて男はそれがリプレスで装着の仕方は腕に巻くだけだと話し、最後には譲ると言い出した。M氏がいつものようにすぐに返答できないでいると、男はさっさと立ち上がり店から出てしまった。取り残されたM氏はどうするか少し考えたがどうも自分にピッタリな装置に思えたので少しつけてみることにした。ただそのあととんでもないことに気が付いた外し方を知らないのだ。M氏は焦ったが、ただそんなに目立つ大きさでもないので気にしないことにした。


 それからというものM氏の日常は劇的に変化した。それまで不安定だった取引先との関係も会話が弾むことで非常に良好になり、その結果M氏の成績は向上、ついには昇格までした。またM氏も積極的に話しかけることができるようになっていた、というか気がつけば話しかけているような感覚だった。だが話しかけたら後は何も考えずともリプレスが勝手に受け答えしてくれるのだから話しかけることに気後れすることもない。そんなこんなで友人は増え、その上恋人までできた。しかしM氏は少し違和感を感じてもいた。このごろ会話だけでなく行動も勝手にしているような気がするのだ。喉が渇いたなと思った瞬間もう立って、冷蔵庫から水を取り出しているし、疲れたと思った瞬間もうベッドに入っている。ただまあ、当たり前といえば当たり前なので深く考えるのをやめた、というかやめさせられた


 男はとある地下室でベッドに横たわり、頭から何か大きな装置を被り、M氏の日常を楽しんでいた。この巨大な装置はいわばM氏がつけているリプレスの母体、これを被るとリプレスをつけている人と感覚が共有でき、その上自分の思ったことをその人に行動させることができるというものだ。男は2年前、未知の病にかかり2年後には全身麻痺になると宣告された。最初は絶望したが、それからはリプレスと生命維持装置の作成に尽力した。生命維持装置は1年ぐらいで完成し、リプレスも先月ついに完成した。そして男はすぐに外へ飛び出し、前から目をつけていたM氏と接触しリプレスをつけさせることに成功した。それからは生命維持装置つけベッドにもぐり、M氏の日常を自分好みにゆっくりゆっくりとM氏に気づかれないように塗り替え、ゆっくりゆっくり思考、行動を支配した。自分が代わりに思考することでM氏は思考をしなくなっていった
 M氏に明日はもう来ない…。

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