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続けることの価値【教員347・348日目(1年目)】

子供たちと関わるのも、あと8日間になった。

正直寂しさも大きいが、最近感じている積み上げてきた集団だからこそできることに目を向けていきたいと思う。

入学した当初の彼らが学校に慣れていくことに精一杯だったが、徐々に慣れていくにつれて、子供たちの中に習慣が積み上がっていくことで出来ることが増えていくこと、学級としてのルーティンを作ることの価値と可能性を感じている。

例えば朝の準備だ。

今、うちのクラスの子たちは、登校完了時間までに、提出物を出すことと、連絡帳の記入、次の日の漢字を書くことまで終わらせる子がほとんどだ。

もちろん、朝早く来れない子のために、朝学習の時間で出すものを出したり、調整はしているが、それでも多くの子が朝の時間に準備を済ませることができている。

そこには、朝の時間をどう使うか考えさせることも大きい。朝の準備にどれだけの時間がかかるのか、目標の時間に朝の準備を終わらせるには、何時に家を出ないと行けないのか、子供自身に考えさせる。

そして、今日はどうだったのか、どこに時間がかかっているからうまくいかないのか、どうして上手くいったのか、振り返りを促し、次はどうするのか手立てを決める。

そんなことを毎朝積み重ねてきたからこそだと思う。

ただ、その時間に始めるだけでは弱い。

個人的に大事だと思ったのは、次の予定を初めてしまうことだ。

朝学習の時間があることで、なんとなく終わらせたらいいではなくて、終わらせないといけないという意識に切り替わるのも一年間やってきたからこその学びである。

次に、トラブルがあった時の対応だ。

僕が担任をしているクラスでは、まず子供同士で話し合う。それでも解決できなかったら先生に入ってもらう。先生が入らなかった時でも、結論は先生に言うことになっている。

初めの頃は、上手く話し合えないでいて、途中で僕が間に入ることが多かったのですが、回数を重ねていくにつれて、自分たちで話し合おうとする姿が増えていった。

もちろん、上手く話し合いができず、僕が入ることも少なくないのですが、でも話し合って解決をしようとする姿勢は育むことができたのかなと思います。

あと、安易なごめんなさいで終わらせないということも大事にしていました。

話し合う中で、相手の人が嫌な気持ちが残っていたからこそ、その気持ちを解消するための「ごめんなさい」であり、相手に何かしらの影響を与えて、それが悪影響であったり、悪影響を与える可能性があったりしたからこその「ごめんなさい」なんだ。

ということを肌で感じさせること。

なんとなく謝って、なんで謝ったのか意味がわからない状態で終わらせないことを大事にしていました。

すると、ごめんなさいの意味を感じるようになって、どうしてごめんなさいなのか聞くと、理由が言えるようになってきた。

もしかしたら、子供の発達によるものかもしれませんが、それでもそういったアプローチが影響しているのかもしれないと思ったりしました。(はっきりさせられないのが悔しい)

こんな感じで、続けてきたからこそ現れた影響を感じて続けることの価値を感じている今日この頃でした。

サポートして頂いたもの、全て教材の作成費用等の子供たちのために使わせて頂きます。